2015/09/12: 奥多摩散歩;木瓜爺撮歩92-12 留浦の石仏 (No.2439)

この「留浦村」山側だけが水面上に残った村だと思っていたのですが、細かく見て行くと、ほぼ全域残った村のようです。それでも、「新編武蔵風土記稿」と照合すると不思議なことがいくつかあります。「留浦村」の小名として記録されているのは、「留浦本村」「小留浦」「塔澤」「坂本」「狐屋敷」「雨降」「峰」「奥」「三澤」「ヒイツキ」の10名なのですが、東の「川野村」と思われた「峰谷橋」から北に入る道に、バス停名として、南から北に「坂本」「雨降り」「峰谷」とあり、「峰谷」でバスをすてて西側の山に入ると「峰」があるのです。「留浦」と「峰」の間には、「アカサス(赤指)尾根」が障壁を作っており「オタビラ山(1076m)」もあります。「峰」については、『峰 西北ニテ山の中央ヲ云 元禄年中ノ図ニハ留浦村ノ内峰村トアレハ此ノ頃ハ別ニ一村ノ如クナレト正保ノ図ニハコノ名ヲノセス 旦今小名ノ内ニアルヲモテ見レハ元禄年中峰村トアルモ 正シキ一村ニハアラテ今ト同シク小名ナリシコトニヤ未詳ニセス』と書かれています。おかしいのは、留浦の西北に峰があると言っているのに、留浦バス停から見ると峰は北東にあるのです。『坂本 東北の入口ト云』とあるのですが、間に「川野村」が挟まっている? 昔の地図がないとよく分かりませんが、「留浦村」は非常に大きくて、「川野村」は南に広く、北はとがった部分が「留浦村」に入り込んでいたのでしょうか?もしかすると、湖底に沈むとき、川野の人々が、代替地を山に求めた関係で、こういう事になったのかも知れません。国会図書館まで行けば、「湖底に沈んだ村」という図書が見られるようです。

「峰」については、現在の地図でも「字留浦」になっており、「新編武蔵風土記稿」が峰にあるという「寶福寺」は留浦891、卍マークm92-12-01 F9898も、山用の地図には残っています。また、「峰谷」から「鷹巣山」への登山道、「浅間尾根コース」に、「奥」という地名もあります。奥にある「浅間神社」は、「新編武蔵風土記稿」の「花入明神社」の後の姿か? 風土記稿によると『花入明神社 除地五畝十歩 小名峰ニアリ ソノ邊ノ鎮守ナリ 三尺四方ノ祠ヲ南向ニ建リ 木花咲耶姫命ヲ祭神トシト云ヘリ 本地仏十一面観音木仏坐像五寸七分ヲ置リ 村民ノ持』。
祭神から想像すると、木花咲耶姫命が山の中腹に上がって「浅間神社」になったのではないでしょうか。

「峰」の位置については「新編武蔵風土記稿」が方角を書き違えのではないかとも思われたのですが、木瓜爺は「留浦本村」で考えたから東北なので、「坂本」で考えたら西北なのですねえ、記述した人がどこを「留浦村」の中心と考えたのかで、変わってしまいますねえ・・・いやはや難しい。地図論議はこのくらいにして、「太子堂」の前の「石仏」を紹介しましょう。

右端のあった「南無阿弥陀仏碑」これは、僧侶か阿弥陀様を意識した形の石ですね。「天保六年」(1835年)と彫っていますね。

m92-12-02 F9871

石祠をはさんで、「二十三夜 辨財天」、二十三夜講は、通常「勢至菩薩」なのですが、弁財天の名が横に彫られています。これは、巳待講と兼用でしょうか? 巳待講については、一度書いた様な気がします。 ブログを引用しておきましょう。

27- あきる野市散歩;木瓜爺撮歩82-17 東岡山 珠陽院 《巳待供養塔》 (No.2212)

m92-12-03 F987423夜辨天

次は「大乗妙法典全部供養塔」・・よく分かりませんが、教典の供養・・横にはお地蔵様が並びます。

m92-12-04 F9875

真ん中は老婆のように見えますね。文字碑は何でしょうか? 読んだ筈ですが忘れて居ます。

m92-12-05 F9876

「庚申塔」もありました。

m92-12-06 F9880

後ろ方にもありますね。

m92-12-07 F9881

さて、出発だ! とりあえず、あの深山橋左岸を目指します。

m92-12-08 F9899

途中にトンネルがあるので、無事に通り抜けられるかどうか、いささか不安です。

m92-12-09 F9902

どうか、車が来ませんように・・トンネルの中で車が来ますと、風圧が凄いのです。歩行者用側路帯は、ご覧の通り30cmです。ナンマイダー・ナンマイダー ここは阿弥陀仏にすがるしかなさそうです。観音様だと、「なーに、目をつぶっておれば、通り過ぎるよ」ですまされそう・・・無事に、車レスで通り抜け、再び、奥多摩湖を眺められました。

m92-12-10 F9903

m92-12-11 F9904

「深山橋」を渡る道は、「小菅村」への道です。県境は1.5km程先になります。「深山橋」を渡ってすぐ、左側に「三頭橋」という橋があり、それを渡るのが「奥多摩湖周遊道路」です。

木瓜爺は「深山橋」を渡らず直進します。橋の向こうに見えている山は「大寺山」というのですが、この山の山頂に「日本山 妙法寺 仏舎利塔」というのが建っています。歩いた時のm92-12-12 F9906写真が見つかれば、後ほど挿入しましょうか?。冒頭に書いた、「奥」にある「浅間神社」も鷹巣山から下った時に通過しています。ただ、当時はまだ寺社散歩をはじめていませんでしたので、写真があるかどうかは疑問です。仏舎利塔は写した記憶があります。白亜の塔ですから、見逃す筈はありません。そう言えば、大寺山から深山橋側に下る途中の「痩せ尾根」はちょっと怖かったなあ・・・

m92-12-13 F9908

深山橋のたもとで、木瓜爺足を止めました。なんだかお腹がすいたと思ったら、お昼でした。ベンチはないので、適当に寄りかかって、昼食・・と言うほどの事もない「おむすび」一個。なにしろ、このところ碌に歩いていなかったので、脂肪を燃焼させるためには、エネルギー不足にしておくほうが良さそうです。あとは「水腹で歩くぞ」・・といっても、歩く速度が遅いので、あまりエネルギーも使わないようです。経済的になってきましたねえ・・m92-12-14 F9910

 

向かい側に「青梅街道」の標識が出ていました。奥多摩周遊道路から出てきた車への案内でしょう。さて、出発。下の写真、奥の橋が「三頭橋」です。

m92-12-15 F9911

m92-12-16 F9913

「深山橋」バス停ですが、「次は中奥多摩湖」と書かれていますね。明日は、その辺りの散歩になります。

m92-12-17 F9915

「深山橋」のちょっと東、こまどりという旅館があるのですが、これがそうかな?

広告
カテゴリー: , 寺社, 散歩, 湖・池 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中