2015/11/04: 青梅街道・奈良橋;木瓜爺撮歩98-58(2) 奈良橋・八幡神社と境内社 (No.2492)

八幡神社の境内社を見て来ましたが、事前調査の神様リストとは全然異なるようです。あとで、もう一度調べ直さないと完成しそうもありません。それはそれとして、本殿に進みます。

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狛犬が一対あります。獅子型です。

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「阿」が子獅子を連れています。あまり怖くない獅子ですね。なんか笑っている・・

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お参りします。「多摩の神社 準備室」には、こう説明されていました。

『八幡神社 鎮座地 奈良橋1-258 *(木瓜爺注 1-256 が正しいようです)  祭神 譽田別之命(ほんだわけのみこと)
旧格式 村社 別当寺 覚宝院(廃寺) 例大祭 9月15日
解説 奈良橋村の鎮守。 創建年は不明。
天正3年(1575)と宝暦4年(1754)の棟札が伝わる。 当社に伝わる伝説では、ある時、戦に敗れた落武者が当所の祠で寝たところ、夢のなかで八幡神を名乗る神が村人に祠が壊れているので建て替えるように伝言を頼んだそうである。
元禄2年(1689)、当地の領主、石川太郎右衛門と岸隼人によって拝殿が建てられた。
現在の神職は押本氏が勤める。』

この神様が落武者に再建依頼をした話は、説明板にも書かれていました。これかな・・

m98-57-25 F0499 八幡神社

読みにくいですね、それでは、「猫のあしあと」さんに問い合わせて・・・

『当社は創立年暦不詳、太古より鎮守と公称しきて、何神と言うことはわからない。
宮がこわれようとする頃、いつの戦か、武士がにげて来て、此の森に露営しようと、四方を見ると、くらい中より宮のあるのがわかり、宮の中にねむると、その人に告げるに神の夢に「吾は八幡の神なり」当社によく宿ってくれた、宮が破損しようとしているので村人に建替ることを知らせて欲しいと言った。夢さめて翌朝地領に行き、其の理由を告げる。天正三年(一五七五)十一月、領主石川太郎右衛門氏の寄付により、社殿が再興され、其の後百十四年を経て、元禄二年(一六八九)九月旧領主石川太郎右衛門並岸隼人の尽力に依り拝殿が建てられ、其の後昭和七年に本殿幣殿拝殿が改築された。(北多摩神道青年会掲示より)』

再興「天正三年」といっても、ピンと来ないでしょうね。織田信長が安土城を作ったのが天正四年(1576)なのです。足利将軍が消えた直後です。その年に、社殿がぼろぼろになっていたということは、1500年代の中期以前の建立ということになりますm98-57-20 F0489ね。八幡神社というのは、武人の神様。社殿の欄間には、こんな額がいくつも残っています。ここにある、昭和7年の凱旋額は「満州事変」ですね。此の戦は「関東軍」が起こした侵略戦争です。満州全土を5ヶ月間で占領してしまったのでした。そして、このあと、日本の傀儡として「満州国」を独立させます。そういう歴史を思い出させる額です。

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社殿の横に、石祠を発見。何かはわかりません。その右にあるのか木の株です。いわゆる「ご神木」の根っこを記念に残して有ります。m98-57-22 F0491

社殿の後ろに回ります。この後ろの建物が、神殿部分でしょう。中は分かりませんが、新編武蔵風土記稿に出てくるような「古神殿」が納められているのかもしれません。この真後ろにまわると、そこに、もう一つの神社・・・多分に「奧社」的な感じの配置になっています。

m98-57-23 F0496 浅間神社

小さな石祠が、高い場所に置かれていました。前に小形の鳥居もあります。

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これは、「浅間神社」と書かれていました。祭神は当然、「木花咲耶姫命」。昨日の猫ちゃんの境内社をチェックしましょう。『境内社:大山祇命、天照坐皇大御神・月讀尊、素盞嗚尊、大山祇命、市杵島姫命、建御名方命』 ありませんねえ? 親父さんの「大山祇命」は書かれているけれど・・・仕方がありません。この境内社の記述は、信用出来ない、と言う結論にします。何でこういう事になったのかという原因の想像はできます。明治以降、合祀がさかんに行われました。そういう記録上の神社名リストを元にして、書き並べてしまったのではないでしょうか。ところが、実際に残っている境内社は、全然別の神社であった。実踏していなかった!

木瓜爺の実踏でお参りした境内にある神社名を、書いておきましょう。昨日のブログに始まります。

「御嶽神社 祭神 天児屋根命」(組み合わせに疑義あり)、「大六天社 推定祭神:面足尊・吾屋惶根尊」、「武内神社 祭神 武内宿禰」、「神明社 祭神 火霊之命」(組み合わせに疑義あり)、「浅間神社 推定祭神 木花咲耶姫命」 この外に、「八幡山覺寶院ノ名残ト思ハセル堂アリ 祭神 詳ナラス」

ふざけていないで、帰れ! 八幡様に叱られて退散します。

「郷土博物館」に寄ろうとおもったのですが、この日は月曜日で休館でした。

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10/16のブログに書いていた「食べ残し」は、これで終了。綿密に調べるとまだ、「高木村」にあった神社(現「高木神社」?)などが残っているようですが、青梅街道から離れて、村山貯水池の北側を歩いて見たいなと思っています。ちょっとアプローチの研究が必要なのですが・・・

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