2015/06/22: 青梅小曽木散歩;木瓜爺撮歩61-32 小布市神社 (No.2357)

「小布市の三叉路」を出発します。道標石があるのですが、どうも写し忘れたようです。こちらに気を取られました。

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「馬頭観世音」「庚申塔」が並んでいます。右の方の石にも文字が刻んであるのですが、木瓜爺には読めません。 笹仁田峠に行く途中に「小布市神社」があるのですが、今まで気付いた事がないということは、車だと見過ごしてしまうような位置にあるのでm61-32-02 F5751しょう。ゆっくり歩いて行きます。

このあたり、広い直線道路になる前の旧道と思われる、分岐してすぐ戻ってくる側路が幾つもあります。

そう言う路に、古民家が残っていたようです。それを買い取って(?)食べ物屋を始めた人が何人かおられるようです。ここもその一つ。「そば屋」のようです。ただ、家は手を加えて、現代仕様になってm61-32-03 F5752いるようですが。

話は変わりますが、今日のブログは、下調べにすごく時間がかかりました。なぜかというと、参考に出来る情報が皆無なのです。「小布市神社」自体が、神社DBにない、あっても住所くらいしか書かれていません。他の人のブログをみても、由来的なことを書かれているのは皆無でした。祭神も分かりません。青梅市の指定文化財のなかに、この小曾木1丁目に住まわれていた「市川家日記」という文書があるそうですが、これは個人財産に属しており、閲覧も出来ないようです。いつも頼りにする「多摩の神社 準備室」にさえ収録されていません。

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地図上の位置としては、そろそろなのですが・・・

そもそも、「小布市」ってどういう地名なのでしょう。地名辞典の類には出て来ません。いりいろ見ているうちに、やっと一つ見つけました。「古事記」や「日本書紀」にある古い日本語を元に、地名の解析を試みた論文がありました。その中に、この「小布m61-32-05 F5758市」が書かれていたのです。要約すると「川が二つ合流する場所」という意味を持っているのだそうです。実際は、2本が一つになり、更にもう一本流れ込んでいますが・・

あ、あったあ・・道路から急階段で上って行くのです。「小布市神社」ば多分、地名「小布市」にある神社、としてのネーミングでしょう。というのは、横を流れる川は「小布市川」ではないのです。小布市川は「白髭神社」の所を流れて、三叉路の北側にやってきます。こちらの神社に近い川は、それに合流される支流です。ですから、川からきた名前とは思えません。

お得意の「新編武蔵風土記稿」では、小名小布市に神社がありません。つまり、幕末以降明治になってから出来た神社という可能性が高いのです。

日本のどこかに「小布市神社」がないかと探して見ました。「布市(ぬのいち)神社」というのはありました。石川県野々市(のの は ぬの の訛ったもの、若しくは其の逆と云われているようです)と言うところです。祭神は、「応神天皇」「天照大神」「住吉三神」つまり「住吉神社」に「八幡社」と「神明社」の合祀で出来た神社。これが、「小布市神社」の元という可能性はなさそうです。しかし、青梅には「住吉神社」もありますから、案外近いかもしれません。

とりあえず住所を書いておきます。 青梅市小曽木1丁目99 でしょう。番地の部分は不確かですが、地図上の表示です。

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右の方に手水舎があります。

m61-32-08 F5774 小布市神社

神殿に額はありません。お賽銭用の窓があります。あそこから中は見られるようです。

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ああ、「正一位稲荷大明神」! 「百聞は一見にしかず」でしたねえ!

祭神は「伏見稲荷」と同じと考えて「稲荷大神」となります。実は伏見稲荷大社には、幾つもの社がありまして、複数の神様が祀られています。ホームページによると、『田中大神、佐田彦大神、宇迦之御魂(うかのみたまの)大神、大宮能売(おおみやのめの)大神、四大神(しのおおかみ)』の総称として「稲荷大神」を用いているように見受けられます。主神を挙げるなら、まちがいなく「宇迦之御魂大神」です。

なぜ、「伏見稲荷なのだ?」という疑問を持たれる方もおられるのかなあ? 詳しい説明がどこかにありました。少々お待ちを・・・これは、「神社新報 『神道いろは』 平成十四年二月十一日 第二六三五号」に記述されていた記事だそうです。転載の転載をします。

