2015/11/17: 高麗の鄕;木瓜爺撮歩18-18 白鹿山 熊野院 金剛寺 (No.2505)

しばらく歩くと、例の不思議な道をくぐりました。

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土台の方は、確りしているのですが、上の方が変です。コンクリートの箱がつながっているような感じ。

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人の気配はありません。地図で見ると、かなり長い直線路で、Googleの航空写真でかくにんすると「高麗川カントリークラブ(ゴルフ場)」の地下に突入しているように見えます。家に戻ってから、あちこち調べてみると、これは「太平洋セメント日高工場と秩父武甲山の採石場を結ぶもので、旧秩父セメントの時代に建設された」のだそうです。見た目ではあまり道巾は広くありません(一車線にしか見えない)から、道は道でも、長いコンベアベルト(?)の連続する奴だったのかも知れませんねえ? 工場の方はゴミ処理場になり、この道は現在使われていないとのことです。閑な時、武甲山側の出口を航空写真で探してみようかな・・・

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これは脇道ですが、立派な家があります。やはり、この辺りは一軒の家の面積が大きいようです。街中のウサギ小屋とは比べものになりません。などと思っていると、雑木の向こうに、お堂の屋根を発見しました。

m18-18-04 F8180金剛寺

「高麗鄕地絵図」を見ましたが、何も書かれていません。もう一枚の地図の方をみますと、「金剛寺」と書かれています。「新編武蔵風土記稿」の平澤村を調べると、有りました。『金剛寺 白鹿山熊野院と号す 臨済宗栗坪村勝音寺門徒なり 開山□□ 寛永十三年十二月廿九日寂す 本尊釈迦を安せり  地蔵堂 熊野三社』□□はコピーがかすれていて判読出来ません(鯖藝 という字のように感じます)。

m18-18-05 F8181寛永13(1636)年以前の開山、徳川家光の頃ということです。「熊野院」という院名は鎮守社の熊野三社からでしょう。もう廃寺になった寺ですが、残っているのは地蔵堂か本堂か? ここも「門徒」のお寺ですね。

見に行っています。この道を入るのですね・・

 

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残っているのは、お堂だけのようです。小ぶりですが「本堂」でしょうか?ある程度奥行きがありますから・・段を上がろうかと思ったのですが、崩れそうな痛み方なので、遠くから合掌一礼。裏の方には、小さな墓地が有りましたので、元檀家の方が守っておられるのでしょう。

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元の道に戻って、向こう側に目をやると、草むらに何か並んで居ます。

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左は「馬頭観音文字碑」右は「地蔵尊」のようです。ここからしばらくは、単純歩行、絵地図にある「滝岸寺」を目指します。・・・あ、看板と山門らしき門が見えました。「滝不動尊」・・滝があるのでしょうか?

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