2015/10/03: 木瓜爺珍百山-13: (寄居町)萬年山少林寺 と 羅漢山 (No.2460)

今の世の中に、歩いてしかアプローチ出来ない場所があるなんて・・路線バスが廃止されてしまった結果らしいのですが、第13番という番号も縁起悪かったのでしょう。場所は埼玉県寄居町末野2072-1 という場所なのです。最寄りの駅は、秩父鉄道の「波久礼駅」、これ「はぐれ」と読むらしいのですが、是また縁起の悪い名前。近くに「簡保の宿」があるのだそうですが、寄居から「鐘撞堂山」を越えて、「円良田湖」で遊び、かんぽの宿で汗を流して帰ろうという登山者が「道を見失う」、「はぐれてしまう」というアクシデントが絶えない場所のようです。そういう変な場所こそ「珍百山」にふさわしい! などと、悪いことを考えた木瓜爺です。
タイトルにしたのは、「萬年山 少林寺」です。すぐ後ろにある山が「羅漢山」。Choi-Boke爺ちゃんは、「鐘搗堂山」から下ってきたのですが、木瓜爺としては、「寄居駅」から45分歩いてしまいます。寄居からの道は、道標があって、それ程難しくなかった記憶です。「波久礼駅」から歩いても、2.3kmあるというので、35分位かかりますね。一番のおすすめは、寄居駅からタクシーで近くまで入ってしまうことですね。

Choi-Boke爺ちゃんのブログを紹介しておきます。「寄居フォトウォーク 第一回」というシリーズに出てきます。5月23日:寄居フォトウォーク第1回-3 羅漢山と萬年山少林寺  (No.866)

「寄居駅」を市役所のある方におりて、西に向かえばよいのですが、次の地図を見ていただいて、少林寺の入口近くで、タクシーを降りた事にしましょう。

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入口付近にある「少林寺」の石碑と、ちょっと変わった「庚申塔」です。m100-13-03 IMG_1543分かりやすい「標識」もありました。m100-13-04 IMG_1539

 

 

 

 

六地蔵が見つかれば安心です。

さて、この「少林寺」とは、どんなお寺か・・・これも「新編武蔵風土記稿」に書かれたお寺です。ちょっと無精して、「猫のあしあと」さんの翻訳を使わせていただきます。原文は、カタカナ使用で、にごりがないのです。それと送りがなが少し現代の用法と違いますので、あえて翻訳と書いています。

『(末野村)少林寺 禅宗曹洞派、小玉郡高柳村長泉寺の末、萬年山と号す、又熊耳峯と云、開山大洞存奝天正十六年十月二十日示寂、開基は藤田右衛門佐康邦永正十五年十一月十五日卒、藤栄院花巌常春庵主と称す、按に藤田右衛門佐康邦は、後用土新左衛門康邦と改め、北条氏康に従ひ、天文二十四年九月卒し、法名を藤源院殿天山組繁大禅定門と云しよし寄居村正龍寺の傳へなり。是に合せ考ふるに、永正十五年より天文二十四年は、其間三十八年をへだてり。されば時代もたがひことに法諡もあはざれば、当寺の傳ふる所は同人にはあらざるべし、藤田の系図によれば、康邦が父を右衛門大夫国村と云し由をのす、若此人の開基なりといはば時代も叶ふべし、されど是は私の考へなれば、暫くしるし置て後の正しき説を待のみ。後新太郎氏邦の時に至り、富永能登守奉りて寺地を寄付し、且寺内不入の制札を与ふ、天正の末には度々兵乱をへて衰微せしが、御入国の後再興ありて頗る奮観に復し、慶安年中寺領十五石を賜ひしより今に至れり、本尊釈迦。
鐘楼。元禄八年鋳造の鐘を掛く。(氏邦花押省略)
寺寶。古鰐口一口。近年堂後の山より掘出せりと云、これによれば当寺にもと八幡社ありしや、又黒澤右衛門太郎政信とあるは、如何なる人にや詳にせず、天正十八年の頃北条安房守氏邦に従ひ鉢形の城にこもりし、黒澤上野之助が父祖の内なるにや、又慶長の頃黒澤帯刀と云ものあり、是らもその子孫なるべし、かの鰐口を掘出せし時、共に掘出せしとて、阿弥陀の木像あり、長二寸許、古物なり、これ八幡の本地佛なるべしと云、鰐口の図上に出せり。
塔頭。久昌院。萬寶院。本尊大日を安ず、村民の持。』

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少林寺の本堂です。手前に説明板がありますね。

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m100-13-06 IMG_1537ここに、「羅漢山」との関係が書かれています。文政9年(1826)から、お金を集めて、釈迦、十六羅漢、五百羅漢、千体荒神などが並んだのが天保3年(1832)年。 先ほどの「新編武蔵風土記稿」が出来た後にお金集めが始まっていますので、風土記稿には羅漢さんは出て来ないわけです。

お参りをしまして、裏山に向かいます。この山、道が途中で二本に分かれ、頂上でまた一つになります。一方は「五百羅漢」で、もう一方が「千体荒神」なのです。で、たいした高さではないので、例えば、「五百羅漢」を見ながら登って、「千体荒神」を見ながら下って来るというのはいかがでしょうか?。余力があれば、「円良田湖」に行くとか、「鐘撞堂山」も欲張るということも可能ではありますが、ここでは、羅漢山を一周して、帰途につくことにしておきます。ただし、「千体荒神」ルートは写真があまりないので、ご勘弁を。

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登山道に入る前に、お地蔵様にお目にかかりました。

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羅漢様が散らばっています。中には壊れてしまったものもあります。

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これは、「千体荒神」道の一部ですね。下は、羅漢道です。こんな段のある割合歩きやすい道でした。

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そして、山頂には・・・お釈迦様と十六羅漢です。

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そうだ、鐘撞堂山から回った時、鐘撞堂山の登り口にあたる「大正池」にはトイレがあって用をたしたのですが、その後何も無くてここまで来てしまい、山頂は割合広いもので、仏様の居られない方にエスケープして、犬になってしまったのでした。少林寺にはトイレがある筈です。Choi-Boke爺ちゃんの真似はしないで下さい。

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そうだ、この説明板が、先ほどのと違って、1500年ころに、石仏建立を発願したと書かれていて、300年も違うじゃないかと、首をひねったのでした。1500年というのは、「少林寺」開基の話なのですね。m100-13-15 IMG_1505この羅漢さんは両膝抱えて、何しているのでしょうねえ。

さあて、携帯電話で、帰りのタクシーを手配して・・・という方法もありますね。

・・・ちょっと旅に出るので、あと一日分、ブログを予約投稿しておきかいのですが・・・どこを書いておこうか・・・

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