2015/10/13: 青梅街道 武蔵大和駅付近;木瓜爺撮歩98-53 清水神社 (No.2470)

「見るもよし、見ざるもよし、我は歩き、ブログに綴る」などと気取っていても、ご覧になられた方の反応は嬉しいものです。2日程前、1通の書状が届きました。たまたまその方が少年期に住んで居られた場所の「撮歩」が目にとまり、お読みいただいたのだそうです。それが切っ掛けで、故郷の歴史に目覚め(?)、調べられたことや資料コピーなどまで送って下さいました。早速、返書をしたためたのですが、郵便局が休みで、13日発送になりそうです。・・・本当にありがとうございました。お礼だけここに書いて・・・・

m98-53-00 F7758清水観音堂

これが、「清水観音堂」です。『清水村 観音堂 見捨地一畝 村の中央 道の傍にあり 二間四方南向 正観音 木の立像 長二尺一寸許なるを堂に安す 村民持』(新編武蔵風土記稿)。

今日は、この直ぐ近くから始まります。この観音堂については、下記のブログがあります。

28- 多摩湖周辺;木瓜爺撮歩72-04 清水・観音堂 (No.1788)

武蔵大和駅前郵便局のすぐ西側にある道を南に入りました。地図を見ると、「東大和郷土博物館」があって、その少し先を右に入ったあたりに「清水神社」が書かれているのですが、入口は、此路ではなくもう一本西の道から入るように見えるのです。

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これが、「東大和郷土博物館」らしい・・・少し進んで、右に入る道があったので、入ってみましたら、是は行き止まりになってしまいました。やっぱり、西側からしか入れないのかなあ・・・少し戻って郷土博物館の塀沿いに西にまわることにしました。あとで分かったのですが、あきらめないで、もう一本先を見に行けば、鳥居の前に出たのです。馬鹿みたい!

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博物館の塀沿いの道というのは、人間と自転車用の道でした。西側の道にたどり着き、左折すると、すぐ「清水公園」。

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m98-53-06 F7606この公園の手前を左折します。あやしげな小径ですが、神社の社殿の横に入って行きました。地図に書かれた道であることは確認出来ました。社殿の前から東の方を見ますと、ちゃんと鳥居があり、その前を道が横切っています。つまり、あきらめないで歩いていれば、鳥居の前に出て来たのです。ほんの2,30mです。

m98-53-07 F7608清水神社

「新編武蔵風土記稿」では、清水村の神社としては「氷川社」が書かれています。もう一つは「熊野社」。どちらかに該当するのでしょうか? 調べて行くと、村山貯水池を作るときに、この二社が合祀されて「清水神社」と名前をかえたようです。

あらためて、鳥居をくぐります。かなり長い参道です。狛犬が一対ありますが、ちょっと変わったご面相です。

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顔が大きいように感じますね。

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社殿は、正面から見ると二間くらいの間口ですが、奥行きはかなりありました。

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おそらく、この一番後ろの覆殿の中に、古い社殿が納められているのでしょう。

「多摩の神社 準備室」には、次のように記述されています。ちなみに、準備室が訪れられた時の写真では、鳥居のところに段差がありましたが、今回は段差なしになっていました。『 清水神社  鎮座地 清水3-784
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと) 大己貴尊(おおなむちのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
旧格式 村社  別当寺 円達院  例大祭 8月18日
解説:江戸時代、上宅部の谷戸に建保3年(1214)創建という氷川神社があり。
徳川将軍家より朱印地5石を賜っていた。宅部・清水・内堀・日向・境・廻田・後ケ谷、7村の総鎮守。 別当寺は修験道の照林山神宮寺円達院であったが、明治維新後の神仏分離の際、17代円達院左京は還俗して清水大学安清と名乗り氷川神社の神職となった。 大正8年(1919)村山貯水池(多摩湖)造成のため現在地に遷る。
その際熊野神社を合祀して社名を清水神社と改めた。例大祭では清水囃子が奉納される。』 境内の石碑とは創建の年が違うのですが、建保2(1214)年が正しいでしょう。「新編武蔵風土記稿」の記述を後ほどお見せします。

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社殿の彫刻がなかなか見事です。

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『氷川社 社地村の北の方 狭山の根通りに在 本社六尺に五尺 上屋三間に二間半 拝殿五間に二間 共に丑の方に向ふ 神体とするもの絵馬の如にして表は 素戔嗚尊 稲田姫 猿田彦 左右に猊狛を彩色にて写したれとも剥落してかすかに銭れり 永禄十二年の裏書あり 図下に載す  この外 本地仏正観音木の坐像長一尺五寸許なるを安す (中略) 別當は本山修験 本郡府中宿 門前坊の配下にて村内園達院持』 「猊狛」というのは、獅子狛犬の事でしょう。絵馬のような板と正観音が祀られていたということです。

もう一つの熊野社は、『熊野社 除地百坪許 村の中央 成就院の境内後にあり この邊の鎮守なり 本社三尺四方 上屋九尺四方拝殿二間に九尺共に坤に向ふ 神体白幣 本地仏は観音にて木の立像長一尺五寸なるを安す 前に鳥居を立 例祭は九月十九日 を以てせり (中略)村内成就院の持』 こちらも、観音様だった。これなら、合祀しても喧嘩しませんね。

社殿の横(神様の右手方向)に境内社らしいのものを見つけました。

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m98-53-18 F7627黄色い札は「防犯カメラ監視中」です。中を覗いてみたのですが、小形の神殿があり、その中に石の像があるようです。覆い殿の羽目板が剥がしてあるので、入り込めそうですが、引っ張り出すわけにも行かないので、何かある・・で、止めて置くことにしました。

空をチャイムが流れました。お昼になったようです。境内にある「清水囃m98-53-19 F7632子」の彫刻の周りに置かれた石に腰をおろして、さっきコンビニで買ってきた「あんパン」をかじります。何だか固い皮だなあ・・化石化した老人は、名前のイメージと実物が一致しない商品にしばしば惑わされます。「清水囃子」の説明板も置かれていました。

(作品紹介)
清水囃子は幕末に始まったそうです。その当時練習はなかなか大変だったようです  農家が暇なのは冬ですから、どうしても練習は寒さが身にしみる時期に行われます。練習場所 は清水神社境内にありました公会堂でした。 毎日寒げいこが続いて、清水神社の森に笛や太鼓の音が響きました。
戦後の昭和28年に、しばらく途絶えていたお囃子が始めれれ、現在も清水囃子として引き継がれ祭礼や市の催し等で演じられています。m98-53-20 F7634

食事を終えて、いよいよ「円乗寺」に行きます。

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