2015/07/03: 町田街道;木瓜爺撮歩97-09 舘村・御霊社から上相原村・蔵王権現社へ (No.2368)

八王子市「館町」は「舘村」だったようです。隣の町田市相原は、かって八王子市の一部であったようで、大戸観音の鐘楼は「大戸の晩鐘」という名前で八王子八景に組み込まれています。「新編武蔵風土記稿」が書かれた「由井領舘村」の時代には「由井領上m97-09-01 F8866相原村」だったようです。

まず、「御霊社」にちょっと寄り道。この神社も何度もブログに書いています。最初の登場はChoi-Boke爺ちゃんのブログで、2011/3/27。この時に「梅元庵」も名無しの地蔵堂として登場しています。木瓜爺ブログの撮歩81-02 が一番詳しいのかな?

鳥居をくぐって、すぐ右に末社が置かれていますが、この末社に関して書かれたものは見つけていません。おそらく神社の土地の地主神でしょう。m97-09-02 F8881

「新編武蔵風土記稿」では、御霊神社について、こう書かれています。『御霊社 境内(浄泉寺境内のことです)の北なる川岸にあり村の鎮守なり 神体は木の坐像にして長一尺はかり 束帯の形なり この像古へ八王子なる御霊権現の神体にてありして後年ここに引移せしりと云う されとそれも古きこととみえて前に出せる文書に北は御霊宮川傍云々とあれは天正九年の頃はすてにここにありしことしらる』 この前出の文書というのは、近藤出羽守の「制札」で、浄泉寺の周辺の草刈りについて書かれているようですが、全部漢字なので木瓜爺には分かりません(?)

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これは、社殿再建の時に建てられた石碑の「祭神」と「由来」。なお、浄泉寺の方に書かれていた「鎌倉権五郎屋敷跡」云々というのは眉唾。権五郎影政は鎌倉周辺に住んでいた人なので、この石碑にあるように、村長(若しくは土地の士)のところに「立ち寄った」程度の関わりでしょうね。木瓜爺には、経路的に立ち寄る道とは思えないので、むしろ「御霊大明神」が近藤出羽守によって、八王子城下の御霊谷戸からここに移された後に、作られたお話のように思えます。ということは、この舘村の山にあった古い時代の砦に、近藤出羽守が手を加え、屋敷の傍の非常用砦(浄泉寺城などと呼ばれている)にすると共に、そこに寺や神社を設けたのでしょう。

おや、絵馬がきれいに並んでいました。神殿にお参りして・・・狛犬も元気なようです。灯籠にくっついた子獅子(?)も元気でした。

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町田街道に出ようと、「舘ヶ丘団地」の中を通って見たのですが、意外に分かりにくい道で、かなり時間をロスしました。何とか「街道」にでて、南進開始です。

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あっという間に、「町田市」に入りました。

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「蔵王権現」がある場所は、手持ちの地図では「権現谷」と書かれていました。「権現谷」というからには、権現様が有ったのだろうと探して行って、「蔵王権現」であることが分かりました。

次は「新編武蔵風土記稿」をひもといて「上相原村」にそれらしい記述を発見しました。

『蔵王権現社 除地水田四畝五歩 陸田四畝 字高良谷にあり 小祠 石階三十七段を上り又四十八段あり 鳥居は柱間五尺 村もち』

水田と陸田の両方があるのは、この辺では珍しい存在です。石段は、37+48=85 何とか上がれるだろう・・と、思って出かけたわけです。

「相原病院」への入口を右に入って、病院の方には行かず、さらに右の谷間に入って行く・・・

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町田街道からの分岐点は分かりました。右折して、二つに分かれた道の谷間コースと・・無事に入れました。200m程のところに右の山に上がる石段がある筈。

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200歩ほど歩いて、辺りを見回しますと、あれ? 地蔵堂?

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これが権現様ってことはないよなあ? だいたい石段が10段しかない・・ところが、これが急な石段です。10段でもおたおたしてしまいます。巾が狭いのです。ほかに、それらしい道はないか? もう20歩ほど進むか・・・見つけた! 見つけたのはよいのですが、これが恐ろしい階段です。まさに「怪談!」ちょっと、横から見てくださm97-09-14 蔵王権現階段F6171い。m97-09-13 F6170 蔵王権現跡 

45度を超えています。こんな「石梯子」とても登れません。途中で勾配は少し減りますが、靴が半分外に出てる状態で50段以上ありそうなところを登る自信はありません。四つんばいで行けば登ることは出来るかも知れませんが、とても無事に帰還出来るとはおもえません。残念ですが、断念することにして、お地蔵様の方に行くことにしました。

DSC_1232 家に戻ってから、「相原蔵王権現社」で検索してみると、お一人、この階段を上った「快男児」がおられました(もしかすると「階段爺」?失礼しました)。やはり、帰りをどうするか悩まれたようですが、上まで行って探したら、別の道があって無事に下れたそうです。その方の写された神社の写真を拝借。こんな立派な「小社」があるそうです。いずれ、別道の方を探して、再挑戦しましょう。それまで、写真を拝借します。町田市の観光ガイドの方にはこう書かれていました。『創立、延享二年(1745)十一月一日。吉沢小兵衛により奉斎した。氏子五戸。 昔は蔵王権現といい今でも「権現様」』こちらの写真を拝借しようと思ったのですが、小さい過ぎてだめでした。

それで、お地蔵様のほうです。

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これがまた、不思議なお地蔵様なのです。頭巾を目深に被っておられるのですが・・左膝を立て、右足は横に組んでいます。地蔵菩薩としては比較的少ない形。

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傍まで行って、頭巾を上に上げさせて頂きましたが、このとき奇妙なことに気付きました。頭が丸くないのです。頭巾の上から触ると、丸みのない凸凹の感じ。二つ考えられます。王冠のようなものを付けておられるのか、或いは 脳腫瘍の手術でも受けられて、頭蓋骨が切り取られているのか?  お地蔵様の足元に、妙な物が供えてありました。m97-09-18 F6167

これは「勝軍地蔵」なのでしょうか? 質問しても、答えなしです。土台の石には、「萬霊供養」と彫られていますので、お地蔵様なのでしょうねえ・・

m97-09-19 F6160横の六地蔵塔・・・これもよく見ると、阿弥陀塔に見えてきたりして・・六面の六道地蔵塔ということにしておきます。なんとも不思議な場所でした。「新編武蔵風土記稿」には、この地蔵に関しては何も記述されていません。

蔵王権現社が、急坂の上なので、里宮的配慮でここにお地蔵様を据えられたのかも知れませんね。そう解釈したくなる木瓜爺でした。

次は、「浅間神社」を探します。直ぐ傍に「熊野神社」もあるようです、

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