2015/08/01: 町田街道;木瓜爺撮歩97-14 大戸・荏柄(えがら)八幡社 (No.2397)

8月に入りました。今日は最初の土曜日。都下では三箇所で花火があります。八王子、昭島、青梅。八王子の花火見物は八万人、昭島が四万人、青梅が二万人。打ち上げられる花火の数は、多分青梅が一番多いと思うのですが、会場の片側が北側が山なので、見物は南側からしか見られません。それで、見物人も少なくなるのでしょう。青梅は一尺五寸という大きな玉が呼び物になっています。

先日、八王子市館町から町田街道を南下して、大戸観音にお参りし、相原に向かって進んだのですが、今日の「江柄八幡社」と明日の「子の神社」が見つけられなかったのです。今回は事前に、入口が分かるように準備を整え、再訪問です。

7/27 この日も猛暑日でした。昨日まで書いていた狭山付近にしろ、この町田街道にしろ、本来夏歩く場所ではありません。木瓜爺は意地で歩いていますが、皆さんは夏以外のときに歩いてください。といっても、無鉄砲な歩きをしているわけではありません。十分ではないでしょうが、それなりに対策し、体調を考えながら歩いています。

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これは、水に浸して、首に巻いておくクールタイ(?) 登山用品の一つですが、毎年一本購入しています。1年使うと吸水性能が落ちてしまいますので、毎年購入ですが、売っている商品そのものが毎年変わっています。定番になるようなものが出来ないようです。シャツは、倅に買って貰った山用ロングTシャツ。すけすけのネットみたいな生地です。半袖では、腕の日焼けでひどいことになります。ロングTシャツだけですと、ポケットが不自由なので、網目のカメラマン・ベストを着ています。財布とケイタイと喫煙用具、それに「梅干し」「塩飴」程度の携帯食がベストに入っています。飲料水は、ザックのポケットに入れてある場合と別の水筒入れで肩からぶら下げている場合がありますが、1.5l を目安に用意しています。ただし、町歩きの場合は、途中で補充できるので、とりあえず500mlで歩きはじめることもあります。やや不便な場所の場合は、「特製ポカリスエット(粉末を購入して、自分で濃度若しくは塩分追加調節して溶かしたもの)」を用意して持って行きます。 木瓜爺の場合、汗をかきすぎると、指が攣るという症状が出ますので、この「特製ポカリ」は薬代わりでもあるのです。それから帽子ですが、昔兵隊さんが行軍のときつけていたような、横と後に日光を遮る布がついている登山用の帽子をかぶっています。と、手の内を明かして、安心して頂いた上で、歩きはじめましょう。

m97-14-01 大戸観音F6361この日は、横浜線の相原まで行きまして、相原から 神奈中の「大戸行き」に乗りました。「上大戸」で下車すると、大戸観音の前です。観音様に「先日はお世話になりました」とご挨拶して、確認し忘れていた部分を確認。お堂の中なのですが、拝殿と内陣に分かれているようです。観音様は奥の方におられるのでしょう。m97-14-02 F6364

 

 

 

 

 

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そうそう、観音堂の額が「園通閣」でしたね、八王子市高月の「圓通寺」と何か関係があるのか調べようと思っていて、忘れています。そのうちに・・観音堂の西北隅に、尼僧達のお墓がありました。観音堂のそばにあったという、「祐照庵」は尼さんの庵だったのかもしれません。 ほら、あとで出てきた十一面観音「恵日庵」でも尼僧の話が出て来たでしょ。

もう一つ、境内にあった石碑の写真を・・・m97-14-04 F6373

 

 

これなのですが、中央に「妙法」その左右に「日天」「月天」、下方に「金神」「水神」。これ何とみます?「法華経」に関連する何かだと思うのですが、まだ理解出来ておりません。

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さて、出発します。町田街道に出て来ました。ここを渡って右へ行きます。

「八木重吉記念館」というのが出来て居ます。これが「江柄八幡社」を分からなくするイタズラ者なのです。

記念館に入って行くふりをして、塀沿いに回り込め・・

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この角のことだな・・このみちを入って、左に曲がります。つまり、記念館の真後ろに行くのです。なぜ、こういう事になるのか?? これは、もともと、この八幡様が、八木家の氏神様であったためらしいです。村の鎮守とされた時代は、多分誰もが、寄れる道になっていたでしょう。

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あ、石段があるようですね。

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見えました。ここからは、神社らしく成っています。

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早速「新編武蔵風土記稿」を広げます。多摩郡15上相原村・・『八幡社 除地畑一段五畝十八歩 荏柄ノ八幡ト云 字内坪ニアリ 小祠ニテ村持 此邊ノ鎮守ナリ』

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ここは、八幡神社と云われていますが、祭神が「応神天皇」ではないのです。では、だれかというと、「安閑天皇」だそうです。木瓜爺は「八幡神社=応神天皇」と決めてかかっていたのですが、例外があるのですねえ・・ひょっとすると、源氏系八幡様と平家系八幡様があるのかも知れないなどと考えてしまいます。

何から引用しましょうか・・・「町田市史 下巻」から・・『当社の創立は元禄14年(1701)11月3日。 八木一族の守護神として春日谷に勧請したもの。寛文7年(1667)3月の検地の際に畑一反五畝一八歩の除地があった。ご神体は木彫りの座像で八幡大神の神像であり内殿に安置してある。祭神は応神天皇を奉斎している。  例祭日は毎年11月15日。氏子は8戸。祭神:安閑天皇  由緒:由緒書きなし 。 元禄14年(1701)建立。神官:常駐せず 宮司:不明  所在地:町田市相原4497 』・・・この市史は矛盾しています。祭神は応神天皇を奉齋と書いた直後に、祭神:安閑天皇 と変わっています。

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八幡神社の大元は、「宇佐八幡神社」です。ここの祭神は『一之御殿は八幡大神(御名:誉田別尊(応神天皇))、二之御殿は比売大神(御名:三女神(さんじょしん)=多岐津姫命(たぎつひめのみこと)、多岐理姫命(多紀里比女命)(たぎりひめのみこと)、市杵嶋姫命(いきしまひめのみこと))、三之御殿は、神功皇后(御名:息長帯姫命)』でした。一般には『八幡様の御祭神の多くは、応神(おうじん)天皇(誉田別命・ほむだわけのみこと)、神功(じんぐう)皇后(息長帯比売命・おきながたらしひめのみこと)、比売大神(ひめおおかみ)の3神で、応神天皇の御父にあたる仲哀(ちゅうあい)天皇、御子の仁徳(にんとく)天皇をあわせて祀る場合もあります。また3神は、三座一体といいますが、その主神は応神天皇であり、他の2神、神功皇后や比売大神などは祀られていない場合もあるようです。』と、説明されています。しかし、「安閑天皇」を祭神とする八幡神社をネットで調べて見ると、兵庫県、秋田県などには、沢山あるようです。全国にどのように分布しているのか、調べたくなってきました。

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m97-14-14 F6388この「荏柄八幡神社」は、八木家の守護神として勧請されたものであるとのことですから、八木家の系譜をさかのぼると、なぜ「応神八幡」でなく「安閑八幡」なのかが分かるのかも知れませんね。神殿の脇におかれた石祠・・・何か知っているのかも。

静かな、境内です。しばし、休息・・・

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