2015/07/18:山陰・山陽・駆足バス旅;木瓜爺撮歩99-15 萩 (No.2383)

NHKの「花燃ゆ」でしたっけ? 吉田松陰にはじまるお話・・あの舞台になった場所m99-15-01hgi金毘羅大権現025のいくつかを見て来ています。雨の中の移動だったのですが、萩の市内に入って止んだようです。フィルムの方の最初の画像は天狗面です。これだけで、どこだったか思い出すというのは、大変な話・・・でも。インターネット利用の推定だと、分かる事があるのですねえ・・画面の左に額がかかっています。まず是を読みました。「金毘羅大権現」です。「金比羅大権現&萩」で探したわけです。

これは、「月輪山 法光院 円政寺」の境内にある「金毘羅大権現(金毘羅神社)」なのです。面は文政3(1820)年の奉納品です。現在の写真を見ると、二つ並んでいるようです。

さらに、木瓜爺が寄った時にはなかった、重さ160kg 直径1.3mという巨大な鏡がおかれています。なんでも、江戸時代に奉納された鏡ですが、戦争中の供出かなにかで行方不明になっていたものが、2006年、オークションに顕れたのだそうです。円政寺では所有権主張をしたらしいのですが、取り戻す事ができずに、オークションで競りおとしたのだそうです。そういういわくの鏡が、この場所に飾られているそうです。

さて、この天狗面ですが、子供だった高杉晋作が「度胸をつけるために」ここに連れてこられたというお話つきの面です。この「円政寺」は、建長6(1259)年の創建、毛利以前の「大内氏」の祈願所であったお寺で、場所も違っていたようです。現在の地名ですと「山口市円政寺町」にあったとのこと。毛利の時代になってからも、「毛利輝元」の庇護を受け、こちらに移転しています。「真言宗」です。

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さて、この写真は何でしょうね?柱の所に何か書かれていますが読めません。

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市内を歩きはじめたようです。

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この家は「高杉晋作」の屋敷のようです。

そして「松下村塾」に行きます。

m99-15-06 hgi030松蔭神社

まずは「松蔭神社」。「松蔭神社」というのは、二つあります。一つは、刑死しした松蔭の墓にちかい「世田谷区若林」にある「松蔭神社」。もう一つが萩の神社です。

m99-15-07 hgi031松下村塾 

「松下村塾」です。ここも、今は「世界遺産」になっていますね。

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講義室だそうです。10畳。TVのイメージとはだいぶ違いますね。

m99-15-09 維新胎動の地hgi035

「維新胎動之地」という石碑が建てられていました。

松下村塾を出て、萩焼の窯元などを自由見学です。

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このとき、萩焼の壺と灰皿と飲茶椀を購入したのですが、その湯飲みの包みを、バスをおりるときに置き忘れたのです。気が付いて、探しに行って、問い合わせたのですが、結局出て来ませんでした。ツアー客の中には、そういうものを見つけても、持って行ってしまう人がいるということを知りました。

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ここは、「護国山 東光寺」でしょう。開基が3代藩主「毛利吉就」。この方、「黄檗宗」に帰依しておられたとかで、「黄檗宗」の寺だったようです。毛利家の藩主の墓所があります。確か、3代、5代、7代、9代・・という奇数の方々だったと記憶しています。

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墓近くの灯籠の下にいたごっつい亀が印象的でした。明日はツアーの最終日。岩国に行きます。

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