2015/07/09: 陸奥国一宮:木瓜爺撮歩99-06 上山(かみのやま)から盬竃(しおがま)神社へ (No.2374)

「デジタルカメラの最大の利点は、沢山写せることなのだ」と、つくづく思ったのが、今日のブログに使用する一本のフィルムです。このネガカラー、撮影日も分かりませんが服装からみると夏場のようです。傍に1991年の日付が書かれたフィルムが見つかっていますので、その頃だと思います。

頭の方は、私が講師を務めた研修会から始まっています。生徒さんの顔をみても、はっきり思い出せなくなっていますが、山形県上山市にあった工場での研修会のようです。其の次に出てくる写真が、上山(かみのやま)城門の所に立つ家内の写真です。どうやら、半日の研修なので、午後からはプライベートの旅行に切り替えたようです。多分、早朝出発で山形まで走ったのでしょう。研修の間は、家内は町の見物をして、城で落ち合ったという事でしょうか。そのまま、城の見物をしたようです。

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城から見た風景が並びます。これは、工場のあった方角を写しています。

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蔵王方面ですね。次は南の方。

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この日は、上山で泊まってしまったのか、建物の中の写真が出て来ました。そして、こm99-06-04 img016んな番付表を写しています。

江戸時代の「天保年間」の調査によるものらしい。

右側は名産の番付。大関に「高松和紙」というのが上がっています。調べて見ると『高松の紙の起源は不明ですが、寛永年間(1624~1644)に大和国吉野郡の松本長兵衛安清が上山に来て、ウルシ漉しの麻布紙(あざぶがみ)(吉野紙)を伝えたといわれています。しかし、高松にはそれ以前から紙漉きが行われていたという記録があります。
その一つに光明紙がありますが、それにまつわる伝説として、「高松川の両岸に民家があり、この地の住民に紙漉きの技を教えたのは、四国の高松からこの地に移住した僧侶・光明坊である」といわれています。高松の地名も四国の高松にあるようです。 かつては100戸を超える紙漉き農家がありましたが、現在は1戸のみが伝統を守っています。
コウゾやベニバナを栽培し、萱簀(かやす)を編み、紗を簀に張り付けるなど、自給自足の紙づくりをしています。 ベニバナやアイの植物染料で楮紙を染めています。麻布紙は特別求めがある時のみ漉いています。』と、説明されていました。

左側は「名所」だそうですが、知らないところばかりです。仕事での出張は、殆ど周辺m99-06-05 img020の観光」などしませんから。改めて歩いて見たいですね。このあと、突然駐車場の写真が出て来ます。車は「レガシー2000GT」でした。手にしている地図は、「牡鹿半島」のようです。そして、いきなり鳥居の写真になります。これは、「陸奥国一宮」の額がかかっていますので、「盬竃神社」という事になります。

「塩釜」につくまでには、かなり走っているのですが、山形自動車道でしょうか? そして牡鹿半島を回って、何も見えなかったので、駐車場で「ここだよ」と地図を持った写真を写したのかなあ・・・この線が有力だな。

m99-06-06 img019塩竃神社

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塩釜の「盬竃神社」は、二つの神社が重なっています。「志波彦神社」と「盬竈神社」。この関係が少し複雑で、延喜式の式内社は「志波彦神社」で、「盬竈神社」の方は式外社なのだそうです。ですから、もしかすると「志波彦神社」のほうが「陸奥国一宮」だったのかもしれません。現在は、「塩竃神社」の方が大きくて、「志波彦神社」はお添えもののようになっています。このフィルムでも、「志波彦神社」はまるで写していません。

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家内の記憶によると、塩竃神社に早朝にお参りした事があると言います。神社の奉仕会の人々が、掃除をしたり、お参りをしたりしていたというのですが、この写真をみると、太陽は低い位置にあるように思われます。一団が座り込んで拝礼していたりするので、この時の事かもしれません。ただ、牡鹿半島を回って来たとすると、むしろ夕方の筈だし・・・方角はどうなっているのだろう? これは、「塩竃神社本殿」なのです。

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この地図には方角の表示がありませんね。でも、上が北に書かれているようです。そうすると、先ほどの写真の太陽は、北にある! そんな馬鹿な! 多分左手・・つまり西にあるのでしょう。夕方です。やれやれ・・・

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この「盬竃神社」の本殿、左右に二つの宮が作られています。向かって左が、「右宮:経津主神(ふつぬしのかみ)」そして、向かって右が「左宮:武甕槌神(たけみかづちのかみ)」。写していないのが不思議なのですが、右手に「別宮:塩土老翁神(しおつちおぢのかみ)」が祀られています。この別宮の神様こそ、全国にある「盬竃神社」に欠かせない方なのです。

当時は、木瓜爺も神社仏閣、普通程度の関心しかありませんでしたから、こんな乱暴な写し方しかしていないのです。デジカメならここだけでも十数ショットしていますね。

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これは、境内にあった案内図ですが、先ほどの地図の方が字が読めます。中央右の囲が「志波彦神社」です。盬竃神社のHPによると、この両方を一つにして「陸奥国一宮」の扱いだったように書かれています。

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随神門を下から写していますが、階段の途中の白い線は、フィルムのひっかき傷のようです。でなければ、スキャンの時ゴミ取りに使った刷毛の毛でも残ったのか?

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最後の写真は、通りがかりの小父さんが、写して下さった写真なのですが、鳥居にピントが合って、人間は遠くで暈けております。カメラがどんどん遠ざかって行くので、カメラ持って行かれるのじゃないか?と、失礼な想像をしてしまった写真でした。
思い出したといえば、このあと、盬竃神社御用達の「仙台味噌の老舗店」を見つけ、うまいお味噌を入手しました。しばらくは、取り寄せなどして使っていたのですが、子供達が次々と独立して家を離れ、使用量が極端に少なくなったので、止めざるを得なくなったのでした。

一本のフィルムからいろいろな事を思い出すことが出来ました。明日はまた、別の所に・・・

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