2015/08/11: 八王子市館町;木瓜爺撮歩81-10 龍見寺 大日堂 (No.2407)

『大日堂 本堂ノ側ナル小高キ處ニアリ 前ニ石階アリ 三間四方ノ堂ナリ 大日ハ古ヘ羽洲湯殿山遙拝ノタメ勧請セシニテ 今ノ堂前ノ畑中ニアル小塚ノ上ニ造立セリト 今ノ地ニ移セシ年歴等詳ナラス イカナルユヘニヤ 慶安年中 大日料五石ノ御朱印ヲ御寄附アリシトイヘハ昔ハ龍見寺コノ堂ノ別当寺ナリシナラン 大日堂ノ後ノ山ヲ堂山トイフ 登ルコト二町許』

いきなり「新編武蔵風土記稿」でしたが、この大日堂の方が、龍見寺より大きな存在だったことが読み取れます。

m81-10-01 F6722大日堂と不動堂

何か、後ろの山が高い山のように書かれていますが、現在はこの写真でみえる右上の水平線が山頂部の高さです。そこが畑になっています。ですから、昔はもっと高い山であったものを削って平らな畑にしてしまったのかも知れません。

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三間四方と書かれていますが、それよりは大きいようです。「八王子市仏教会」の紹介頁を見てみましょう。タイトルは龍見寺ですが、むしろ大日堂中心に書かれていて、写真も大日堂が掲載されていました。

『光輝山  龍見寺  りゅうけんじ   宗  派 曹洞宗
御本尊 釈迦牟尼仏  寺  宝 木造大日如来(金剛界) 坐像、藤原時代末期の制作作者不明  開創年 永徳年間(一三八一年頃)  当寺は慶長三年(一五九八)関三刹の栃木県大中寺から天南松薫禅師をお迎えし本尊に釋迦牟尼仏を奉じ、曹洞宗として開山した。然し、それ以前永徳年間西谷戸堂平に圓融禅師により大日如来を奉じて堂宇が建立されたのが開創の時とされる。本堂は享和三年(一八〇三)に、大日堂は嘉永二年(一八四九)に、それぞれ再建されたものである。

これによると、龍見寺の開山は慶長3(1598)年であるが、大日堂は永徳年間(1381年頃)だと書かれていますね。それと、風土記稿の書かれたあと、嘉永2(1849)年に大日堂が再建されたという事です。そのとき、一回り大きいものにしたのでしょう。

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大日如来についての説明板が出ていました。地方の仏師による藤原末期の作となっています。たしかに、肩から腕の線が、見慣れた鎌倉期の仏像に比べると、ちょっと貧弱な感じがします。「やせっぽち」に見えるのです。

八王子市仏教教会のメモは愉快ですよ。『大日如来は坐像であり藤原末期(一一〇〇年頃)行基菩薩の作と伝えられ昭和三十七年東京都文化財に指定されている。』

出ました! 行基! 待ってました! 木瓜爺大喜びです。「行基」は「法相宗」という宗派なのですが、この「法相宗」というのは、「三蔵法師 玄奘」の教えなのです。なんとなく、西遊記の続きみたいな気分で、木瓜爺 大好きなのです。

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m81-10-05 F6729龍や木鼻の獅子もちゃんと有りますが、だいぶ埃で陰が薄くなったようです。お賽銭を入れて、お参りしました。正面の扉は、細かい窓なのですが、横の方の格子はレンズが覗けそうです。ちょっと失礼して・・・m81-10-06 F6732

 

中央に、厨子がおかれています。この中に、大日がおられるのでしょう。龍見寺に事前に連絡しておくと、拝観出来るそうです。不動様も同居なさっていないかと見回しましたが、内陣にはおられません。

大日堂の土壇に腰を下ろして、昼食にしたのですが、持っていたカレーパンが、オーブンから取り出したような熱さ・・といっても、殺菌出来ているほどではないので、雑菌が増えているだろうなあ・・と、心配しながら食べました。こういう日は、「梅干し入り塩結び」のほうが安心ですね。 気温は、少し下がって、32℃以下になっています。やはり、木陰の有り難さです。

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大日堂の脇に段々道が見えるでしょう。それと、其の左に小社があります。この段道は、この前裏山から下って来た道なのですが、途中に石の祠がありました。あれが、山王様じゃないだろうな? 気に成るので確認して来よう・・食後の運動に、上がりました。

m81-10-12 F6746m81-10-11 F6742

これだ、これだ、特に表示もありません。地主神が守っておられるのでしょう。ここから見える大日堂の屋根です。

次は、見えて居た小社の方です。これは、「天満宮」でした。

m81-10-09 F6738天神様

小さな社殿が中にあるでしょう。この中に「菅原道真」さんがいらっしゃるので、写しm81-10-10 F6739ておこうとシャッターを切ったのですが、これがちょんぼ・・ありゃ? お顔が写っていない!さては、ストロボがまぶしくて、ジャンプされたな・・失礼しました。

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この大日如来、1989年に発行された「東京都の歴史散歩(下)」に、こう書かれていました。『玉眼・寄木造・漆箔(しっぱく)の智拳印を結ぶ金剛界の大日如来で、肉付きうすく衣文の彫りもあさく流麗で、藤原時代末期の優美な仏像である。』

大日様に、また参りますとご挨拶して、石段を下ります。石段の下のお地蔵様と、弁天様にもご挨拶してこないといけない・・・

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