2015/07/31: 青梅街道狭山付近;木瓜爺撮歩98-39 谷津仙元神社 (No.2396)

冨士講というのは、平安末期から有るのだそうですが、現在元祖とされているのは、西暦で1500年頃の「長谷川角行(藤原角行)」という方のようです。この方の造られた冨士講の流派は、五代くらい後の所で分裂します。新派の方をはじめたのが「月行」という人だそうですが、この弟子に「食行身禄」という人が現れます。「身禄」は、伊勢(三重だったかな?)の商人で、商売の成功者なのですが、「月行」に感化されて、冨士講にのめり込み、「一字不説の巻」・「御添書の巻」・「お決定の巻」などという教義書を書いたり、私財をなげうって、普及活動をし、新派の方のトップになりますが、旧派には勝てず、最後は冨士山山頂で断食して入定。皮肉にも、このあと爆発的に「冨士講」が全国に広がったようです。ここから算えて5代目くらいになるのでしょうか、「星行」という行者が出ます。此の人が、今日のブログに登場してきます。

m98-39-01 F9171

木瓜爺、熊野神社の横の道を山に向かって歩いています。ここから勾配を感じる道になります。左側の低い部分、茶畑のようですが、草に負けています。もう世話する人がいないのでしょうか? 何だかもったいない気もします。

m98-39-02 F9172

m98-39-03 F9174

少し疲れて来たらしく、この辺りから写真が手ぶれの連続です。ISOを上げれば解決するのですが、その知恵が働くなっている状態。不法投棄防止にお地蔵様が出張っています。しかし、ひどい状態です。あとで詳しくお見せします。

m98-39-04 F9176

だいぶ高度を上げてきました。尾根筋まで行くと自動車道路とサイクリング用の「多摩湖自転車道」が並んでいる道に出ます。そこから、ほんの少し上がって、左に入った所に、「仙元神社」がある筈です。この「多摩湖」周辺は冨士講が盛んな地域で、あちこちに人工冨士山(冨士塚)が作られています。なかでも、「谷津冨士講」は現在でも活動が活発な冨士講というリストに入っています。

m98-39-06 F9178

自動車道路に出ました。あ、ここです。車が神社の方に入らないよう柵が出来て居る道です。写真がぶれてしまって失敗しましたが、この道入って直ぐ左側に湧水があります。水量は多くないので、たまり水に見えますが、手を入れると結構冷たいです。首に巻いていた手ぬぐいを濡らして、凉を求めました。

直ぐに「仙元神社」につきました。この真後ろに高さ数メートルの「冨士塚」が出m98-39-07 F9180来て居ます。

「新編武蔵風土記稿」には、この「谷津仙元神社」は出ていません。「昌平坂学問所」が、「新編武蔵風土記稿」の作成事業をしたのが、1810~1830年です。箱根ヶ崎村の浅間神社は収録されていました。ここは、それより新しいのか、それとも、山の中なので割愛されたのか?

「多摩の神社準備室」を見ましょう。

『谷津仙元神社 鎮座地 中藤3-85
例大祭 5月5日(本祭り)
解説:江戸時代末期に富士講によって建てられた祠と富士塚。
文化3年(1806)再建されている。
富士講の先達、星行から教えを受けた山行星命が当地に富士講を伝え創建したという。富士塚上からは晴れた日には見事な富士山を遥拝できる。』

もうあった筈なので、割愛のようですね。或いは冨士講が造った神社ということで、無視したのか・・・「星行」が出て来ましたね。弟子の「山行星命」というのは、中藤村のお百姓さんです。藤七さんだったかな? 冨士山ですが、木が茂って見えませんでした。冬場だとどうかな?

m98-39-08 F9181

この説明板が良く書けていました。ここでは、「身禄」を中興の祖としていますね。

m98-39-10 F9187

m98-39-11 F9188神社の後ろにこれが有りました。この真ん中の像の台座部分を見てください。

「江戸麹町 星行・・ 市ヶ谷・・」今は使われない文字なのでよく分かりませんが、こんな所にも「星行」の文字が出て来ました。

では、ちょっと冨士山に上る事にしましょう神社のまえにあった石碑を忘れていました。m98-39-09 F9185

m98-39-12 F9182

登山口は三ヶ所有るようですが、神社の脇から登ります。すぐ山頂に着いてしまいました。そこには屋根部のない小さな祠が置かれていました。m98-39-13 F9192

せまい山頂部には、ベンチがあるのですが、これどうやって使うのだろう?

m98-39-14 F9193

裏の方に下ろうとしたのですが、だいぶ遠回りになるようなので、来た道を戻りました。さて、これで、七月末までのブログ種が出来た筈だから、お地蔵様の云うとおり、早く帰ろう・・・

自動車道に戻りました。m98-39-15 F9197ガードレールの向こう側が「自転車道路」なのです。人間はどちらを歩くのだろう?なんて、余計なことを考えて見に行ったりしている内に、下り道の分岐を通り過ぎてしまったのです。

ひょっとすると、云うことを聞かない木瓜爺の懲らしめだったのかも知れません。まあ見てください。お地蔵様の苦労・・

m98-39-16 F9198m98-39-17 F9202m98-39-18 F9205

m98-39-20 F9203

もっともひどいところはここです。廃業したらしいラブホの敷地一杯にゴミが積まれています。捨てて有るものをみると、若い方が、引っ越しするのに、古い家具を全部捨てていったという感じの場所もありました。m98-39-19 F9208

とにかく、狭山付近の住民のゴミ処理公徳心は0という感じです。よそから持ってくるのだと云われるでしょうが、うんと遠くから車にゴミを積んで、わざわざ多摩湖の脇まで持って行って捨てるとはとても思えない・・・武蔵村山、東大和付近じゃないのかなあ?

m98-39-21 F9210

ここだここだ、ここで下らないといけないのです。左に坂を下りました。熊野神社の脇を通過、青梅街道の「中藤バス停」に出ました。

m98-39-22 F9214

珍しく、バスが時間前に来たのです。それも5分も早く(前のバスが10分遅れたのかもしれないけれど)。今にして思うと、ゴミの写真を写させたお地蔵様が、時間の埋め合わせをして下さったのかも・・というのは、順調に立川駅北口にもどり、青梅線で羽村に戻って、空を見上げると、今にも降りそうな雲。

堰下橋を渡って、我が家に付いた途端に、ピカッ、ガラガラ、ドカン! 大粒の雨に加えて、雷様まで大騒ぎになりました。のんびりしていたら、えらいことになった筈。お地蔵様の早く帰れは、ここまで見越しておられたのかな?

さて、明日、8月の撮歩は、町田街道の落ち穂拾いからスタートします。

広告
カテゴリー: , 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中