2015/09/04: 青梅街道 芋窪;木瓜爺撮歩98-43 百澤山 愛染院 蓮華寺 (No.2431)

青梅街道を箱根ヶ崎の方から歩いて来ると、「大曲り」という十字路で、街道としては左折してしまいます。それを曲がらずに、どんどん東に進むと、消えてしまった「住吉神社」の前にやってきます。

木瓜爺やっと「蓮華寺」を見つけました。すっかり近代的(?)なお寺になっているようです。

m98-43-01 F9570連華寺

「新編武蔵風土記稿」に書かれた「蓮花寺」は『愛染院 除地六畝 字前坂ニアリ 百澤山蓮花寺ト号ス 真言宗新義 中藤村真福寺ノ末 開山開基ノ年歴ヲ伝ヘス 本堂八間半ニ七間 本尊不動 木ノ立像 長一尺三寸ナルヲ安スル』となっています。

「多摩湖の原風景」では、風土記稿に記録があるとした後、『前坂は土地では「めえ坂」というが、一説にはまゆ坂の意で、まゆの形に崩れる土があると云われていた所である。本寺は中藤村真福寺で、その出世寺といわれていた。』と、書いています。m98-43-02 F9571

「出世」というのは、偉くなる事ではなくて、俗世を捨てて剃髪し、僧侶になることを意味する筈ですから、仏教的に正しく使われた言葉であれば、真福寺の新僧養成所だったのでしょうか? 「慶性院」が「真福寺の隠居寺」だったので、こちらは若い方を受け持ったにでしょうかね?現実には、真福寺の住職になる前段階の住職が勤務したのでしょう。

『移転して芋窪三丁目にあり、いち早く近代的な本堂に建て替えられた。戦争たけなわの1944年(昭和19)都内赤坂小学校の児童を集団疎開で受け入れ、翌年には戦災孤児となった十三名の子供を入寮させ世話をした。現在も福祉関係に力をいれている寺である。』

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山門はくぐりにくい?ので、脇から入ります。

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境内に入って、すぐ右側に石地蔵が並んでいました。これらは多分石川からやってきたものでしょう。

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m98-43-06 F9581 これは、昭和になってからの記念碑ですね。次のは、とても読めません。「由来」のような記がするのですが・・・

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他にもありましたが省略・・本堂の前に行きます。「石澤山」の額がかかっています。扉は閉じていますので、下から合掌一礼。向かって右の鐘楼が面白いですね。ベランダに付いています。

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右の方に何かあるようです。入って行きます。

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成る程、弘法大師修行姿の横に、「子安地蔵」をセンターにした六地蔵です。センターがちょっと変わっているなと思ったのですが、子供達を守って来たこの寺の経歴からは、これがふさわしいのでしょう。幼稚園か保育園も出来て居るようで、それらしいチャイムやアナウンスが流れてきました。

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「蓮華寺」を辞して、また北に進みます。

m98-43-11 F9593奈良橋川

m98-43-12 F9595芋窪郵便局

奈良橋川にかかる「中丸橋」を渡りました。そこに「芋窪郵便局」。更に北に・・青梅街道に出る予定です。・・・青梅街道に出ました。東側には「芋窪派出所」。反対方向の西にむかいます。

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ようやく、「豊鹿島神社」の入口が見えました。

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最初の説明板は消えてしまって、全く読めません。まあ、境内にも何かあるでしょう。「新編武蔵風土記稿」にもびっしり記述があります。すべては、明日以降に・・

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