2015/10/04: 木瓜爺珍百山-14: 日の出町(大久野村水の口)無量山西徳寺 (No.2461)

へそ曲がりの木瓜爺、またまた不便を絵に描いたような場所を選んでおります。日の出町ですが、昔の名前が「大久野村字水の口」、この付近いろいろな寺社があるのですが、最初は「白山神社」のほうにしようかとおもいました。地図を入れて見ます。

m100-14-00 大久野002

これでは見えませんね。中央部分を拡大しましょうか。

m100-14-01 大久野002

この地域には、左上の方にある「勝峰神社」「岩井院」「新井薬師」「白山神社」「天正寺」「西福寺」と、観光資源的な寺社が並んでいます。あとで復活してくるかもしれませんが、それらをさておいて、中央上部の「西徳寺」を選んだのです。かなり不便な場所でして、「かやくぼ」と書かれた交差点のところにあるバス停から、延々と歩かねばなりません。道は殆ど平坦ですが、1.7km程あるでしょう。でも、昨日の寄居よりは近いし、分かりやすいです。

「無量山西徳寺」は、無住のお寺です。そういうのも、「珍」には入れておきたいのです。ここを訪れたのは、2012年8月 Choi-Boke爺ちゃんです。二日に亘ってブログを書いています。

8月24日:木瓜爺撮歩43-2 お釈迦様に招かれて西徳寺へ

8月25日:木瓜爺撮歩43-3 西徳寺(2)

実際にお出かけになる場合は、Choi-Boke爺ちゃんのように、「西福寺」に寄って行くとか、「大久野のフジ」を見てくるとか、アレンジして下さい。このお寺もトイレはありませんので、地図にある「おおたまうまいもの館」などに寄って下さい。Choi-Boke爺ちゃんは、スモーク・チーズなどを購入して囓っておりました。夏ですと、かき氷などもあったと思います。

この地図はトイレを表示してくれているので、使いやすいですね。これは、「日の出町役場 産業観光課 観光係」で作った「日の出Walk」という地図です。役場で頂いて来たのだったか? 無料で頂いたものです。「御岳山」から「日の出山」に行くときなどにも使っています。これがあったから、日の出町の「撮歩」が出来たようなものです。もう、ボロボロになっていますが、いまだに現役です。

なぜ此所を選んだのかというと・・・「新編武蔵風土記稿」にいろいろ書かれていて、面白くなったのです。Choi-Boke爺ちゃんが知らなかったことを、補充しておきましょう。

さて、Choi-Boke爺ちゃんの足跡を追ってみましょう。「萱窪」までは、福生-五日市の路線バスです。地図を見ながら、「西福寺」に行きました。「西福寺」も風土記稿に乗っています。境内九千坪と書かれた大きなお寺です。ただ、「西福寺」によると、坂本の交差点が分かりにくくなるので、地図音痴?の方は、西福寺に寄らず広い道を進んで、交番で聞く方がよいかもしれません。交番のすぐ先の信号(これが坂本の交差点)を左にはいります。あとはどんどん進んで、二叉に別れるところで、左が「西徳寺」方向、右が「うまいもの館」。「うまいもの館」の方は、標識看板が出ていると思います。「うまいもの館」に先に寄ったら、そのまま進むと左側に西徳寺前から来た道が合流してきますので、そこから入って引き返せばよいのです。

m-5227お堂2

この写真、「うまいもの館」の前を通って進んだ時、左側に「西徳寺」が見えたという瞬間。「お釈迦様」が手招きしてくれていますので、見えている道に入って行けば良いわけです。

m-5226お堂そう言えば、この少し前に、Choi-Boke爺ちゃんが迷っていたお堂が有りましたね。これがそうだとは云えないのですが、「新編武蔵風土記稿」に興味有ることが書かれていました。『坂本 水の口の東南にあり ここに阿弥陀堂ありしか何頃か廃せりと云ふ その像は鋳物にて今 村の百姓文左衛門これを持てり』 こういうのが復活していると愉快なのですが・・西徳寺は水の口にあります。この「水の口」には、「長泉庵 本尊地蔵」及び「光珠庵 本尊勝軍地蔵」という二つの「庵」(小さなお寺)があったとのことなので、お堂の中を覗きたくなりました。このお寺、現在は「曹洞宗」に属しているようです。本尊馬頭観音は、12年に一回公開される秘仏だそうです。近くの曹洞宗寺院が管理しているのでしょうか?

m-5234西徳寺9「西徳寺 本堂」です。『西徳寺 除地三段七畝三歩 水の口にあり 無量山と云えり 開山涌山林東和尚 慶長八年四月十二日化す 本尊馬頭観音の立像 長三尺五寸なるを安す 行基菩薩の作と云う 客殿七間半に五間半』

除地というのは、領主によって年貢などの免税処置の対象に指定された土地のことです。この後、石のことなど延々と書かれています。

『鏡石』は、この頃既に火災にあって表面が崩れていましたが、光沢は残っていたようです。今は壊れてしまってありません。ほかの石は後ほど・・・

m-5233西徳寺8

Choi-Boke爺ちゃんが読めなかった額ですが、「無量山」でした。

m-5236西徳寺11

『腰掛石 寺後の山上にあり 高六尺はかり 径り五尺はかり 萬治年中堂舎火災にかかりし時本尊この石にとひ移りしより腰掛の名はおこりしと云う もっとらしき説なり』(若干意訳しています) 下の写真が「腰掛石」です。

m-5238西徳寺14

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この腰掛け石に関連して、日の出町のHPに昔話が掲載されていました。それが、先ほどの説明板のお話です。もう一つあります。これが「獅子岩」。

m-5240西徳寺16 獅子岩

m-5239西徳寺15

m-5241西徳寺17このお話も、風土記稿に書かれています。もう一つ『二匁竹』と呼ばれた「寺の変事を予告する」という不思議な竹の事が書かれているのですが、これは残っているのかどうか、気付きませんでした。

m-5229西徳寺3『赤城明神祠跡 寺後の山上にあり 社は近き年廃壊していまた再建におよはす』これも、そのままなのでしょうね。

寺後の山には、ナントカ登れますので、腰掛石までは行けるでしょう。石仏も豊富な、よい古寺です。これを、珍百山第14番としました。

ちょっと旅に出ますが、留守中の予約投稿準備はこれで完了。

明日は何が書けるやら・・疲れてのびていなければ・・ですが。

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