2015/09/30: 木瓜爺珍百山-10: 高川山 (No.2457)

ここに登った記録は、Choi-Boke爺ちゃんが、足を鍛えていた時代です。つまり、70才直前です。そして、「70才からの山歩き」では、こう書いています。

『2004年5月27日: 高川山 標高975.7m、登山口の初狩駅が470m位なので、これも標高差500m。国土地理院の地形図には、道路が記載されていないが、道標は整備されているので、一般的な路を歩くには問題ない。登山地図では、昭文社「高尾・陣馬」に出ている。富士山の展望がよく、山頂でのんびり楽しめる。初狩から登って禾生(かせい)に下りるのが老人向きだ。』

80才になってみると、標高差500mというのは、かなり負担に思えます。ただ、珍百山-01 に書いた武蔵御岳山では、418mから920mまでの標高差500mを歩いていますので、歩けるかも知れないと、珍百山に入れておくことにしました。武蔵御嶽山との大きな違いは、登山道が狭い路だと云うことです。その割に登山者がいます。それも、中高年者なのです。よろけてぶつかる危険があることを承知しておいて下さい。

2009年1月の「新ハイキング」という雑誌に、この高川山についての記事が出ていました。それも参照しながら、Choi-Boke爺ちゃんの登山記録を点検してみましょう。記事の引用部分は《》で括っておきます。

《山梨県大月市は昭和63年に、優れた景観資源として、日本で最も麗しい冨士の見える「秀麗富嶽十二景」を選定した。・・・中略・・・。その中でも高川山は、十二景随一の展望を誇り、中高年ハイカーの「聖地」として、一年を通して賑わっている。この山は御坂山塊の東の端に当たり、桂川と笹子川の合流点に近く、下をリニア-モーターカー実験線のトンネルが貫通している。》 これで、どういう場所かおわかりいただけたでしょう。ここでいう「中高年」は50から60歳代でしょうかねえ?

さて、Choi-Boke爺ちゃんの登山記録の方は『』で書いてみます。

『2004/5/27 天候;晴れ 靴: ジャスパー   カメラ:D70&TC1+1Kg三脚 カメラ用ザック使用 タイツ:ワコールタイツ使用  主たる装備:ストック、 スパッツ 弁当:むすび2,軽食, 水1l』 ニコンのデジタル一眼レフD70を使いはじめた頃です。サブカメラにはミノルタの小型フィルムカメラ TC-1 を持って行ったのですが、実際は、多分TC-1がメインで、D70をサブに考えていたようです。というのは、D70の画像は、山頂の休憩時にしか使っていないのです。フィルムの方が未発見なので、ブログはD70の画像だけ使います。

『立川発6:46 甲府行き 初狩着 7:55』 駅前で、カロリーメイトの粒々が入った袋をすすった覚えがあります。朝飯食べないで出かけたわけではなく、エネルギー補充でしょう。7:55に初狩駅を出発しています。途中に「自徳寺」というお寺があります。Choi-Boke爺ちゃんの「自徳寺」通過は、8:05です。この寺、臨済宗妙心寺派までは知ってるのですが「山号」が不明で、インターネットで調べましたが、見つかりません。「高川山」だったのかなあ? 住所は山梨県大月市初狩町下初狩3777 だそうです。お寺に近づくと斜面に石仏が潜んでいます。「自徳寺」にも石仏はあるのですが、首をはねられて「丸石頭」になったものが多いようです。

m100-10-01 高川山 001

2010年11月頃から、このお寺に寄る登山者が増えたそうです。「自徳寺の大銀杏」(300年もの)の前に、 「ピッキー」のお墓が出来たからです。「ピッキー」のお話は山頂で・・・登山地図ですが、登山道が網目のように存在するのです。薄く黄色のマーカーが引かれて處を通ったようです。

m100-10-00 高川山地図

Choi-Boke爺ちゃん、登山口に到着 8:22。ここで、ちょっとアクシデントがありまして『旧道落石注意のため、新道に迂回』と記されています。

新ハイキングの記事では、《シイタケの栽培地が登山口で、沢コースに進む林道と別れて階段状の登山道に入る》となっており、「新道」なるものは、多分新ハイキングに書かれた道でしょう。

