2015/07/16: 山陰・山陽 駆足バス旅;木瓜爺撮歩99-13 厳島神社 (No.2381)

今日は、もう ”送り火”です。年々貧しくなるなあ・・と、ご先祖様がおっしゃっているようです。年々収入は減少しているにもかかわらず。むしり取られる介護保険料(木瓜爺は撮歩健康法で、介護には関係のない位置にとどまっています)や税金はどんどん増加していますから、仏前も淋しくなるのは当たり前。

広島を出たバスは、廿日市に入りました。フェリーで厳島(宮島)に向かいます。・・

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どんよりと曇った空です。

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「厳島神社」があるから「宮島」となったのでしょうねえ? 「厳島神社」は余りにも有名。1996年に「世界文化遺産」になった「厳島神社」・・『嚴島神社は海を敷地とした大胆で独創的な配置構成、平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美で知られる日本屈指の名社です。廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮かんでいるよう。背後の弥山の緑や瀬戸の海の青とのコントラストはまるで竜宮城を思わせる美しさです。』・・パンフレットの文句です。

『 御祭神: 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)  田心姫神(たごりひめのかみ)
湍津姫神(たぎつひめのかみ)』。この神々は、木瓜爺が「宗像三姉妹」と読んでいる神様方です。『嚴島三神は、宗像三神ともいい、畏くも皇祖天照大神と素盞嗚尊(すさのうのみこと)との誓約(うけい、神聖な占いのこと)によって、素盞嗚尊の剣から天照大神が生みだした、三柱の姫神さまであります。美人の誉れ高く、日本の代表的な海の神である嚴島三神は、福岡県の宗像大社や広島県の厳島神社の祭神としてよく知られています。「日本書紀」には、天孫降臨の際に「道の中に下り居して、天孫を助け奉りて、天孫のために祭られよ」とその道中の安全を守護するようにと天照大神から命じられたとあり、そこから海上安全、交通安全の神として信仰されるようになりました。これは、大和朝廷と大陸朝鮮半島との交流が盛んになるにつれ、ますます盛んになりました。 海は神秘的な力を持ち豊かな恵みをもたらしますが、その一方で荒れ狂ったときには、人も船も飲み込んでしまう凶暴性を発揮します。でありますから、海に生活の糧を求める古代、中世、近世そして現代の人々に至るまで、海に対して強い恐れと崇敬の気持ちを感じ、海を司る神霊を鎮めるために、嚴島三神を祀って安全と恵みを祈願しました。』

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この神社のスポンサーとして有名だったのは、「平の清盛」「毛利元就」などですが、最近はスポンサーではなくて、太鼓を寄附しただけの「奇兵隊の高杉晋作」が観光用に利用されています。TV「大河ドラマ」恐るべしですね。

『この地は幕末明治維新の大きな原動力となった高杉晋作を始め奇兵隊諸士が活躍した明治維新発祥の地であります。
慶応元年(1865年)4月、徳川幕府は第二次長州征伐令を発し、同2年(1866年)6月、大島口(山口県大島郡)・芸州口(広島県)・石州口(島根県)・小倉口(福岡県)の四境で兵力の圧倒的不利にもかかわらず、戦いの火ぶたが切らました。
この戦に際し高杉晋作は長門国嚴島神社に戦勝祈願を行いました。この四境戦争での長州軍の勝利は討幕への重要な契機となったが、中でも高杉晋作が指揮する小倉口戦いです。小倉口戦いは、最大の激戦となり、長州軍は奇兵隊・報国隊の2隊を先鋒とし戦い、ついに慶応2年8月1日、幕軍総帥小笠原壱岐守が小倉城を脱出、小倉藩は自ら城に火を放って敗走しました。攻め入った長州軍は余燼の中から、この太鼓を持ち帰り、高杉晋作が戦勝祈願を行った嚴島神社に大御神へのお礼にと奉納したのであります。』

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厳島神社といえば、海の中に立つ朱の鳥居ですが、この剥げチョロケの鳥居は、珍しいでしょう。塗り替え直前だと、こうなって居るのです。

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バスをおりて、お参りしています。最初にここにお参りしたのはまだ20代のころですが、随分変わっていました。こういう階段や手すりみたいなものが、整備されているように思います。

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そう言えば、「厳島神社」が全焼したことが有りましたね。ちょっと調べましょう。これが、紛らわしい話でして、木瓜爺もビックリしたことが有るのです。

「長門国 厳島神社」でした。下関市にあります。『当神社は、平成4年6月17日未明、浮浪者の放火により社殿を全焼いたしました。その後、一日も早い社殿再建を願う多くの方々のご支援を頂きながら募財活動を進めてまいりました。その結果、第一期工事として平成13年5月に本殿再建、第二期工事として平成19年4月拝殿・瑞垣・翼舎再建と相成りました。衷心よりお礼申し上げます。しかしながら、祭事において、大きな役目を果たす弊殿の再建には至らず第2期工事の中断を余儀なくされています。引き続き、弊殿再建のための募財活動を進めております。』

木瓜爺の旅行が平成3年でしたから、「えーっ 厳島神社 が焼けてしまったの?」って飛び上がりましたが、ブログを書くまで、そのことも忘れて居ました。

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m99-13-10 宮島040この時の印象の一つが「鹿がふえたなあ」でした。やたらに居ました。m99-13-11 宮島039

これは、「亀居山方光院大願寺」の山門。「厳島弁財天」を祀っています。この時も帰りの時間が迫っていたようで、弁天様にはお参りした痕跡(写真)がありません。

さて、明日は、秋吉台なのですが、まるで写真が有りませんので、ちょっと工夫が必要なようです。これ以前に一人で「秋芳洞(鍾乳洞)」に入っているのですが、スライドにした写真が見つかりません。

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