2015/08/05: 町田街道相原;木瓜爺撮歩97-18 瀧ノ谷 御嶽社 (No.2401)

「圓林寺」は相原町3729 に有りましたが、圓林寺の東側の道を「ゆくのき学園」の方に入って、最初の道(多分)を右に曲がります。番地でいうと3836を目指すのです。そこに「御嶽神社」があるというのですが・・・これがまた、かくれんぼの上手な神社でして・・・

m97-18-01 F6477御岳神社

あの辺なんだけどなあ・・あれ? 石段があるみたいだ。まともな道には見えません。公道から芝の生えた崖をよじ登るような道の付け方。木瓜爺の足は上に大きく上がらなくなってしまっているので、横のお宅の石段を使わせていただいて、1.5m程上がり、横に移動してやっと、参道に入りました。帰りに確認したら、石段の反対側にブロック積みを乗り越えて上がってくる小径がありました。

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見えて居た階段の下まできました。「御嶽神社」です。

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「町田町史下巻」のダイジェスト文章によると、『当社は正保4年(1647)9月15日の創立で、滝の谷に松本一家の守護神として奉斎したもの。寛文7年(1667)3月の検地の際には除地として畑五畝二十歩があった。鳥居の沓石に安永2年(1773)11月とあり鳥居の建立の年月日と思われる。祭神は日本武尊を奉斎する。例祭日は8月27日。氏子は8戸。』なのですが、「相原を学ぶ会」編の「相原の歴史」によると。『祭神:日本武尊  境内裏に稲荷社あり。由緒:由緒書きなし 。 正徳4年(1714)の建立。』

建立が随分違っています。正保と正徳の違いですが、寛文の検地記録があるなら、正保が正しいでしょうね。ただ、町史では鳥居があるように書かれていますが、見回した範囲では鳥居が見えませんでした。

「新編武蔵風土記稿」では、次のように書かれています。『御嶽社 除地陸田五畝二十五歩 小祠 此邊ノ鎮守ナリ 村持』

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社殿の中に置かれた神殿。左右に建てられた布製らしいものは何と呼ぶのでしょうか。最初、石碑がおかれているのかと思いましたが、十二一重みたいに重なった布のようです。「幟」の一種ということにしておきます。

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社殿の背後に、小さな祠が置かれています。町史のほうの「稲荷社」でしょう。

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町史によると、「松本家の守護神」からはじまったというのですが、なぜ「御嶽神社」なのだろうか? 疑問が湧きます。ましてや、「日本武尊」を祀っても、たいして御利益は期待できないでしょう。山岳宗教の影響も考えられないことはありませんが、それよりも、獣害よけの「大口真神」を祀りたかったのではないかと思うのですが。

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そんなことを考えながら一休み。ユリが咲いていましたが、みんなかしがってしまって・・

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下におりて、圓林寺の交差点に戻ります。途中にキツネノカミソリが一本咲いていました。

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手前のお宅の石垣なのですが、この狭い路地を入って、右へ曲がり、神社の階段に行く道があったかも知れません。この大石が目印だったりして・・・

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町田街道に戻ってきました。ここで左に進みます。400m程先から、又山側に入って「神明社」を探します。これも風土記稿にある神社らしい・・

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2015/08/05: 町田街道相原;木瓜爺撮歩97-18 瀧ノ谷 御嶽社 (No.2401) への1件のフィードバック

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