2015/10/12:青梅街道・武蔵大和;木瓜爺撮歩98-52 金山神社 (No.2469)

再び青梅街道に戻って、東に。「金山神社」は、あの木立のある辺りでしょう。

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「金山神社」は、『小名「下」 東の方 野口村の境を云う』にあると書かれていますが・・あ、大切な事を忘れていました。「武蔵大和」というのは、西武線の駅の名前なのです。この西武線のあたりが「市の境目」になっていました。西は「東大和市」で、東側が「東村山市」なのです。 現代の地図ですと、「東村山市廻田」にいるわけです。明日は、「東大和市」に戻ることになります。それで、「金山神社」ですね。

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やはり、ここです。「新編武蔵風土記稿」では次のように書かれています。

『金山社 除地百坪 小名下にあり 社は三尺四方 上屋一丈に二間 拝殿三間に二間 東向 金山権現御嶽権現を合わせ祭れり 神体なし 相殿なれとも金山とのみ称し 額にもただ金山社と扁す 社前に鳥居をたつ 其廻りに古木四五株あり いつれも圍八九尺 村の鎮守なり』 (圍という字は囲でしょうか? かこみ と読むのかな?)

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m98-52-05 F7577石造りの両部鳥居には「金山神社」の額。入って左に説明板がありました。祭神は、金山権現の「金山彦命」、御嶽権現から「日本武尊」、最後が稲荷神社の「倉稲魂命」ですね。説明板の方に「金山神社」に「稲荷神社」が明治10年に合祀されたと書かれています。

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狛犬一対。

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社殿の造りは割合平凡ですが、大正10年の建設。狛犬も大正型なのでしょうか? 足首が締まっています。えーと、お賽銭箱が見えませんが、お賽銭を上げた記憶がありますので、小窓が鈴の綱の陰に隠れているのでしょう。

右横に見えて居る屋根は末社です。

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m98-52-14 F7593戸隠向かって左は「神明社」、右が「戸隠神社」なのです。こちらの場合、祭神は簡略化して主神に絞られているようですから、「天照大神」と戸隠奧社の「天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)」でしょうかね? この方が、天の岩戸を剛力で開けて、天照大神を連れ出したのですから。

「金山彦命」は『古事記』では金山毘古神、『日本書m98-52-12 F7588紀』では金山彦神 と書かれていますが、簡単に言うと「鉱山の神様」です。ただし、「鉱山」に祀られる場合は「金山毘売神(かなやまびめのかみ、金山姫神)」とペア-なのですが・・・山から何かを生み出すという意味合いで、ペア-で祭られるのでしょう。「鍛冶屋」という職業の方々に祀られる場合は、西国では「金屋子神(かなやこかみ)」という名前になるようです。同一神とされています。

「鍛冶屋」さんの集団では「金山講」というのが有るそうです。ここも、曾てはそういう講があったのかも知れませんね。

さて、東村山はここまでにして、東大和に戻ります。前に「宅部池」に行ったあと、「清水堂」という観音様のお堂に寄りました。そのとき、近くに「清水神社」という神社があることを知りました。そこを探そうと思います。

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