『正一位とは律令制下、朝廷より諸臣に授けられた位階のことで、官人の地位を表す等級として一位から初位(そい)の位階があり、一位から三位までがそれぞれ正一位・従一位と正・従の順に分かれ、また、四位から八位までが、正・従の他にさらに正四位上・正四位下と上・下の順に分かれ、初位のみ、正・従に代って大・少が冠され、全部で三十位の位階があります。
奈良時代中期以降、この位階が人に対してでなく、神にも授位されるようになりました。これは神階と称して、諸臣に与えられる位階制度に倣うものでしたが、両者に直接的な関係はありません。 神階は、主に遷都・行幸の際や、天変地異や疫病蔓延などを鎮める臨時の祈願・奉賛に際して、また特に霊威の見られる神々に、朝廷から授けられました。これはそれぞれの神々に授位・進階されるもので、同じ神社に祀られている御祭神でも神々により位階が異なることもあります。
神階授位の制度では新たに他社へ勧請された神の場合、本社の神と同じ位階にはなりませんが、例外として朝廷の許可により勧請される時には、本社と同位の神階が授けられることもありました。
また、朝廷がおこなってきた神階の授位を、国司が国内の神に仮に位階を贈ったり(借位)、中世以降、諸国の神社・神職を支配した吉田家が独自に神階を発行したりするなど(宗源宣旨)、勅許による授位の原則が必ずしも守られなくなります。
さて、稲荷神社についてですが、『類聚国史』の天長四年(八二七)正月の条には、稲荷神に対して従五位下が授けられたことが見られ、その後も進階を重ね、天慶五年(九四二)に諸神に対しておこなわれた授位で正一位に叙せられました。
この神階は京都伏見の稲荷神社(現・伏見稲荷大社)の稲荷神に授けられたもにで、後世になると他社への勧請に際して、本社が同位の神階(正一位)を授位するようになり、正一位稲荷大明神という尊称が一般化しました。
m61-32-10 F5767 明治以後、神階授位の制度は廃止されましたが、現在でも全国の稲荷神社で正一位と冠した奉納の幟籏を目にするには、稲荷神に対する篤い信仰によるものといえます。』

すっきりしました木瓜爺、境内を眺めます。石の祠が置かれています。右側の石碑、何か彫られているようですが、彫りが浅いのか読み取れません。

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この「小布市神社」も祭礼の時には「地口行灯」が作られるようです。これは、「地口行灯」の研究レポートからの拾い読み。
 【2015/10/11 追記: 中野区にお住まいの安藤さんから、 「とうきょう広報 昭和54年3月号」に掲載された「青梅の初午講」という記事のコピー をいただきました。それが、この「小布市神社」のというか、立春の日に小布市の集落で行われた初午講の写真と記事でした。現代では殆ど見られなくなった、集落の五穀豊穣を願う行事・・そんな素晴らしい人々に守られた稲荷神社でした。  安藤さん、ありがとうございました。】

お参りを済ませて、階段を下ります。道路の向こうは畑になっています。其の先に小川があります。「立正佼成会青梅青年錬成道場」の方から流れて来る小川です。m61-32-13 F5778

 

 

 

 

 

歩き出すと、栗の花の匂いが漂ってきました。栗林というか、栗の実を収穫するための畑のようです。路は少し登りになり、笹仁田峠が近づいてきました。

m61-32-14 F5781 笹仁田峠

ここが「笹仁田峠」。勾配の変化は、車がくれば分かるかな?

峠を越えると、先ほど書いた「立正佼成会青梅青年錬成道場」ですが、ここは、塩船観m61-32-16 F5788音の裏から「霞丘陵ハイキング」で歩いて来る場所でもあります。

この標識、「岩藏温泉」の意味が分からない標識です。矢印が付いていないのです。七国峠を越えて岩藏に下れというつもりなのかも知れません。

えーと、ここまで来ますと、「小曽木」から飛び出しますので、「小曽木散歩」は終了ですね。

m61-32-15 F5786分かれ道

あの交差点、二人の女性が歩いている道がありますね。あれは「藤橋城址」に出る路だと思います。木瓜爺も岩藏街道を放棄して、あの路に入ることにします。また、撮歩ナンバーが変わってしまいそうです。

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