2015/10/15: 青梅街道 武蔵大和駅付近;木瓜爺撮歩98-54 愛宕山 醫王寺 圓乗院〔2〕 (No.2472)

東村山市狭山町の「圓乗院」におります。ネット検索のことを考えると「円乗院」という文字も書いておかないといけないようです。いわゆる「検索」用のキイワード、どんな言葉を使われているのか注意していますと、すごいデタラメ(?)ですね。ですから、それでもナントカたどり着ける「あいまい検索」というのは凄いと思います。昔、自分でプログラムを組んで、コンピュータをつかった時代、テクニックを知らなかったものですから、「完全一致」しか出て来なくて、困ったことを思い出しました。

本堂手前で足が止まっている木瓜爺ですが、なにしろいろいろ有るのです。

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これは、「仏足石」です。見る度に、お釈迦様って大男だったのだなあ・・と、感心しm98-54-22 F7677ます。ジャイアント馬場どころじゃないです。紀元前四世紀くらいから、「仏足石」って存在するのだそうですね。仏像以前の信仰対象として生まれたと聞きました。 奧の方に見えるのは、「共同墓」かな? 壁にお釈迦様か阿弥陀様が居られるように見えます。m98-54-24 F7679

 

 

 

 

えーと、印は何でしょう?「弥陀定印」、阿弥陀如来でした。

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徳治二年銘の板碑は、本堂に保管されていると書かれていますね。突然思い出しましたが、ここは観音霊場でしたね。と言うことは、「新編武蔵風土記稿」に書かれていた観音堂にもふれておかないといけないわけですね。

『観音堂 字南方にあり(注:圓乗寺も南方です) 二間半に五間 南向 如意輪の坐像木にて作る 丈八寸許り』

m98-54-25 F7680あ、板碑らしいことも書かれています。『古碑一基 長二尺余 貞治七戌申四月十九日とあり』 貞治は「じょうじ」と読むのだそうです。「北朝」の元号ですね(南朝では正平23年)。七年ですと、応安元年に変わってしまいますが、1368年。そうすると、本堂に保管されているものよりは新しいですね。

やっと、香炉の所まで来ました。この「圓乗院」は、ホームページを持っています。凄く詳しく歴史を書かれていました。

抜粋して、ここに紹介しましょう。まず、本尊がどうなっているかから・・

『愛宕山医王寺圓乘院東円坊は、真言宗智山派に属する寺院であって、狭山薬師第三十四番及び多摩四国八十八ヶ所第三十八番の霊場であり、また武蔵野三十三観音第八番の札所でもある。御本尊には錐鑽不動明王を安置し、その側に薬師如来をはじめ札所の御本尊如意輪観世音菩薩と愛宕権現本地彿の勝軍地蔵尊などの諸彿が安置されている。』 昨日、寺の名前が微妙に違うと書きましたね。「東円坊」の位置が違うのです。 観音堂にあった「如意輪観音」が、本尊「不動明王」や「薬師如来」と並んで、本堂におられるようです。

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m98-54-27 F7685本堂に着きました。三本尊おられるのでは、「合掌一礼」というわけにもゆかないようですねえ? まあいいや、とにかくお布施を入れて、合掌・・三回くらいお辞儀しておこう・・・

ホームページの記述、歴史の所はめちゃめちゃ・・同じ事が二回書かれているのでこんがらかります。順番を年代順に書きましょう。

『第十七世秀範法印の代、慶長12年(1607年)8月 18日の風災によって坊舎が悉く吹き潰されたので、寺を狭山南峰の愛宕山(現在の場所)へ移し、山号を愛宕山とし、院号を円乗院と改めた。その後第二十世賢範法印代に、帰依によって紀州十三仏霊場第一番札所、近畿三十六不動第三十四番札所新義真言宗総本山根来寺に奉安の錐鑽不動尊像を写して当山の本尊とした。』・・・最初どこにあったのかが分かりませんが、当地に来たのが1607年です。

m98-54-28 F7688『中興第二十三世法印宥賢 享保3年(1718年)6月15日に、山内鎮守の愛宕大権現の御宝前に石灯籠を造立』・・・1718年頃、「愛宕信仰」が盛んになったので、「愛宕大権現」を軸にして、中興された。

『第二十五世乗誉法印の代、寛延2年(1749年)十月に本堂の前方に鐘楼門建立し同時に洪鐘を鋳造した。大檀越となって鋳成されたものであったが第二次世界戦争の際に金属類供出命令によって供出した。現在のものは昭和42年8月12日(1967年)再鋳成されたものである。』・・・1749年に鐘楼門が作られた。ということは、「新編武蔵風土記稿」の時には「鐘楼門」になっていた。

m98-54-30 F7690お参り終わりましたので、境内をもう一度眺めます。

本堂に向かって右の端のほうに、「子安地蔵尊」。左の方には「興教大師」。

m98-54-31 F7691興教大師

はてな? 弘法大師様はどこに居られるのだ?

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あんな所におられた。あとで、正面にまわります。本堂の向かって左横には地蔵様が居られます。m98-54-33 F7700

 

此の横に、六地蔵が居られまして・・・m98-54-34 F7701

 

 

まだまだ、居られます。m98-54-35 F7703

 

魂消ておりましたら、更にその奧に・・m98-54-36 F7704

 

なんと、「千体地蔵」です。映像的には、最後のが面白いですね。ここは本堂の裏手にある山です。まあ沢山のお地蔵様が並んで居られました。ただ、羅漢様と違って、同じお顔のことが多いのが、残念ですね。

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そろそろ、失礼しましょうか・・・と思ったら、「まだじゃ!」と、観音様。

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そうそう、弘法大師様の正面にゆかないと・・・これが、うまく行けないのです。仕方ないので、ボーエンで失礼します。

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ということで、通用門のところにあるトイレによりまして、表にでました。今回の最後は「狭山神社」です。

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