2015/09/13: 奥多摩散歩;木瓜爺撮歩92-13 金剛山浄光院 (No.2440)

昨日書いていた、大寺山の仏舎利塔写真が見つかりました。この「鹿倉山-大寺山」登山の時は、なんとニコンF5という重いカメラを使っています。その代わり、レンズは50mmレンズ一本だけのようです。ブログ投稿後なのですが、ここに仏舎利塔を挿入。うまく入るとよいのですが、レイアウトが乱れましたら、ご勘弁を。

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旅館「こまどり」の前を過ぎて、岬にかかります、木の間から見える奥多摩湖には、またブイの列が見えます。正しい名前は何でしょうね?オイルフェンスじゃないし??

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岬になったところを回りました。後方には「大寺山」が見えているようです。前方は、カーブが続くようですね。

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暫く進むと見覚えのある場所に来ました。食堂がいくつかならぶ駐車場。「中奥多摩湖」というバス停がある場所です。

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左の方に見える白い建物は「美山亭」でしたか? 右の方が「丸井亭」だったかな? この駐車場にはトイレもあります。

ここで木瓜爺失敗します。「美山亭」の横から山に登った所に、神社があったかも知れないのです。古い地図ですと鳥居マークがあるのですが、新しい地図にはなにも書かれていません。一応確かめておきたいと思っていたのですが、それをすっかり忘m92-13-06 F9926れてしまって、「丸井亭」の方に進んでしまいました。この寄り忘れた神社、「箭弓神社」でした。公式には「小河内神社」に合祀されますが、地元民は、昔の神社を大切に守られているようです。「丸井亭」に戻って、ここから右に登って行く道があります。この道は、青梅街道のトンネルを通らない湖沿いの旧道に相当します。これから「浄光院」に行きますが、そのままトンネルの向こう側に出るのです。坂を上がり、左折。湖の縁にそって曲がって行きます。

「浄光院」は、「新編武蔵風土記稿」では、「川野村」に記載されています。

m92-13-07 F9929 『浄光院 除地二段九畝 村ノ西 山際ニアリ 金剛山ト号ス 禅宗臨済派鎌倉建長寺ノ末寺 弘安五年(1282)ノ草創ナリトイヘトモ開山開基ノ人ヲ傳ヘス 客殿五間ニ十二間半 東向 本尊不動 木ノ立像厨子ニヲサム 長一尺二寸 留浦村堺ニ阿弥陀免トテ一畝八歩ノ除地アリ コノ阿弥陀堂 昔ハ別ニタチシカ 今ハ堂モ廃シテ当寺ノ持ナリ 木ノ坐像ニテ長七寸ナルヲ堂ス』 かなり大きなお堂があったようです。「村ノ西 山際」というので、現在地より少し低い場所にあったのかもしれません。

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見えて来ました。手前に守護神社か、小社がありますが、祭神等のわかるものはないようです。川野村の神社は、9社記載されていますが、川の傍がおおいようです。寺の前に石ものが多いですね。左側は庚申塔ですね。真ん中は「浄光院再建記念碑」です。ここに移築した時のものでしょう。

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この「青面金剛庚申塔」は綺麗ですね。

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入口の右手にならぶのは、太子講やら道祖神やら様々なものが並んでいます。後でもう一度見る事にして、本堂の方に行きます。石柱 左は「金剛山」を意味するのか「金剛場」。右がよく分かりません「河北●」この字なんでしょうね。m92-13-13 F9937

左側に「六地蔵」が並んでいます。

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これは、再建の時の物らしく。新しい感じです。

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この、「浄光院」、三頭山の方の昔話に登場します。こんなお話です。

『 山のはなし「奥多摩三頭山・オツネの泣き坂」
東京奥多摩三頭山の北側に「オツネの泣坂」という所があります。
その昔、いまの奥多摩町川野地区(奥多摩湖近く)杉田重長の川野城にオツネという美女が働いていたという。ある時、村の寺浄光院に美男僧がやって来ました。オツネはその僧・香蘭といつか深い仲に。毎晩忍び逢いが続きます。修行のジャマになることを心配した住職は、香蘭を山梨県上野原町西原の寛珠院というお寺に移しました。
しかしオツネは香蘭が忘れられず、ある夜西原に訪ねて行きました。香蘭との短い時間の逢う瀬を終え、急いで帰りますが三頭山を過ぎたあたりの坂に差しかかると東の空が明けてきます。お屋敷の旦那さまに知られたらどんなお叱りを受けるか分かりませ
ん。「ああ、夜が明けてしまう。どうしよう」。オツネは泣きながら坂を駆け下ります。村人はオツネに同情し哀れみました。こうしてついた地名がオツネの泣き坂。「遠く、遠くながれる明けの鐘しのび通いのはかなさに、祈る峠の地蔵さま、香蘭、香蘭、月を呼ぶよなツネなき峠…」。奥多摩地方に伝わる歌「ツネなき峠」の一節です。』

このお話から、川野城というのがあったことを知りました。城と言っても、豪族の舘でしょう。その「杉田舘」のことは、「新編武蔵風土記稿」にもちゃんと記録されているのです。『杉田某屋鋪跡 村ノ西邊ヲ云 北条氏ノ臣 杉田某ノ屋鋪跡ナリ 北条氏没落ノ後 子孫民間ニ蟄居セシヨリココニ居レリ 今ノ農民次朗兵衛ハ旧家ナレバ旧家ノ条ニ弁セリ』 そして 百姓次朗兵衛として、杉田家の家系や伝わる文書などを記録しています。青梅の「三田弾正」からの文書などもあったようです。

なお、「オソネの泣坂」というのは、ちゃんと地図に載っていますよ。奥多摩の山歩きをされる方はご存じだと思いますが、三頭山からヌカザス山に下る急坂です。三頭山から川野村まで下って来る標準タイムは、2.5時間。登りは3.5時間。さらに三頭山と西原の往復は5時間かかると思うけど、オソネさん凄い健脚だあ・・きっと、トレイル・ランニングで鍛えていたのでしょうねえ・・・。

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現在のご本尊はどうなっているのか、よく分かりません。「不動様」なのか? 「阿弥陀様」なのか、「お釈迦様」なのか、「観音様」なのか・・「既に廃寺になっており、川野生活館になった」と書かれているブログもあります。横の建物が「川野生活館」です。そう言われてみれば、「川野車人形」の公演なども「川野生活館」の名前で紹介されていますから、寺としては機能していないのでしょう。

とはいえ、生活館の裏は墓地になっています。ここの石仏さんんも多いです。

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m92-13-18 F9954見事でしょう? 前列は子安地蔵・・赤子を抱いて居られます。後列の右端の方は、「馬頭観音」が居られます。左の方はお地蔵様です。

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今日はパソコンが異常発生です。IEがフリーズしてしまって、強制終了せざるを得なかったり、そのあと、セーフモードで復元ポイントを過去に戻して作業したのですが、今度は突然シャットダウンがかかり、作業がフイになりました。何事かおきているのですが、今のところわかりません。とりあえず、今日はここまでにします。ちゃんと投稿してくれるかどうか心配です。

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