2015/08/07: 町田街道 相原;木瓜爺撮歩97-20 地蔵山 行昌寺 (No.2403)

「新編武蔵風土記稿」では、行昌寺は「中相原村」に書かれています。『除地 二段六畝 字三堂谷ニアリ 禅宗曹洞派 同郡上椚田村 高乗寺末 地蔵山ト号ス 本堂五間半ニ五間 本尊地蔵 木ノ立像 長一尺三寸ハカリ 開山ハ月中宗掬ト云 天文二十年九月九日示寂セリト』

m97-20-02 F6525

この行昌寺、ネット上の情報は意外に少ないお寺です。相原町のホームページを参考にしましょう。『行昌寺 (地蔵山行昌寺) 天文20年(1551年)開山。浅川の高乗寺の末寺で本尊は釈迦牟尼仏。寛政6年(1794年)に再建。当時の屋根は茅葺の荘厳なものであったが、昭和22年(1947年)に改築、平成元年に本堂、庫裏、客殿を全面改装しました。本堂には相原村の義人、諏訪加賀の位牌が安置されています。』

住所は「相原3020番地」のようです。

門前、向かって左側に観音様があります。「あいはら観音」と銘が記されています。右側にはお地蔵様なのですが・・・

m97-20-05 F6532

大きな地蔵坐像の後ろに「首なし六地蔵」それではあんまりだということで、「六小僧」が前にいます。ちょっと脱線します。ここは、町田市相原ですが、遙か南の、相模原市相原6-6-2に「龍源山正泉寺」というお寺があり、そこは「関東百八地蔵尊」の第91番ということで、いろいろな地蔵菩薩にお目にかかれるようです。相原という地名は、地蔵信仰が盛んだったのでしょうか?

m97-20-06 F6533

この寺、相原町HPで、天文20年開山と書いていますが、これは疑問。「新編武蔵風土記稿」の記述を読み違えていると思います。開山の「月中宗掬」が天文20年に亡くなったのですから、それ以前に出来て居る筈です。これが根拠なら「天文20年以前」が正しい表現になりますね。別の情報ですが、「まちだ市民会議の会報」をPDF版で拝見しました。この中にあった「相原町そぞろ歩き」の記事では、「天文2年開山」と書かれていました。根拠の記載はありませんが、この方が良さそうです。なお、親寺の「龍雲山 高乗寺」については、Choi-Boke爺ちゃんのブログで、訪れております。なかなか良いお寺でした。7月18日: 木瓜爺撮歩09-1 初沢城址周辺 龍雲山高乗寺

高乗寺は、開山当時(1394年)は臨済宗でしたが、1505年頃曹洞宗になっています。天文2(1533)年でも天文20(1551)年でも、曹洞宗ですから、「行昌寺」は曹洞宗として出発していますね。開基者の「行昌居士」から名前を「行昌寺」としたと言う説がありますが、鶏と卵・・・どちらが先か?

m97-20-07 F6536

こちらが本堂。風土記稿時代の本尊は「地蔵菩薩」でしたが、今は「釈迦如来」なのでしょう。境内に神社がありました。寺の守護神でしょうが、m97-20-08 F6541何かは分かりません。

m97-20-09 F6542

 

「神明造り」の神殿ですが、地震にやられたのか、被害が出ています。

m97-20-10 F6543

平成元(1989)年の改装という本堂ですが、境内に昔の遺物が置かれていました。

m97-20-11 F6545

この石碑に、由来が書かれていました。これで疑問は解けて行きます。概略をメモ・・『地蔵山行昌寺は天文2年、孝養院繁室行昌居士が開創され、八王子市初沢町の高乗寺第五世月中宗掬を招き御開山されました。・・・』

「相原そぞろあるき」の根拠は、この石碑でしょう。また、開基者は、亡くなられたたとき、寺名を法名とされたのでしょう。

m97-20-12 F6550

では、おいとまを戴きます。バスの時刻表と時計を見比べながら、「長福寺」に向かいます。まだ諏訪神社などが残っていますが、そろそろ体力的限界です。長福寺で切り上げることにします。

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中