2015/07/12: 信州;木瓜爺撮歩99-09 飯縄(いづな)神社から戸隠神社奧社へ (No.2377)

これは、明野村に速駈けした数日後です。大学の同級会がありまして、飯綱高原に現地集合。この同級会、60才になった年からはじめた「夫婦同伴」が原則という会。最初は、「還暦になったのだから、妻にも感謝しようよ」というところからはじまった、年一回の行事です。1996/8/24 ですから、多分3回目くらいのときでしょう。

明野の時と同じように、四時出発で現地に向かっています。違うのは助手席に家内が寝ている事です。集合時間より少し早くついたようで、カメラの記録は、付近の散歩からはじまっていました。

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「飯綱」は「いいづな」と読むのですが、同じ音を「飯縄」と書く場合もあります。そのそもは、「飯砂」だったという説を聞きましたが、「食べられる砂」があると言います。これは、砂ではなくて、『場所によっては「天狗の麦飯」などとよばれたりする藍藻(らんそう)または菌類と藍藻の複合体です。』なのだそうです。

「飯縄」を「いづな」と読むこともあるのですが、こうなると、やや「怪奇味」が出て来ます。それは、「管狐」の話とつながるのです。「飯縄使い」というものの説明からはじめましょう。これは、インターネット上の「国語事典」からです。『飯綱使い:古くから起こり、中世以後に流行した妖術。また、それを使う人。信州飯綱(いいづな)神社に起源をもつともいわれ、荼枳尼天(だきにてん)を祭り、管狐(くだぎつね)を使って魔術を行ったという。』 。 「管狐」というのは、正確ではないかもしれませんが、竹筒のような「管」に「妖獸・狐」を隠してあって、その狐を使って「まやかしをする」、「狐使い」の術だったと記憶しています。

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なんか、妖術使いが現れそうな景色ですね。この高原には「霊仙湖」「飯縄湖」「大池」「大座法師池」と四つの池があるのですが、多分、「大座法師池」あたりを散歩しています。

m99-09-03 大座法師池 015

そして、出て来ました。「飯縄神社」です。

m99-09-05 飯縄神社 018

「飯縄神社」は「飯縄山頂」に「奥社」があります。登るのにどのくらいかかるかも知らないので、お参りしなかったようです。でも、これは、「里宮」だったので、すぐ上に社殿があったようです。ちょっとお参りするのだった。神社のHPから、由来を写しました。

『飯縄神社 由緒:当神社は、西暦270年頃第15代応神天皇の御代飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り、飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりで、本地を大日如来とし 848年学問行者が飯縄山に入山して、この如来の尊容を拝したと言われる。
西暦1233年に信濃国荻野(信州新町)の地頭 伊藤兵部太夫豊前守忠綱が、飯縄大明神のお告げにより入山し、山頂に飯縄大権現を勧請した。忠綱の 子、盛綱も父に従い入山し、荼枳尼天の法を修得、 父より飯縄の法(管狐を使う独特の法術)を受継ぎ、飯縄原始忍法を確立、自ら「千日太夫」と称し、飯縄信仰を全国に広げると共に忍法の祖となった。
又、武門の尊崇を受け、特に足利三代将軍義満は、 紫金仏の地蔵菩薩像を飯縄山本地仏として寄進し、室町時代末期には武田・上杉両家の深い尊信を受け 神領を寄進され、徳川三代将軍家光も朱印地百石を寄進するなど、飯縄信仰は全国的に伝播、万余の末 社を有し、全盛を誇った。この里宮は、千日太夫の冬季居所に武田信玄が創建したものといわれる。
 飯縄山は山頂より食べられる砂(飯砂)を産し、参籠の行者等は、これを採って食べたことから飯砂山、転じて飯縄山と言い、これは保食神(皇足穂命)の霊徳として、明治六年長野県庁より皇足穂命神社の称号を与えられた

基本祭神は「飯縄大明神」、本地は「大日如来」・・山頂には「飯縄大権現」・・「荼枳尼天の法」+「飯縄の法」=「忍法」・・ いやはや、複雑! でも、「飯砂山」だったことは分かりました。それなら「いいすな」「いすな」と「す」の字を使えばよいのになぜ「つ」を使うのかなあ?

とにかく、時々お目にかかっております「飯縄大権現」の大元が、ここの奧社であるという事のようです。

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ちょっと小雨模様ですが、集合時間になりまして、幹事さんが手配して下さったバスに乗って、戸隠見物に出発です。途中、長野の冬季オリンピックにまつわる、自然破壊の防止と後始末の話などを聞きました。戸隠奧社の入口の蕎麦屋で食事をして、そのあと奧社に参拝・・・

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戸隠神社奧社の随神門あたりですね。霧雨が降ったり止んだり・・カメラのレンズが時々曇るようで、ピンボケが続出しています。

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でも、嫌いじゃないな・・こういう雰囲気・・m99-09-09-033_thumb.jpg

戸隠神社の説明は、HPに任せましょう。

『戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。』

m99-09-10 戸隠神社九頭竜社034

m99-09-11 九頭竜社035

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奧社は二つの神殿がありますが、何故か「九頭竜社」の方しか写していません。この右奥に「奧社」があるのですが、足元があやしくて、写真どころではなかったのかもしれません。お参りした覚えはあるのですが・・・九頭竜神社の方が、木瓜爺が歩く奥多摩では馴染みが深いのです。

奧社の方は、『祭神:天手力雄命(あめのたぢからおのみこと) 解説:日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。』ということで、

九頭竜社は『祭神:九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)  解説:鎮座の年月不明ですが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就の御神徳高く特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結の神として尊信されています。』となります。

この日は、ここから一旦宿舎の方に行き、夜は宴会。翌日出かけた戸隠湿原と中社は明日に・・・

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