2015/11/23: 高麗の鄕;木瓜爺撮歩18-24 (猿田村) 醫王山 薬王院 正福寺 (No.2511)

このお寺も、正面からでなく、裏からお邪魔することになってしまいました。

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墓地の方が存在感が強いのです。その理由は最後に分かりましたが・・・見えているの建物が本堂なのか? 観音堂みたいな気もしますが? どこから入れば良いのか? よく分からないので、写真の左の方、墓地を迂回して、お堂の裏にでることにしました。

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m18-24-00 F8424供養碑がずらりと並んでいます。中央はお釈迦様か観世音菩薩か? よく分かりませんが、眉目秀麗。耳たぶが大きいですねえ・・醫王山ですから「薬師如来」かなあ?

m18-24-03 F8425正福寺

『正福寺 醫王山薬王院と号す 新義真言宗新堀村聖天院末 本尊十一面観音を安 』「新編武蔵風土記稿」の記述です。医王山薬王院とくると、薬師如来を想像してしまうのですが、十一面観音でした。現在は、真言宗智山派。「高麗板東三十三観音」のトリ、つまり第33番のお寺だそうですが、無住のため、御朱印は比留間さんという近くのお宅で頂いてくださいと、観音様が申しておられました。

ここは、本堂というよりも、観音堂のほうが似合いますね。「新編武蔵風土記稿」の記述とにらみ合わせると面白いのです。風土記稿では「観音堂」と「薬師堂」のことが書かれていまして、『観音堂 西福寺の持』『薬師堂 正福寺の持』ところが、「西福寺」という寺がないのです。代わりにあるのは「西蔵寺」。変です。「西蔵寺」と「正福寺」がごっちゃになって「西福寺」に化けたようです。これは「新編武蔵風土記稿」の原本は筆で書かれていますので、それを活字にかえた「国土地理院」の誤りも絡んでいるのかもしれません。

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m18-24-05 F8428 お堂の横には、例によって「猿田区公会堂」が出来て居ます。お堂の縁の下にこんなものが横たわっていました。

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この縁の下の柱は、祈祷の時に本堂の前に建てる柱ですね。専門的な名称は存じません。こうした物が寝ているということは、たまには加持祈祷などが行われるのでしょうか? 「聖天院」末と言うことですから、お坊さんはそちらから出張して来られるのでしょう。m18-24-06 F8429観音様におまいりしてから、もう一度墓地の方によることにしました。よく見ると、お墓でないものが、一箇所に集められている事が分かりました。

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一辺は地蔵様方で、六角地蔵塔もあります。m18-24-10 F8433m18-24-11 F8435他方は観音様列かな?このあたり「馬頭観世音」は文字碑が多いようですね。でもこの「馬頭観音」はうっすらと像が浮かんで来たような・・・

境内のあちこちにあったものを、この一画に集めたのでしょう。それで、墓地の方が、木瓜爺に強く感じさせた・・・え? ただ墓地の仏達が、早く仲間になれと呼んでいるだけだ? ・・・ 「お騒がせしました。もう少しこの世で遊ばせてください。」

木瓜爺ほうほうの体にて、次に向かいます。現在の地図では「楡木(にれき)」という字になっていますが、「新編武蔵風土記稿」では「楡木村」。何が待っているのでしょう。

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