2015/11/22: 高麗の鄕;木瓜爺撮歩18-23 (上鹿山村) 法護山 地蔵院 西光寺 (No.2510)

「高麗川神社」から南に100m程歩いたところで、ちょっと脇道に入ってしまいました。勘違いして早く曲がってしまったのですが、墓地が見えました。でも寺らしい建物はないので、その墓地の横の家から出て来た女性に「西光寺という寺がありませんか?」と尋ねましたら、「知りません」という返事です。仕方がないので、一旦墓地の方に入ってみると、右の方から真っ直ぐ墓地にぶつかる参道が有りました。それで、そこを出て行ったのです。すると、道路に石碑が立っていました。

m18-23-01 F8401西光寺

なんだよー、ここじゃないか・・・それにしても、自宅の前の墓地が西光寺の墓地だと知らない住人って・・・ひょっとすると、あれは空き巣か何かだったのかなあ? 冗談はさておいて・・・

m18-23-02 F8402

広いスペースが出来て居ますから、ここは寺の跡なのでしょうか? 左の家は普通の個人名の表札でした。とにかく、入り直します。右側の塀沿いに、痕跡がありました。

m18-23-03 F8404

向かって右から、「橋供養碑」2番目は童子像か地蔵様か? 3番目は「南無阿弥陀仏」真ん中が「弁財天」ついで「馬頭観音文字碑」、その次が「不動明王」らしい、そして「地蔵尊」です。

「新編武蔵風土記稿」によると、『法護山地蔵院と号す 新義真言宗 新堀村聖天院末 本尊地蔵を安す 慶安二年地蔵堂領二石五斗の御朱印をたまり   地蔵堂 木の立像長一尺三寸なるを安す 行基の作なり』

現在も「真言宗智山派」寺院のリストには残っています。

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駐車スペースの向こうに、家があります。もしかすると、あれが本堂兼住居なのかも知れません。玄関に子供が出てきたので、聞いてみようかと思ったのですが、すぐに消えて?しまいました。

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墓地との境目に立つ、やや大きな地蔵菩薩です。横に「六道地蔵」の名前を書いた板?が並んでいました。これが、本尊代わり? よく分かりませんので、失礼をしないうちに退散します。 ブログを書きながらネット情報を探しましたが、寺院リストで、名前・住所(日高市上鹿山78)くらいしか出て来ませんでした。

m18-23-06 F8411

次は「猿田村」の「正福寺」を探そうと思います。地図を睨んで、近道を見つけます。

「上鹿山」の交差点でまず右に入ります。

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畑が住宅化する姿を眺めながら、方角的には西に進んで行きます。低い山に雲がかかって、高山の趣ですねえ・・m18-23-08 F8414

やがて、30号線という広い通りを横断してさらに西へ。m18-23-09 F8418この道の西は「猿田村」の筈。

 

 

 

畑の中に何か見えますね。墓地らしいですね。地図上には何も書かれていません。昔は、小さなお寺があったのかもしれません。「新編武蔵風土記稿」では「正福寺」のほかに「西蔵寺」という名前があります。

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さあて、そろそろの筈なのですが・・・・これはどちらだろう?

m18-23-11 F8421

 

 

 

 

何だか段々道が細くなるなあ・・などと、悩みながら、とにかく地図+磁石の歩行です。

m18-23-12 F8422

「かに沢の広場」という所に出て来ました。何となく、正福寺に近い気がします。墓地も見えますね。・・・

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