2015/07/15: 山陰・山陽・駆足バス旅;木瓜爺撮歩99-12 広島平和記念公園 (No.2380)

お盆の中日(?)、本来ならお坊さんをお願いして、仏壇でお経をあげて頂く日なのですが、自前でやります。般若心経はテープもあるから、合唱することにしよう・・・

『昭和20年(1945年)8月6日、月曜日の朝は快晴で、真夏の太陽がのぼると、気温はぐんぐん上昇しました。   深夜零時25分に出された空襲警報が午前2時10分に解除され、ようやくまどろみかけていた人々は、午前7時9分、警戒警報のサイレンでたたき起こされました。この時はアメリカ軍機1機が高々度を通過していっただけだったため、警報は午前7時31分に解除されました。一息ついた人々は、防空壕や避難場所から帰宅して遅い朝食をとったり、仕事に出かけたりと、それぞれの1日を始めようとしていました。
この時、広島中央放送局では、情報連絡室から突如、警報発令合図のベルが鳴りました。古田アナウンサーは、警報事務室に駆け込んで原稿を受け取り、スタジオに入るなりブザーを押しました。 「中国軍管区情報! 敵大型3機、西条上空を・・・」と、ここまで読み上げた瞬間、メリメリというすさまじい音と同時に、鉄筋の建物が傾くのを感じ、体が宙に浮き上がりました。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下されました。』

これは、広島市のHPに書かれている「原爆被害概要」の冒頭です。ついで、

『原子爆弾は、投下から43秒後、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。
爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。
原爆による被害の特質は、大量破壊、大量殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害がその後も長期間にわたり人々を苦しめたことにあります。』 被害の詳しいことは、「広島平和記念資料館」に行けば分かるのですが、最近では資料館のHPでも読めるようです。

なお、「広島平和記念資料館」は現在改装中(本館の展示は見ることができます)、平成28年春には完成するようです。

m99-12-01 hiro016

「平和記念公園」の「原爆死没者慰霊碑」。遠くに「原爆ドーム」が見えて居ます。静かに頭を下げて黙祷・・・

この公園の説明『平和記念公園一帯(中島地区)は、江戸時代(えどじだい)から陸海の交通 の要衝(ようしょう)として栄えていました。また、明治になると、市庁舎(しちょうしゃ)、県庁舎(けんちょうしゃ)のほか、広島の物流の拠点(きょてん)となるなど、政治・行政・商業の中心となりました。
被爆時(ひばくじ)のこの地区7町の住民は、合計で6,500人と推定(すいてい)されています。
1945(昭和20)年8月6日、人類史上初めて投下された原子爆弾(げんしばくだん)は、この地区の頭上で炸裂(さくれつ)しました。地区の住民はもとより、当時この付近で建物疎開作業(たてものそかいさぎょう)に従事(じゅうじ)していた多くの国民義勇隊や動員学徒が非業(ひごう)の死を遂(と)げ、街並(な)みも一瞬(いっしゅん)のうちに消え去りました。』

「原爆ドーム」というのは、「広島県物産陳列館」という建物でした。ただし、原爆にやられた時期には、内務省関係の事務所として使われていました。

m99-12002 hiro020『竣工年月日 1915(大正4)年4月5日 建立者  広島県(1953(昭和28)年広島市へ譲渡) 設計者:ヤン・レツル (現在のチェコ出身の建築家) 形状:レンガ(一部鉄筋コンクリート)モルタル仕上げ、玄関部分は石造りで地上3階一部5階建て、地下1階のセセッション様式と呼ばれる建築物で曲面を多用しているのが特徴。』『広島県物産品の販売促進を図る拠点として造られた広島県物産陳列館は、大胆なヨーロッパ風の建物で、県下の物産品の展示・販売のほか、博物館・美術館としての役割も担っていました。その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称し、戦争が激しくなった1944(昭和19)年3月には産業奨励館としての業務が廃止され、内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材・日本木材広島支社などの統制会社の事務所として使用されていました。』

m99-12-03 hiro018「原爆の子の像(げんばくのこのぞう)」。像のモデルは、佐々木禎子さん。原爆による白血病で死去。同級生らによる募金運動により作られた像です。今も千羽鶴が沢山供えられているでしょう。

バスは、この平和公園の駐車場に入り、自由時間。当然「広島平和記念資料館」を見たい所ですが、時間が中途半端なんですねえ。幸いに、木瓜爺も家内も別の機会に寄っていますので、軽く公園を散歩。「ホテルに荷物おいたら、<広島風お好み焼き>を食べに行くぞ」なんて言っていたのですが、ホテルで夕食を食べたら眠くなってしまって、未だに現地で「広島式お好み焼き」を食べていないのです。ただ、今となっては、あの巨大な奴は毒でしょう。

一夜あけて、宮島に行きます。

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