2015/10/18: 児童憲章に思う(昭和50年代の子育)  (No.2475)

今日の写真は、お話と関係ありません。何となく挿入した「目やすめ写真」です。冒頭の冨士山は、奥多摩の「七ツ石」からです。

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「児童憲章」という言葉は、記憶に残っているでしょうか? 昭和26(1951)年に制定されたものです。

『われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。』という書き出しで、12条書かれています。『十二、 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するようにみちびかれる。』これが、最後の条です。書かれていることは、当たり前の事でした。しかし、読み返してみると、現在は、はるかに隔たってしまったように思われます。どうも平成の親も政府も、憲法準拠のこの憲章は無視することにしたようですね。

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それはさておき、昭和53年から56年にかけて、「子育て」の問題に取り組んでいたボランティア活動の話を書きます。この会に参加したのは、木瓜爺もPTAの支部長や本部役員をしていたからでしょう。

活動は、「青少年対策地区委員会 研修部」が事務局となっていまして、木瓜爺もその一人でした。そのとき作った報告書3通が、本箱のファイルに残っていたのです。これが面白いのです。残念なことに、この活動、途中打ち切りになってしまいましたが・・

スタートの切っ掛けは、「荒れる中学校」「荒れる中学生」の問題からでした。木瓜爺の長男がもうすぐ中学校に入る頃です。昭和53年6月10日「中学生の心理と行動」というテーマで。中学校のM校長を囲んだ懇談会を持ちました。研修部としての基本方針は「何が問題なのか、まず考えよう」でした。

当日は、70名余の参加者があったと記録されています。この懇談会のすべての発言は、KJ法と呼ばれるような手法によって、整理されました。原図をお見せしたいのですが、とても書ききれないので、要約したカードを更に短縮して記述してみます。番号は単なる整理番号で重要度ではありません。

① 子供の自殺や殺人の原因は、家庭と両親にある。生命の大切さを家庭で教えよう。子供達を守るのは、大人全部の責任だ。

② 中学生はまさに「思春期」。成人の世界が子供達に性的刺激を与えている。社会環境や非行の原因も親達が中学生だった時代とはずいぶん変わった。現代の非行は、「遊び型」「理由なき非行」といわれる。「親の眼力でなければ、防げない」

③ 「共働き」は尊い事だ。それを子供に理解させているだろうか? 親があっても親がいぬ子の淋しさを、親が理解しているだろうか。子供の心は金では買えない。

④ 小さい時に、しっかりした正しい作法を・・毎日の作法を・・身につけさせて欲しい。我が家のしきたりを「心」として伝えて行くのが家庭のしつけ。親の生命を子供にあずけ、子から孫へと伝えてもらうのが家庭教育。

⑤ ・・・。そして「生きることについての経験」は親が権威を示してほしい。家庭教育を捨てたら、学校教育の意味はなくなる。

⑥ ・・・。子供が家庭で勉強している時間に、親がなにをすべきか、考えてみてほしい。

⑤⑥は学校教育の部分なのでここでは部分省略してあります。①~⑥をまとめたカードには、こう書かれていました。

* 子供をすこやかに育てるための家庭を考えてみてほしい。軽薄でない重厚な生活を作り、その中で、子供が果たす役割を与えてほしい(それが恵まれた家庭の中の子供の幸せではなかろうか)。親の生活がそのまま子供の生活態度に投影されるものだ。

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こうしてみると、当時はまだ「家庭」があったのです。今はその家庭自体が崩壊してしまったケースが多く目に付きますね。

この第一回懇談会に続いて、翌年第二回懇談会「父親の役割」、第三回懇談会「子供の将来と受験問題」、第四回懇談会「シンナー遊び」が開催されました。それらを、まとめた第二回の報告書には、5章あって、「1.父親の役割」「2.非行原因とその対策」「3.テレビと家庭教育」「4.進路と受験」「5.未来をみつめる」と、親達がどうすればよいのか考えに考えたことが記述されています。詳しく書きたくなる珠玉の言葉も見られます。それでも、第二回報告書には「たどりきて、いまだ山麓」という、将棋の升田名人の言葉に続いて、『* 頭で考えた「知恵」と、心で考えた「愛」を結合してはじめて真の方向が得られるだろう。また、私達は、生涯何かを学び続けねばならないだろう。』と、結ばれています。「生涯学習」という言葉が一般化するずっと以前のことです。

