2015/07/19: 山陰・山陽・駆足バス旅;木瓜爺撮歩99-16 岩国城 (No.2384)

岩国には昼前の到着だったようです。

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フィルムは「殿様寿司」(岩国寿司)の実演からはじまっています。

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この、巨大な「押し寿司」です。5段位重なっています。米5升くらい使うという大物もあるようです。これは、我々の昼食を切り分けようとしている所です。

昼食を済ませて、残り時間は・・お城往復くらいは問題なさそうです。m99-16-04 iwa046

お城は、山の上に見えていますが、ロープウエイで行けます。

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これは、「金雲閣」という建物、藩主の居宅跡に近い場所にあります。神社の「絵馬堂」として作られたとか・・城の組織ではないようです。

ロープウエイから下を見ています。ロープウエイ乗り場の駐車場ですね。m99-16-06 iwa048

錦帯橋の方の駐車場はもっと大きいです。この写真がそうでしょう。

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ロープウエイで上まで上がりました。錦帯橋が見えて居ます。

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こちらが、「岩国城」。この城は「吉川広家」が作った城。こう説明されていました。『関ヶ原の戦い後、毛利氏の減封にともない毛利一門の吉川広家(毛利元就の孫)は、石見・出雲・伯耆12万石から、1600年(慶長5)に、岩国3万石に転封された(のちに6万石)。1602年(慶長7)から、錦川を天然の守りとする横山の南麓に居館(御土居)を構え、翌年に横山山上に長さ300m、幅200mにわたって本丸・二の丸・北の丸を構築。本丸北隅に3層4階の天守を構えた。1603年(慶長8)に着工し、5年がかりで1608年(慶長13)完成。山頂の要害と山麓の居館をあわせて岩国城といった。
なお、1615年(元和1)の一国一城令で山上の城は取り壊され、以後、明治の廃藩置県まで、山麓の居館が岩国藩庁となった。現在、居館跡は吉香神社となっている。1962年に、山上に天守が復興された。』

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これは、城用の井戸です。小さな場所ですから、比較的ゆっくり眺めて。またロープウエイで下におりました。

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岩国飛行場は軍事基地でもありますから、写真は遠慮しておきます。

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冨士山が見えました。もうすぐ、羽田です。忙しかったなあ・・・こういう駆け足のバス旅は下見的意味合いでは良いですね。これで、ポイントを絞り込んで、のんびり自分のプランで歩くのが良いのでしょう。とはいっても、なかなか行けないですが・・

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