2015/11/15: 高麗の鄕;木瓜爺撮歩18-16 路傍の石仏 (No.2503)

「建光寺」をでて、北に進んだところで、道端に石仏を見つけました。

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「青面金剛の庚申塔」のようですが、もう一つ大きな石があります。

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大きな石は「馬頭観音」の文字碑でした。作られた時期は分かりませんが、「嘶明神」「馬頭観音」と並ぶと、この道は、昔の街道の一つだったのかも知れません。どこにつながる街道になるのか、現代の地図で見ると、この道は二つに分かれて、一つか越生方面へ、もう一つが坂戸に行きます。越生方面は、都幾川、小川町、寄居町・・・坂戸は川越のすぐ西ですね。ということは、ちょっと回り道になりますが、秩父と川越をつなぐ道の一部分を構成しているのかもしれません。ちょっと待って下さい・・・江戸から秩父の観音様に行く道を調べます。十返舎一九の「秩父巡礼道中記」に何か書かれて居た・・「秩父巡礼の道、江戸よりゆくには三筋あり、川越通、戸田通、あれの通。」この「あれの道」というのが、飯能から吾野を通る道、今の西武秩父線ぞいの道ですから、「高麗本郷」をかすめていますね。「川越通」は、川越から小川町にゆくのですが、小川町の安戸辺りから先は現在の県道11号(?)線に一本化されます。それまでがどのようであったかはよく分かりません。

さてもう少し進みますと、確かに大きく二筋に分かれます。ただ、道路工事が今も継続中のようで、道標などがでていません。

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この先に、更に右に分岐するところがあって、「川島方面」となっていました。

やがて、手持ちの地図では「馬場下橋」と書かれた橋に差し掛かったつもり・・でしたが、橋の名前が「冨士橋」に変わっていました。散策の帰りに、日高市の地図を購入して眺めると「冨士橋」になっているのは確かめられましたが、地図にない橋が、左右に架かっているのです。左の写真が上流側、右が下流側。どちらも地図にない橋です。

m18-16-05 F8120 ふじ橋m18-16-04 F8119

左の方は、変な道(昔、秩父の武甲山までつながっていた)でして、何日か後に再登場します。右は、先ほどの道路工事の関係でできる新道の橋ではないかとおもうのですが・・・

m18-16-06 F8123橋を渡った所にあった「消防団」の「時計」。目的が分からない状態です。周りに何か作られるのでしょうか?

m18-16-07 F8124地図をみると、この道を横断して、ハイキングコース道を山に入ったところに天神社が書かれているので、坂を登ってみました。その道で、まず出逢ったのは・・・「お墓」に見える物ですが、道端なので何かの供養碑でしょう。

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この摩耗した仏像?が何だか分からなくm18-16-09 F8125て、暫く時間を浪費・・

合掌仏のようですが、頭は僧形ではないようです。馬頭観音でもないようです。持ち物も内容ですし、いまだに何だか分かりません。「大日如来」かなあ?

もう一つであったのは、休業中の果物農園の休憩所に貼ってあった写真なのですが・・・

m18-16-10 F8130越生と毛呂山の間の山の上にある「桂木観音」付近で写したスカイツリーの写真。日の出時に太陽の真ん中に入る日があるようです。これはメモしておこう・・・です。

なぜそんな休憩所に入り込んだかというと、灰皿と、飲料の自販機があったからです。

一休みして、元の川沿いの道に戻り、今度は南に進行。すぐに、「松福院」は見つかりました。ただし、まぶしい!

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