2015/08/06: 町田街道 相原;木瓜爺撮歩97-19 神明社 (No.2402)

今年も、広島原爆被災の日がやってきました。黙祷・・・・ 8/1に、昭和天皇が8/15にされた「玉音放送」のノイズレスにしたものが放送されていて、それを聞きました。いろいろな事が脳裏に蘇りましたが、とにかくあの詔勅の内容は、日本国民が心にとめておいてほしいと思いますね。

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町田街道を東に向かっています。「町田大戸郵便局」を通過します。次のバス停は・・読めないなあ、写真を変えます。「境橋」です。ここで「境川」の話を書いておきます。

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今歩いている町田街道は47号線、これとほぼ平行に、南側を、大戸で分岐した48号線が通っています。この二本の道の間に、「境川」が流れているのです。「境橋」というのは、境川にかかる橋の一つです。話はその「境川」のほうです。この川は、巾は三間という小さな川ですが、「武蔵国」と「相模国」の国境線なのです。実際の地境は、川の昔の流れにそって凸凹していますが、川が国境であったことは間違いありません。武州(武蔵国)「上相原村」の南は、相州(相模国)「川尻村」、もう少し下流になると、武州中相原村と相州橋本村という具合になって行きます。

48号線の方にも、寺社が並んでおり、いずれ歩きたいと思っているのですが、「新編武蔵風土記稿」には記載されておらず、「相模国風土記稿」を入手しないと・・という状態です。

右手にキュービック・ストアというのを通り過ぎて、さらに150m。そろそろ、入口かな?と左に入りました。そして直ぐまた左折。しばらく進むと、道は右にカーブ。そして、石段が見えて来ました。また山の中程にあるようです。

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m97-19-04 F6512手すりがないなあ・・いやだなあ・・でも、見た目よりは登りやすい石段でした。「新編武蔵風土記稿」の記述。『神明社 除地陸田六畝二十歩 水田三畝八歩 此邊ノ鎮守ナリ 村持ニテ小祠』

「相原の歴史」によると、『天御中主命(あめのみなかぬしのみこと) 由緒書きなし。建立:正保4年(1647)7月15日と伝えている。 現存のものは平成18年1月改築 所在地;町田市相原町3198番地』

としている神社のようです。

m97-19-05 F6514神明社

 

 

 

神明社は、天照大神としているのが多いのですが、ここは、天神の初代までさかのぼって祭神としています。どうも相原村はへそ曲がりが多いらしい?

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社殿の中には、小型の神殿が納められていました。ただ、いささか乱雑ですねえ・・m97-19-08 F6519

 

 

 

 

風土記稿の「上相原村」の神社仏閣をたどって来ましたが、この先から「中相原村」に入るようです。「上相原村」の神様は、人間の生活に押しまくられて、山の中で細々と暮らされているような感じでした。

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