2015/06/30: 青梅街道狭山付近;木瓜爺撮歩98-32 横田・子の権現 (No.2365)

「狭山の子の権現」ってどんな所だろう? と、思ったのは、2010/11/26のtaji1325 ブログを読んだときでした。それから4年半たっています。

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「野山北公園」から東に出て、「かたくりの湯」を通過します。この裏?の方に、「武蔵村山市立歴史民俗資料館」があるので、寄るつもりだったのですが、「子の権現」で手間取って忘れてしまいました。

m98-32-17 MC3_4840「かたくりの湯」から広い道に戻るのは直ぐでしたが、道路を隔てて向かい側の山にある筈の「子の権現」への入口が分からなかったのです。これは、道順が悪かった所為で、横田トンネルの所から真っ直ぐこの道を歩いてくれば、こういう看板が出ていたのです。そうとは知らず・・・街道に出たところは、三叉路になっています。最初は少し東に進んでみました。山に入る道がありましたが、「立入禁止」となっています。念のために、入り込んでみました。

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舗装道路はずっと続いていますが、高度が上がりません。

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「こっちだよー」と、右手の山から呼ばれているようですが、道らしいものは見あたりません。首をひねって、逆戻り。三叉路まで戻って、拡大した地図を取り出しました。すると、三叉路から直接に「点線道」がついています。鳥居マークとは、ちょっと外れた場所ですが、先ほどの道よりは接近できそうです。見回すと、道路から山に上がる狭い石段がありました。それを上がります。

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m98-32-07 MC3_4816上がった所から「かたくりの湯」を見ています。ここから、山道を進みます。階段を少し上がって、後はわずかな登り道。

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進んで行くと、山道が交差する場所に来ました。地図では、その右側に「子の権現」が書かれています。しかし鳥居は見えません。キョロキョロしていると、足元の草の中に、石を発見しました。

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これは何だ? 木の枝を分けて入って見ると・・・「句碑」というか「俳句の会の結成記念碑」です。これは、「子の権現」の境内なのだ・・・m98-32-11 MC3_4823振り返ると、確かにお堂が有りました。

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「いやー、探しましたよ」、愚痴を言いながらお参りします。中を覗かせていただきまm98-32-13 MC3_4826した。「聖観音」と「二つの石」です。

「あれえ? 変だなあ?」人間が出来て居ない木瓜爺、ここで観音様に文句を云ってしまったのです。

「子の権現」の本家は、奥武蔵の「子の山」にある「子の権現・大鱗山 雲洞院 天龍寺」、これと別に、こちらが本家だというのが、日の出町にある「勝峯山 岩井院 子の権現堂」 どちらかの勧請の筈です。

まず「天龍寺」の方ですが、ここは、観音霊場としての本尊は「十一面観世音」なのです。ただし、「子の権現」としての本尊は、「子の聖」なのです。

「岩井院」は寺の本尊は、「釈迦牟尼仏と称する阿弥陀如来像」で、「子の権現堂」に祀られているのは「子の聖木像」でした。何をいいたいかというと、「子の権現」というのは、「子の聖」を祀らないと筋違いなのです。「子の聖」こそ本命。子ノ聖が、子の山に登ろうとした時、山麓にて鬼類(山賊でしょう)に襲われ、腰から下に火傷を負い一生苦労されるのですが、「足腰の病に悩める者、誠の心で我を念ずれば、必ず霊験を授けん」という遺言を残したことから、足腰守護の神仏として世に広く知られ信仰されたのです。

観音霊場としての天龍寺の真似をしたなら「聖観音」ではなく、「十一面観世音」であるべきです。ぶつぶついう木瓜爺に、「観音は化身出来るのだから、どっちでも良いじゃないか」と、おっしゃいます。なるほど・・・

なお、両方のChoi-Boke爺ちゃんのブログを紹介しておきましょうか。何回か書いていると思いますが、とりあえず思い出すものを・・・

5月14日: 子の権現(2)

10月22日: 勝峰山岩井院 子の権現 (No.1384)

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m98-32-15 MC3_4833気を取り直して、「足腰守り」をお願いし、正規の参道で戻ることにします。段々遠ざかりますからね。

「子の権現」が神社か寺かというのは微妙な所ですが、天龍寺に最初に造られたのは、神社で、こう説明されています。

『弟子の恵聖上人は子の聖の誓願を広く世に広める為、子の聖を子の聖大権現と崇め、聖の尊像を祀って子の権現社を創建し、天龍寺をその別当寺としたのである。』ですから、神社で良いのですが、それだと、観音様というのは筋違いですよね。

参道は何回か折れ曲がりますが一本道です。最後は、階段。冒頭に掲載した看板の横に下りました。振り返って、最後の階段を写したものです。

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もっと歩くつもりだったのですが、なんか疲れて、武蔵村山市役所の前から、立川に戻るバスを待ちました。m98-32-18 MC3_4843

バス停の近くにあった「庚申塔」近くで写しました。m98-32-19 MC3_4841

 

バスが来て、無事に帰宅したのですが、翌日になると、右膝がしくしく・・・

文句ばかり云ってきたので、観音様が立腹なさったのかもしれません。直して頂くのに、「観音経」を三回読みました。

なお、この「子の権現社」は、「新編武蔵風土記稿」には登場しません。比較的新しいもののようです。「多摩の神社準備室」では、次のように記述されています。

『横田子之権現社 鎮座地 本町5-24
解説 詳細不明。ご神体は観音像と石が2体。学業成就と足腰の痛みに霊験があるらしい。』

今日で、六月も終わりです。つまり今年も半分消費・・・ブログの種も、これを書いている日に底をつきました。七月はどこを徘徊することになりますか?、この青梅街道は東村山駅に行くまでに、まだ20ヶ所くらいの寺社がありますから、また登場するでしょう。

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