2015/09/10: 奥多摩散歩;木瓜爺撮歩92-10 奥多摩湖の留浦浮橋 (No.2437)

村山貯水池が作られるとき一部が湖底に沈んだ村を歩いて、それよりも後の時代に、奥多摩湖に沈んだ小河内村のことを思い出しました。昨日、屋鋪村の太子堂跡を書いたのですが、小河内村の太子堂が、奥多摩湖の縁に移設されていたけど、行った事がないなあ・・・と言うところが今回の撮歩の動機なのです。

撮歩92というのは、奥多摩むかし道を歩いた記録でした。むかし道は、奥多摩湖の小河内ダムから、JR奥多摩駅の近くまでの古道です。今回は、甲斐国と武蔵国の境目から東に歩こう・・・

「小河内村」は、「新編武蔵風土記稿」のころは、もっと細かく分かれています。1889年(明治22年)の町村制発布によって、「留浦(とずら)村」「川野村」「河内村」「原村」が合併し「小河内村」が出来たのだそうですが、この4村の名前が、風土記稿にはちゃんと載っています。手がかりはあるので、どんな寺社が引越して残っているのかも調べられそうです。

話は変わりますが、木瓜爺が「雲取山」や「七つ石山」に登ったコースは、初心者用と云われる「鴨沢コース」。「鴨沢」といっても、尾根歩きのコースです。この「鴨沢」には「賀茂神社」などがあるのですが、「山梨県北都留郡丹波山村」なのです。

国境になるのが、「小袖川」。東京側の字名が「奥多摩町・留浦」です。これはなかなか「とずら」とは読めませんね。観光案内所の会話としては「とめうら」でも通用しました。奥多摩駅発の「鴨沢西」行きに乗車して、木瓜爺は「留浦」に向かいました。2015/9/4のことです。 乗客は、途中の病院で降りたお婆さんと木瓜爺だけです。朝早いと登山の方がもっとおられるのでしょうが、9:40奥多摩駅発というような遅い便はガラガラなのですね。日原方面は、早い時刻しかバスがないので、タクシー待ちの人が列を作っていました。

m92-10-01 F9799奥多摩湖

m92-10-02 F9805直ぐにお婆さんがおりてしまって、後は木瓜爺の貸し切りバスですが、走行中は席を移動しないでください、なので、こんな写真になってしまいました。見えて居るのが小河内ダムです。そして、奥多摩湖に到着。ここからは湖畔を走ります。やがて、「留浦」に到着しました。目的の「太子堂」は二つ手前の「小留浦」というバス停の方が近いのですが、せっかくだから「浮橋」を歩いて見ようという魂胆がありました。m92-10-02 F9809

「浮橋」というのは、昔からある「ドラム缶橋」です。以前に書いた「生活橋」のサンプルにした橋ですねえ。奥多摩湖には2箇所にあります。駅前の観光案内所で伺うと、観光客は「小河内神社」に行く途中の「麦山浮橋」であそぶ方が多いとのこと。それで、木瓜爺は「へそ曲がり」ぶりを発揮して「留浦浮橋」の方で遊ぶことにしました。後で分かりましたが、これが正解。「麦山」の方は木瓜爺が「手すりがない!」と怖がる部分がありました。

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この案内地図看板、悩みましたねえ。自分がどこにいるのか本当に分からなかった・・これ「南北」が反対なのです。右上のコンパスのちょっと左に「現在地」のマークがあります。 気を取り直して、湖に下る道を見つけました。

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石段を下って行きます。見えて来ました。「ドラム缶」橋? ポリタンク橋に変わっているようです。色はドラム缶色(?)ですが、形が円筒ではなく、角柱です。

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さあて、渡れるかな? 人が乗ると沈みますので、ゆらゆらします。平衡感覚のおかしい木瓜爺には、ちょっと勇気が必要。 脇でカワウが魚を追っていたのですが、シャッターをおす直前に潜ってしまいました。m92-10-07 F9815

こわごわ、乗ってみたのですが、大丈夫なようです。手すりもあるし、手を手すりに乗せながら出発。

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上流側には、橋が見えます。多分、小袖川を渡る橋でしょう。橋の左に見える人家が「鴨沢」の集落だと思います。反対側は、行き止まりのように見えますが、右の方から先に続いています。

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対岸から4人ほど下ってきました。同じような作業衣を着ているので、水道局関係のメンテナンス・チームでしょうか? 数mの1ブロックに10人以上は乗らないでくださいと書いてあったなあ・・この人数なら進んでも大丈夫かな?  すれ違いの時は、やはり橋がちょっぴり沈みましたが、大きな動きにはならず、一安心。

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対岸にやってきました。このみち自体は行き止まりのようですから、向こう岸で折り返す事にします。

m92-10-12 F9832

対岸に上がって、「留浦」の方を写しています。

『三田領 留浦村  留浦村は郡の西にて国境なり 小河内鄕杣保庄に属せり 村老の傳ふる所は 留浦川野河内原の四村はいつれも小河内鄕に属し そのあたりを古へは小河内村と唱え 又小河内原村ともいへり 此所は土地いとひろかりしゆへ後世四村にわかちしものなるへしといへり さもあるへし 既に元禄のころははや四村にわかてるよし図にものせたり (中略) 江戸日本橋より行程二十三里余 民戸百十九軒 道の両傍及び山中に散在せり (後略)』 「新編武蔵風土記稿」の記述です。この頃の道は、もっと低い場所、つまり現在の湖底にあったのでしょう。記述で面白いと思ったのは、昔は、四村全体が「小河内原村」だったということです。明治になって「小河内村」として復活するのですね。

m92-10-13 F9833神社が七社、寺院が二寺と一堂 書かれています。村の鎮守である「貴布禰社」が大きな神社だったようです。この神社は、多分「小河内神社」に合祀されているでしょう。お寺は「光徳寺」という臨済宗の寺が大きかったようですが、留浦本村の中程にありとなっているので、水の底でしょうね。お堂は「阿弥陀堂」と書かれています。小名峰にありとなっているので、山の方に何か残っているかも知れない・・・

しばし、腰を下ろして一服した木瓜爺、おみこしを上げました。少し風が出て来ました。気持ちの良い秋風です。

疲れているわけでもないのに、膝がガクガクします。橋が秋風で揺れるからでしょうかね?

格好つけるな! 秋の風 浮橋ゆらし 爺震え・・木瓜爺は怖がりなのだ。

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橋の上に見えているのが、昔歩いた尾根でしょうか? 羽黒神社くらいまでなら登れるかなあ? 標準ペースなら一時間位なのですが、今は二時間でも行き着かない(途中で死んでる?)かも知れないな。詰まらぬことを考えている内に、戻って来ました。

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「青梅街道」という標識が出ている道です。これは「建材屋」さんですね。杣保の名残ですねえ・・バス停横のトイレに寄ってから、東に向かいます。ああ、ここは駐車場もありますから、立ち寄って浮橋を渡って見てください。

毎日ちゃんと開店しているかどうかは確かめていないのですが、食堂も2軒あります。下の写真。

m92-10-19 F9841

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さて、「太子堂」まで、バス停で二つ、歩きます。分離された歩道のない道です。

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