昨日、清水寺の情報があまりないと書きましたが、「観音堂」については、いくつか見つかっています。例えば、相原のホームページでは、「相原の紹介」の所で、こう書かれています。『清水寺 (瑞石山清水寺)(市指定有形文化財)(せいすいじ:ずいせきさんせいすいじ)
寛永元年(1624年)創建。観音堂は幕末に当時の名主であった青木勘次郎易直ら村民によって整備されました。中に安置されている観音像は「相原観音」とか「坂下観音」と呼ばれています。また観音堂の脇にある碑の一つは、天然理心流二代目を襲名した近藤三助の碑であり、もうひとつは種痘の普及に努めた蘭学医青木得庵とジェンナーの業績を称え得庵の妻である貴代が建立したものです。町田市の有形文化財に指定されている観音堂・鐘楼・水屋の彫り物が素晴らしく、そこには徳川家と縁のある寺として三葉葵紋が付いています。』
この観音堂の彫刻が素晴らしいのですが、木瓜爺の持参したカメラでは手に負えませんでした。ちゃんとした写真をご覧になりたい場合は、「堂宮彫刻写真美術館瑞石山清水寺」で検索してご覧下さい。と、他人のふんどしを借用しておきます。
最後の石段を上がります。
正面に「観音堂」、左に手水舎。水がなくて、龍君が「喉が乾いた-」と叫んでおりました。雨水受けの方の龍も「こっちも乾いたよー」。 木瓜爺のペットボトルを、少し分けてやろうと思ったのですが、中身がポカリだったので、べたべたしそうで止めました。
この雨水用の鉢、両側にありますが、本来は屋根から垂らしたチェーンを伝わってくる雨水を受けるものでしょう。こういう彫刻付きは珍しいと思います。石灯籠も「多宝塔」スタイルで、なかなか凝っています。
「新編武蔵風土記稿」の記述を忘れて居ました。『観音堂 境内西ノ方ニアリ 正観音ヲ安ス 木ノ立像ニテ 長三尺許 行基ノ作ト云』 嬉しいですね、また行基作出現ですよ。ただ、この書き方だと、観音堂の位置が微妙に違う感じ・・まあいいか。
観音堂前に戻って、額は「施無畏殿」でしょうか? 彫刻が見事でしょう。一応は挑戦したのですが・・・
鐘楼で悩んだ問題が、ネックになって、この有様です。
観音堂の説明板がありました。観音様にもご挨拶したし、そろそろ戻ろう・・・あ、「ジェンナー」を忘れて居た。「善寧児先生碑」です。
外にもいくつか石碑が並んでいましたが、どうも写りが悪いので割愛します。
道路に出る寸前で、もう一つ見つけました。「辨天様」らしいのですが、工事中のようで近づけません。
丁度お昼になりました。池を眺めながら、今日は賞味期限のせまったカロリーメイトの処分です。たりないなあ・・あとでコンビニに寄ろう。
バイパスの方に戻ります。
今度は、16号沿いに左折します。 ちょっと先で「境川」を渡りました。また「相模原市」に侵入です。住宅街の方に少し入って南に、竹藪が見えて来ました。「橋本山 瑞光寺」は、多分あの辺です。