2015/07/10: 長崎観光;木瓜爺撮歩99-07 グラバー邸と出島 (No.2375)

「世界文化遺産登録(明治日本の産業革命遺産)」に湧く「長崎」です。ただし、今日は1990/3/18の写真です。多分、九州の福岡と長崎、大学を二つほど回って、教授の方々のお話を伺った仕事を終えた翌日だと思われます。夜、長崎の中華街あたりに泊まって、朝から歩きはじめたような記憶なのですが、確かかどうかわかりません。記憶からいうと、もう一本オランダ坂辺りを写したフィルムが見つかってもよいのですが・・スキャンのときネガを入れる順序が怪しくなったようで、写真の順序が自然でないかもしれません。

「長崎の歴史」を考えると、「外国との限られた交易窓口」であった時期の印象が一番強いのですが・・・そのあとが、今度の「世界文化遺産となったような時代」、そして「原爆以降の時代」と、大きく変化して行くのですね。ただ、明日のブログには、「鎖国以前の長崎の悲劇」が登場します。

前置きは良いのですが、この冒頭の写真が、どこで写したのか思い出せない!

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こんな所ありましたかねえ? 今インターネットでグラバー邸付近の地図を拡大して眺めているのですが・・・グラバー邸の第二ゲートを入った所の池かなあ? 日本庭園の池じゃないよな? デジカメですと、大抵写す場所に行く経路で何か写しているのですが、フィルムは枚数制限で途中を省略しているので、思い出しにくいのです。

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こちらは見たような風景。フェリーの乗り場の方向ですね。右方に出島も見えて居るのかもしれません。なにしろ、高い所から海を見ました・・・あとで、ゆっくり写した場所を見つけます。

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あれ?何故下っているのだ? これは何だっけ?

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収拾がつきません。

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「自由亭」が出て来ました。喫茶室になっています。

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やっと分かるのが出て来ました。グラバー邸の本館部分ですが、もっと下がって写せよ! ポスターと同じ形にならないじゃないか!

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やや、また変なもの写している! グラバー氏のことを紹介しておきましょうね。HPの文章を拝借します。『1859年(安政6年)、長い鎖国が終わりを告げ長崎・横浜・箱館(函館)の3港は世界に門を開きました。同時に諸外国の商人たちは大浦居留地の周辺に住居を構え貿易を営み始めます。これら貿易商人の一人、英国スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバー(T.B. Glover 1838~1911)の住居は、数多い洋風建築の中でも独特のバンガロー風様式を持つ、現存する日本最古の木造洋風建築です。
安政の開国直後の1859年、グラバーは弱冠21歳で上海を経由して来日、ベテランの外国人商人たちの中にあって茶やその他の産物、武器船舶などを取り扱う商人として仲間入りをしました。やがて彼は、日本の再建に外国人商人としての立場を超越した活躍を見せ始めました。
それには日本の若い志士たちに国際的な目を開かせることが先決だとして伊藤博文をはじめ数多くの若者の海外勉学の旅を斡旋しています。こうして維新動乱前後に多くの新時代の日本の指導者が続出したのは彼の努力に負う所が少なくありません。』

m99-07-12 ng069長崎市民病院の近くに、こういうものが有るのをご存じですか? 日本での鉄道の始まりは、「新橋-横浜」ということになっていますが、それに先立つこと7年。慶応元(1865)年、長崎に蒸気機関車が走っているのです。走らせたのは、英国人グラバー、長崎居留地の海岸通り、600mの線路を敷き、上海で買い込んだ「蒸気機関車」と「客車2両」を、走らせます。乗るのは無料です。つまり、デモンストレーションを行ったのです。長崎市民は大興奮だったでしょうね。グラバー氏は、こうゆう啓発活動にも熱心だったようです。つまり、ニーズに気付かせる市場開発をしていたわけです。なお、「横浜-新橋」の方は、営業鉄道の最初です。

では、グラバー邸を離れて、市民病院に近い、出島に寄ります。

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出島はこういう扇形の島だったのですが、現在は海がなくなって、看板の下の川で区分m99-07-13 ng071されているだけです。出島は公園化されて、主要な建物は模型的に造られており、見学コースなども用意されています。さらに、昨年でしたか、10年がかりで、「復元整備計画」というのを起動したようです。え? 出島の目的? 出島のHPもあり、詳しく書かれています。年表の頭の所をコピーしてみましょうか。

『1634年 寛永11年 出島築造に着手
1634年 寛永11年日本人の海外渡航禁止
(第2次鎖国令)
1634年徳川幕府はキリスト教の広がりを防ぐことを目的とし、長崎の町に住むポルトガル人を一か所に集めるため、出島の築造を命じました。
出島は、岬の先端部に人工的に作られた築島で、面積15,000㎡の扇形の島でした。1635年 寛永12年 唐船の入港を長崎港に限定 日本人の海外渡航、海外在住日本人の帰国全面禁止、大型船建造禁止(第3次鎖国令)1636年 寛永13年 出島完成
ポルトガル人を出島に収容(第4次鎖国令)』なお、当時日本と交易出来る西洋の国は、ポルトガルだけだったのです。それで、幕末にかけて、スペイン、イギリス、フランスなどが食指を伸ばしてくるのです。

出島を見たので、木瓜爺、市内ぶらぶら歩きをはじめたようです。m99-07-15 ng073

おなじみのめがね橋。

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お土産を買ったのは、このカステラ屋「松翁軒」、老舗です。・・このあと、長崎駅の西側のある場所によります。そこから明日に・・・

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