討議を重ねて行く内に、「中学生になってからでは遅い。親は、子供が小学生の時期に、目覚めなければならない」という研修部としての考えが固まってきました。

昭和55年、今度は方法を変え、小学校のS校長を口説いて、アンケート調査をさせていただいたのです。対象者は約500名の児童とその保護者でした。回答率は90%を越えました。報告書「小学生の生活とその問題点」ができあがるまでに、半年以上かかっています。昭和56年1月25日付けの報告には、「・・(前略)・・、私達は、単なる非行防止という目的ではなく、日本の、世界の、いや宇宙の将来を託すに足りる子供達をどう育成して行けば良いのか という大問題に取り組んでいる心構えで、このテーマを続けております。現実にやれることはいたって小さい事ですが、こうした地道な努力が、子供達が成人した時に、或いは孫の時代に花を咲かしてくれることを願いながら。」と、記述しています。

この報告書は、実は2種類ありまして、アンケートに協力いただいた小学校父兄へのレポートと、より高度の分析を試みた研究版なのですが、当時はまだコンピュータを自在に使える環境になっておらず、電卓で格闘して疲れ果て、研究版の方は未完のまま終わってしまいました(数年後もう一度分析に取り組もうとしたのですが、原データーが処分済みになっていて夢と消えてしまいました)。

第三報では、児童のテレビを見る時間と学習時間の関係が明確にデーターとして表されたのが印象的でした。それが何とも面白いのです。学習時間は学年に比例して増加します。大雑把に言うと、平均値としての学習時間は、1年生10分、6年生60分。増加程度は1→2年と5→6年の勾配が大きく、2~5年は5分/年 程度の勾配です。テレビを見る時間の平均値は、1年生2時間、6年生2時間30分。多少うねりはありますが、ほぼ直線的に増えています。平均値としてはどちらも高学年ほど長いのですが、高学年生の個々のデーターで、学習時間をX軸にし、テレビ視聴時間をY軸にしてプロットすると、下に凸の2次曲線が現れたのです。つまり、勉強時間が長くなると、当然テレビを見る時間は減るのですが、どうも長い時間の勉強には「テレビを見ながら」というのが入るらしいのです。この辺は、笑ってしまう問題ですが、分析しているうちに笑えない問題にぶつかりました。

一つは、「親が子供の教わっていることを理解出来ない」という事実(親の回答データー)です。6年生ですと20%位の親が分からないのだそうです。

もう一つは子供に「勉強の方法は分かっているか?」という質問と、「勉強の好き嫌い」聞いたところ、『勉強の方法を知らない子は、知っている子にくらべて、勉強が嫌いが多い』(高度に有意)という結論が出て来ました。そして、親の方の35%強は、「子供がどういう方法で勉強しているか を知らない」と答えていました。子供が勉強している姿を見守っていないのです。分からない事を調べる方法も分からない、親も見てくれない状態では、勉強嫌いになっても仕方がありません。

この調査では、塾通いについても調べていますが、当時は、学習塾、そろばん、習字。英語、音楽などが同じ程度の比率になっていました。いくつにも通うというケースは殆ど見あたらず、安心ししたものです。

発表されなかった「第三回報告書研究用」では、データーシミュレーションの結果、学習塾に通う子供が、勉強の方法を理解し始め、勉強が好きになって行くという推論が成立し、学校の教え方は、どうなのだろうという疑問を抱きました。「考え方」「調べ方」といった方法を教えないで、結論だけ覚えさせようとしているのではないか?・・勉強好きにならないのは、小学校の先生の教え方のせいではないのか? 先生の対児童の指導技術が未熟なのではないか・・つまり、家庭教育に向いていた私達の目を、学校教育に向けさせるデーターが出始めたのでした。

151017-4 G7060しかし、「ゆとり教育」という悪方針(?)が出てしまい、ちょっと様子を見ようと矛先が鈍ってしまったのも事実です。

長々と書きましたが、実は第一回の懇談会冒頭の挨拶で、M校長がこう言われていたのです。

「子供を一人前にするために、身も心もボロボロになるかもしれない。でも、それが親の責任なのだ。親としての責任を果たしてほしい」

古いと云われるかも知れない。個人差もあるかもしれない。でも、こういう覚悟で、子育てをやってきた「昭和世代の両親」は沢山居られたのだと云うことを、平成の親達に伝えずにはおられないのです。

さーて、明日は歩けるのかなあ・・雨の後は、山道が滑って歩きにくいので、「**山**寺」の方に行くかな・・

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2015/10/18: 児童憲章に思う(昭和50年代の子育)  (No.2475) への2件のフィードバック

  1. tkutsu より:

    熟読しました、全くその通りです。親の責任、教員の技量不足、常々気にはしていまたが、文面すること、学校などで発言することなく、子供が成長して社会に出たら そのようなことを感じなくなっていました。 孫の為に息子に話す参考とします。

    • bokejii より:

      ありがとうございます。 現代では、「家庭を形作り、それを守る」には、どうすれば良いのか、と言うところまで論議を戻さないと、いけないようですね。もっと突き詰めると、人類を滅ぼさない為に子孫を残すのか、人類は滅びた方が宇宙のためになるのか? という根本論議になって行くのかもしれません。

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