2015/07/26: 青梅街道狭山付近;木瓜爺撮歩98-34 原山・神明社 (No.2391)

武蔵村山市中央3と中藤2の間に、「観音寺森緑地」というのがあります。東京都と武蔵村山市が共同で取り組んでいる「丘陵地公園」なのだそうですが、この地が「観音寺の森」と呼ばれていたのを引き継いだ命名のようです。ということは、「観音寺」という名前の寺があったと言うことなのでしょう。昨日は省略してしまったのですが、「新編武蔵風土記稿」の記述を見直しましょう。『観音堂 除地コレモ同シ邊ニアリ(この項の前に、徳蔵院という寺の説明があり、小名萩尾の東にあり とかかれています) 四間半ニ四間南向ナリ 正観音ハ一尺八寸許 古ハ観音寺ト云シヨシ今中藤新田ニ移セリ』 四間半×四間 というのは、かなり大きなお堂です。何度も読み直したのですが、『ここに「観音寺」があった。其の寺は、新田開発の一環として、中藤新田に引っ越したが、「観音堂」だけがこの地に残されている』と解釈することにしました。それが、「原山観音」の母体だと思います。

納得して、元の道に戻り、又東に進みます。右側の青梅街道に吸収される寸前で、左に曲がり次の辻で右折・・青梅街道の横の道を進みます。このあたりの青梅街道には、分離された歩道がないのです。

地図では「原山」は「神明神社」、「六つ指地蔵」そして「原山の地蔵尊」があります。ただ、ZENRINのダウンロード地図には、「神明神社」はマークされていません。あるのか、消えてしまったのか・・・あ、鳥居があった・・・

m98-34-01 F8998神明社

鳥居をくぐって直ぐ左には「原山公会堂」。「公会堂」という表現は、昭和の中期までです。其の少し後は「公民館」とか「市民会館」という名前の方が多くなったでしょう。

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階段の上に建物が見えますが、何かビミョーな雰囲気。この違和感は実際にみないと、分からないでしょうね。・・・あれホントに神社?・・半信半疑で石段を上がります。

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m98-34-05 F9007やっぱり変だよ? 張り紙してあります。おいおい、じゃあ、どうすれば良いの? 首をひねりながら、右の方を見ると・・・あ、お地蔵様だ・・行って聞いてこよう・・・m98-34-06 F9010

 

こちらが「六つ指地蔵尊」なのですが、「神明神社はどこでしょう?」と伺いに行くと、「目を開けてよく見ろ」との回答。よく見ると・・成る程・・

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傷んだ社殿の真後ろに別の社殿と境内社が見えます。あ、ホントだ・・後でまたお寄りしますので・・お地蔵様にお礼を言って、駆け戻ります。

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社殿のこんな所に石段が隠れていました。上段には、三つの社がありました。

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向かって左の端は、正一位のお稲荷様です。真ん中が、神明社。

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そして、右側の一回り小さい社は・・・「大口真神」・・「御岳神社」のつもりなのか、「大口真神社」としているのか、その辺はちょっと曖昧です。外に貼られた御札は「武蔵御岳神社」の御札です。中は「大口真神」つまり狼神を祀っています。

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「新編武蔵風土記稿」をひもときましょう。「神明社」は三つ書かれていますが、これがここでしょう。『除地 小名原山ニアリ 覆屋二間ニ三間 内ニ小祠置 境内ニイリ石段十一級ヲ登リテ稲荷ノ小祠ヲ西ニ立 神職ヲ指田摂津トイフ』

これでみると、神明社の中の古い小社が神殿のようです。そして稲荷神社は昔からの末社のようです。

「多摩の神社準備室」は、どうまとめてくださっているか・・・

『原山神明社  鎮座地 中央3-70 祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 無格社 別当寺 真福寺 例大祭 7月20日 21日
m98-34-15 F9031神明社解説 :当社はもともと、お伊勢の森神明社の遥拝所であった。 江戸時代末期には、陰陽師の指田家が神主を務めた。指田福明は文化元年(1804)陰陽師の本家、土御門家よりそれまで名乗っていた掃部から摂津に受領名を変更する事を許されている。また摂津の名を継いだ息子の指田藤詮は天保5年(1834)~明治4年(1871)まで日記を記しており、「指田日記」として江戸時代の陰陽師の様子を伝える貴重な史料となっている。』・・・あっ! そうか! 「指田日記」というのは、有名な古文書なのです。この撮歩のなかで、きっとまた出てくるでしょう。「お伊勢の森神明社」というのは、新青梅街道沿いにある神明社のようです。ただ、お伊勢の森神明社の遙拝所というのは、木瓜爺の常識(?)とは合いません。神社の向きも180度違いますからねえ? 「ここから拝んだ」という意味では分かるのですが・・・普通は、近い社殿(神様の出張所?)を拝むと、その延長線上に神様の本拠があるという配置で作られているものなのです。

神社DBとして参考にさせていただく「多摩の神社 準備室」や「猫のあしあと」を見ても、「廃屋的建物」が前にあることなど、書かれていないのです。ここが木瓜爺撮歩の特色(?)それにしても、あの建物、丸窓を覗くと、祈祷殿のように見えましたが・・神楽殿みたいな役割の建物だったのでしょうか? 或いは、原山の鎮守だとすれば、村人の集会所だったのか?「長床」という簡易宿泊所のことを、嵐山町の鎌形八幡社で書きましたね。それに近いものかも知れません。

なお、「新編武蔵風土記稿」では、お伊勢の森神明社 とおぼしき「神明社」に、「中藤村と横田村の鎮守となせり」と書かれています。

では、お地蔵様の方に戻って、お礼を言って来ましょう。

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2015/07/26: 青梅街道狭山付近;木瓜爺撮歩98-34 原山・神明社 (No.2391) への1件のフィードバック

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