『玉子石ルート分岐 8:25 ここから急登。 男坂女坂分岐 8:55 女坂に入る  かなり迂回路になっている。』に対し《・・・程なく男坂と女坂の分岐となり、ここでロープのある急坂の男坂を見送り、傾斜の緩い右手の女坂をとる。》となっていますから、同じ路のようです。

『沢下り分岐 9:17 男阪と合流9:35 山頂到着9:55』: 《沢コースと合流した後、高川山から南西に下る稜線に乗る。背後の冨士や右下の桂川流域の景色を見ながらの登りで、この道は初夏にはヤマツツジの花が目を楽しませてくれる。左手に回り込み男坂からの道に合わさると、小笹の道となり、最後のひと登りで高川山(975.9m)山頂にたどり着く》
そうでした、そうでした、良く書けています。男坂と合わさるあたり、前が切れ込んで実験線が見えたのではなかったか? 所要時間の比較、新ハイキングの記事では登山口から一時間です。Choi-Boke爺ちゃんの実績は、一時間三十三分。今の木瓜爺ですと、二時間近くかかりそうです。

m100-10-03 高川山 030

この日は、冨士山がこの程度にしか見えなかったのですが、雲がない日だと見事でしょm100-10-04 高川山 025うね。早めの昼食を食べ始めたときです。ピッキーが現れたのです。最初は「甲斐犬」かと思いましたが、洋犬のようです。この犬、最初に報告されたのが、2001年だそうですから、デビューから3年目でした。山頂付近に住処を定めた野犬なのです。登山者に昼食を分けて貰うことを生業としたようです。「ピーク・イヌ」で「ピッキー」と呼ばれたのか?

m100-10-05 高川山 037

この「ピッキー」は、現れた時から「老犬」と見られていました。次第に、登山者達の人気者になり、ずーっとここで暮らしていたのですが、2010年10月6日、午前十一時頃、山頂から一段下がった岩の上で眠るように亡くなっているのを発見されました。老衰でしょうね。前日の昼頃はまだ生きていたそうです。訃報はネットで流れ、山梨の新聞にも報道されました。そのお墓が、麓の「自徳寺」に建てられたのです。「ピッキー」の功績としてささやかれていたことを書いておきましょう。この高川山、鹿の害がないそうです。「ヤマイヌ」が、獣害を防いでいたのではないか、という話です。

昼食が終わって、下山にかかりましたが、新ハイキングの記事では、「田野倉」に下っています。 Choi-Boke爺ちゃんは、「壬生駅」に下りました。かなり時間がかかるのです。しかも道が分かりにくい。
『山頂発10:55 田野倉・禾生分岐11:15着 老人に道を尋ねられ、暫く話し 11:20過ぎに出発 子形山・禾生分岐11:35通過  林道終点11:50 シラノサワコース入口通過11:55 禾生駅着12:40』 山頂から「禾生駅」まで、一時間四十五分かかっています。
ここに書かれている「老人」は、70直前のChoi-Boke爺ちゃんより、5才以上先輩に感じました。その方が、雑誌の頁を破いて来たような「略図」を頼ってあるいて居られたのです。この「略図」は、山の尾根筋を黒い帯で描き、コースを点線でしめしたもの。つまり、尾根に対しての相対的位置だけで歩く図です。私の登山地図と照合すると、「高川山山頂」を極めたあと、「難路」を回って「初狩駅」に下っているようなのです。だいぶお疲れの様子でしたし、高川山から真っ直ぐ初狩に下ることを、おすすめして別れました。この経験が、老人の体力にあう山とコースを見つけるということの重要性を知らせてくれました。

現在の木瓜爺の体力ですと、初狩から登って、初狩に戻って来る。帰りに「自徳寺」による。ということになりそうです。  これを珍百山第10番にして、さて、明日からは奇想天外の「山(?)」が入ってきますよ・・

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