2015/08/15: 道東バス旅(1989);木瓜爺撮歩99-21 襟裳岬 (No.2411)

毎年書くようですが「敗戦の日」。いやでも、日本国民が大切に背負って行かなければならぬ「記憶すべき日」です。それこそが、帝国主義化のいましめになるのでしょう。今の政府は、「原発事故」も含めて、「記憶しておくべきこと」を忘れさせようと必死になっています。理由は簡単、独裁政治を復活させたいからでしょう。・・・なんて、ちょっと愚痴をいう木瓜爺です。

孫達が顔をみせてくれると、ブログ種取材どころではなくなりまして、先月からぽちぽち取り込んでいるフィルム・スキャンの写真を使うことにしました。これは、1989/4/29からはじまる北海道、道東のバスツアーの記録です。木瓜爺は54歳かな? 子育てもほぼ終了して、年に1回くらいは、二人で旅行しようかと申し合わせまして、同行は家内です。

写真は「東京タワー」からはじまっています。

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朝の飛行機が早い時間なので、芝で前泊したのです。ライトの点いたタワーと、翌朝のタワーが写されていました。芝のホテルに泊まったのでしょう。夕食のとき飲んだワインで、悪酔い気味になってしまったのは、この時かな?

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m99-20-04 hkd018翌朝、ジェット機で新千歳に向かいます。考えてみると、新婚旅行で福岡に飛んだときは、まだプロペラ機でした。羽田を発って一旦伊丹で着陸、給油をしてから福岡に飛んだのでした。あれは国産機「YS-11」だったかもしれない。かなり時間がかかって、二日市の旅館で夕食を食べたのは、夜中に近かったなあ・・・搭乗口に向かう一行・・多分ツアーの同行者達でしょう。

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飛行機の中で写したものですが、さーて、どこでしょう。猪苗代湖は見えないですから、那須の上空でしょうか・・まてよ? 左上のほうに湖があるのかな? 川は2本写っているようですね。あとで、地図と見比べてみます。

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北海道に着いたようですね。この時のフィルム、妙に粒子が粗いのです。カビが出ているのかもしれません。

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新千歳空港で、バスに乗り、南下して、海岸線を「襟裳岬」に向かったようです。

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最初の観光地は「襟裳岬」でした。演歌がまだ盛んな時代でしたが、バスの中で聞いたかどうかは覚えていません。「襟裳岬」の看板が写っていました。襟裳岬、6月以降の夏場は、霧に包まれることが多く、こういう晴れた景色は見られないと聞きました。たしかに、その後、仕事がらみで通ったときは、霧だけ見て来ました。

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このあと、「百人浜」ぞいに北上して、「十勝川温泉」に行ったのかなあ? はっきり覚えていないし、写真も少ない・・多分居眠りしていたのでしょう。この「百人浜」というのは、文化3(1808)年、南部藩の船が遭難して、乗組員100人ほどが寒さと飢えで死んだ場所。浜の真ん中辺りに「一石一字塔」という供養塔が建っています。一つの石に一文字づつ経文を刻んだ石が埋められているのでしょう。

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「幸福駅」に寄っていました。現在は「帯広市幸福町」 駅そのものは、元「広尾線」の廃駅です。廃駅になったのが1987年でしたから、1989年では、まだ2年しか経っていません。何年か後に、帯広出張をして、レンターカーで走り回った時、もう一度寄った事がありますが、そのときは、人影がないほど淋しくなっていました。・・そうそう、幸福駅の切符を使ったキイホルダーを土産に買ってきました。あれ、今、物置の鍵でも付いているのかな?

このあと、橋の写真がありますが、ぶれてしまっています。十勝川の橋でしょう。十勝川温泉のことは、殆ど記憶に残っていません。くたびれて熟睡あるのみ・・だったのでしょう。4/30終了です。

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