2015/11/12: 高麗の鄕;木瓜爺撮歩18-13 箕輪山 満行院 霊巌寺 (No.2500)

「武蔵野33観音霊場」という札所チェーン(?)があるのですが、その「番外」なのだそうです。「高麗坂東三十三観音 番外」だという方もおります。「番外」なら沢山あるはずだから、云うこともないだろうに? 「番外」ってどういう意味なのだ? 木瓜爺は悩むのです。

m18-13-01 F0775霊嚴寺四国の八十八箇所霊場にも「番外」というのがありますが、『四国八十八箇所の巡拝者が立ち寄ることが多い寺院や修行場で、弘法大師伝説や札所寺院成立の縁起、あるいは、本尊の威徳・本誓に関わりの深い寺社や霊跡が多い。また、位置的にも道中に近接しているものが多く、四国八十八箇所以外で、それらの寺社や霊跡を総じて番外と呼ぶようになったとされる。栄枯盛衰があり定義も定まっていないので数は特定できないが二百近くとも三百近くはあるといわれている。』と言う風に、考えられているそうです。

試みに「武蔵野33観音霊場」の表を見ると、『第1番 長命寺、第2番 道場寺、第3番 三寳寺・・・・』と並んで居て、途中9番と10番の間に『番外 靈巖寺』と書かれています。なんとも不思議な感じ。「高麗板東33観音」を廻った方のブログでは、『赤沢辻堂、霊巌寺』の二箇所が「朱印 番外札所」と書かれていました。どうも「札所ではないけど、捨てがたい」という事のようですねえ? 四国のように「番外」が集まって「四国別格20霊場」というチェーンを作ってしまうほどの勢いはないのでしょう。

「霊巌寺」の駐車場にやってきました。この駐車場、四隅に水道が作られているようです。つまり、墓参の方が、手桶持参でやってきて、汲んで行けるようにしてあるのでしょう。

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左折して境内に入って行きます。トイレがあって、その手前に休憩舎が作られています。右手奥に本堂があります。

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あ、観音様だ・・・本堂の左に観音様がちらり、これが「箕輪観音」様だそうです。

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突き当たりにお地蔵様が居られるようです。

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「新編武蔵風土記稿」には、寺名の文字がちょっと違っていますが、記述されています。

霊岸寺 箕輪山満行院と号す 新義真言宗 入間郡上野村醫王寺末なり 慶安四年地蔵堂領四石の御朱印を賜はる 開山宥仙 応永元年七月十三日寂す 本尊大日を安す  地蔵堂 榛名満行の書きし地蔵にして長一尺七寸許 霊験あり常に開扉せず 別に立長三尺許の地蔵を前に安す  榛名愛宕稲荷合社 疱瘡神社

応永元(1394)年以前に開山されたお寺です。大日如来を本尊とするお寺で、地蔵堂があったわけですね。その地蔵堂に「満行書の地蔵絵」があった。明和(1764~1772)のはじめに火災があり、本堂、山門、庫裡は焼けた・・地蔵堂は焼けていませんね・・明和の時代に、地蔵堂が分離されていたかどうかは分かりませんが、多分別になっていたから、地蔵絵は無事だった・・木瓜爺だまされませんぞ!

「武蔵風土記稿」に「霊験あり」と書かれているのは、この「火災から逃れた」ということを意味しているのでしょう。「新編武蔵風土記稿」が書かれたのは、「文化 文政」の頃と云われていますので1800年頃、明和よりも後なのです。なお、昨日書いた「天明」は1780年頃ですから、即身仏はもう出来ていたはずですが、そう言う政治批判みたいなことは書かないのですね。

m18-13-05 F0778「榛名満行」のことを書くべきかな? 「榛名山から満行上人が下ってきて」と解説されているものが多いのですが・・・木瓜爺の見解は少し違っています。これは、人名のように見えますが、榛名山の「満行天狗」だと思うのです。でなければ「榛名山満行大権現」。実際に、ここに来たとすれば、榛名山の修験者でしょう。あるいは、そいうペンネームを用いる仏師・絵師がいたのか・・・嘘だと思ったら、榛名山と満行の組み合わせで検索してごらんなさい。「満行上人」という表現は、「霊巌寺」側にしかあらわれません。「満行天狗が坊さんの格好でやってきたのだ」なるほど、そう言うことかもしれませんね。足元の銀杏が匂います。

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ははあ、観音様が隠れてしまいましたね。本堂の横に、神社が入った小社がありますね。あれが、境内の神社ですね。

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ちょっと、ショートカットじて、祭神を見てみましょう。

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榛名愛宕稲荷合社+疱瘡神+熊野三社神社も合祀されていると書かれていますね。木瓜爺はさっき、熊野神社に寄ってきたので ? です。おそらく、流れとしては、一昨日の熊野神社が「観音寺持」だったので、「観音寺」が消えるときに、同じ「真言宗」の「霊巌寺」に管理を移し、こちらに合祀するというような事が行われたのでしょう。しかし、元の神社は地元の人々によって守られ、両方に残るという形になった、という推定。

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中は、小社です。熊野三神は、こんなせまいところいやだ・・で、元の神社におられるでしょうね。

隣の観音様・・・岩山の上におられます。

m18-13-19 F8713箕輪観音

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観音様の足元に並ぶ石碑も、興味津々です。向かって右から二番目は「六角地蔵塔付き石灯籠」ですよ。

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本堂にお参りしなくては・・・本尊は何でしたっけ?「大日如来」から「地蔵菩薩」に変わったの? 今は何なの? お寺のホームページは見つからないのですが、「武蔵野33観音」のホームページには、『宗 派 … 真言宗智山派 本尊尊 … 地蔵菩薩 札所本尊 … 聖観音 』と書かれています。

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本堂前。うーん、どうもあの札が気に成るなあ・・

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m18-13-10 F0792 とうとう、「番外一番」になってしまいましたよ。「別格十番札所」でも作る準備かなあ? かなり、商売気があるお寺のようですね。でも、居心地は悪くないですよ。観音参拝の団体客が来るのかも知れませんが、広場の真ん中にベンチが並んでいたり・・・

この、木鼻も素敵でしょう。

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m18-13-12 F0793「弘法大師」も居られます。八十八箇所霊場ではおなじみですが、ここは観音霊場ですよ? 「アホ、ここは真言宗寺院やで!」叱られました。

境内にはいろいろな建物があるのですが・・

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「三客殿」と書かれていますね。これは、「客殿」ですね。三は施設に振ったナンバーらしい。

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こちらが、「納経所」、観音霊場の巡礼さんが寄るところです。

お腹を空かした木瓜爺、最初の「休憩舎」の一隅を拝借して、おむすびを食しました。この「休憩舎」の背後なのですが、窪地になっています。

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でも、何か意味ありげな段が付いていますね。小山を削ったような気もします。古墳でも出て来そうな・・・次は「稲野辺神社」というのをたずねて見ようと思います。新編武蔵風土記稿には「名馬」を祀った神社と書かれています。

おや、ブログの連番が、2500と成りましたね。2008/12/20がChoi-Boke爺ちゃんのブログのNo.1でした。 まもなく七年ですね。こちらの木瓜爺ブログも許容容量の2/3を使いました。もうすぐ、すべてが終わるのかなあ・・

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