2015/10/11: 青梅街道・武蔵大和;木瓜爺撮歩98-51 廻田不動堂と薬師堂〔日向山 光明院〕 (No.2468)

このところ、PCがおかしくなって、戦々恐々のブログ記述です。突然シャットダウンされるのですが、IEを動かしていないときは大丈夫らしいので、とりあえずオフラインで下書きを書いています。1800日連続投稿を目前にしているのですが、これは切れてしまう公算大ですねえ・・代わりのPCは有るのですが、ブログライターを入れていないのです。WEBへの直接書き込みは出来るのですが・・・写真のレイアウトがうまく出来なくて・・・そのときは、写真なしで文字だけ投稿して置きますか?

「寶珠寺」を出て、青梅街道を東に進みます。「市立廻田憩の家」の手前で、不動尊の門柱を見つけました。

m98-51-01 F7543廻り田不動尊

「日向山 光明院」とも書かれています。広場の奧の一段上がった所に、建物が並んでいます。「新編武蔵風土記稿」にある寺院です。

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付近の案内図がありました。「旧寶珠寺」「石造延命地蔵立像」というのが、昨日見たブログの場所です。「光明院」と「応永の板碑」と書かれているのが、「現在地」。

『光明院 境内年貢地五畝許 村の中央 小名鍛冶屋にあり 日向山と号す 新義真言宗にて郡中青梅村金剛寺末 本堂六間四方南向 本尊不動の坐像 長一尺許なるを安す 智證大師の作と云 秘仏なりとて人の見ることを許さず 此寺古は大寺なりといえと今は住持もなきほとにおとろへたれは開山開基も詳ならす 下に載する所の薬師堂 石薬師なと此寺の持なりしか いつの頃よりか村民の持となりたりと云 本堂の右の方に古碑あり 表に讀妙経一百三十六部 応永十三年丙戌十六日とありて 左右にあまたの法諡をえれり 又外に古碑三基あり 二基は康永二年 一基は永徳二年三月二十七日』

小名「鍛冶屋」というのは、鍛冶屋さんが何軒もあったのでしょう。この職人さん達が祀っていたのが、明日のブログに出てくる「金山神社」なのです。  光明院の本尊が、秘仏の不動尊だったと書かれています。薬師堂も面倒見ていたようですね。場所は離れていたようです。

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石段を上がった所にあるのが「不動堂」横にあるのが「薬師堂」でしょうか?いや、見えて居るのは「鐘楼」の屋根かもしれませんね。この二つも記載されています。

『薬師堂 見捨地 村の中央より少しく北へよりてあり 「東光庵」と号す 勧請の年代詳ならす 是を日向薬師とよふ 堂は三間に三間半 南向 本尊長三尺許坐像なり 左右に十二神を安す 下にのする所の石薬師は古の此堂のありし所なりと云 いつの頃ここへ移せしか詳ならす 村民の持なり』

『鐘楼 境内にあり 九尺四方 鐘の径二尺一寸 寛政三年の新鐘なり』

元々は、「薬師堂」と「鐘楼」は、「東光庵」という寺にあったようです。それを、近年ここにまとめたのでしょう。「石薬師」というのは、どうなったのでしょうか? 此所には来ていないようです。

『石薬師 年貢地五坪許 小名日向の畑中になり 前の薬師堂古は此所にありしかいつの頃か堂をはうつしてそ(の)跡に此石薬師をのこせり 形箕のことく長一尺幅五寸許 石籠の内に安す 上屋三尺四方 霊験甚いちしるしとて村民等恭敬せり 又云 古へ此所に大梵刹ありと さもあるにやこの辺の田圃よりまま布目の瓦なとほり出す事あり』

今も、畑の中に残っているのであれば、ゆっくり探して見たいですね。

まず、「不動堂」お参りしようと思ったのですが・・・「お地蔵様」が居られました。

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m98-51-05 F7549ははあ、不動堂の横に居られたお地蔵様が、薬師堂に場所を譲られたのです。享保3(1716)年の建立。丁度、吉宗が将軍になった(享保元年)頃です。この立て札、「金山神社社寺委員会」が建てています。つまり、寺がなくなっているので、神社の氏子さん達が面倒見ているわけですね。

m98-51-06D F7553板碑の説明は薄くなってしまって、読みにくい。先ほど書いた「風土記稿」の説明を見てください。m98-51-06 F7552

 

 

 

高さ4m近い大きなものだったようですが、幾つにも割れてしまって、その一部が残されています。向かって左の片の中央下部に「讀妙経一百三十六部・・」の文字があります。当時の「妙法信仰」・・「南無妙法蓮華経」です・・の遺物というべきものでしょう。

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m98-51-11 F7561やっと「不動堂」の前に来ました。扉に、お賽銭を入れる穴があるだけです。拝んだあと、レンズに覗かせましたが、よく分かりません。そこをナントカ! 明るさ不足で、ピントがあいません。蒼い不動様が赤いお堂に居られるようです。元の不動様は秘仏でしたから、これは、前立て仏かもしれませんが、有り難みのある像のようです。実は、薬師堂の方にも不動様が居られました。説明板も「新編武蔵風土記稿」引用でした。m98-51-10 F7557

薬師堂は、ガラス戸です。中央の厨子は扉が閉まっていましたが、左右に、不動明王と阿弥陀様が居られました。

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まとめて、もう一度、拝ませていただきました。「厨子」の中の「薬師如来」は有形文化財。「峰薬師」と呼ばれるようです。山の上にあったのでしょうね。元弘3年(1333)の焼け出され・・かなりの古仏ですね。この三尊は、前のお住まいの時からご一緒だったようです。

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前の「鐘楼」なのですが、鐘はお留守でした。

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さて、次は「金山神社」です。 この「廻田村」は、「廻り田日向村」という名前だったようだと、風土記稿には書かれています。いつの間にか、「日向」が外れて小字として「日向」が残ったとか、「山王塚」というのがあったようだが、地名にしか残っていないとか、鎌倉期の戦いなどで、随分変化した村のようです。

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