2015/11/24: 高麗の鄕;木瓜爺撮歩18-25 (楡木村)玉王山 東光寺 (No.2512)

楡木村に入るとなると「新編武蔵風土記稿」の記述を先に紹介したくなります。木瓜爺楡木村の冒頭の記述が気に入って(?)いるのです。まずそれから始めましょう。『楡木村は郡の中央より少しく東北よりにあり 高麗領高麗郡に属す 村内に旧家と称する農民四五軒あり それか家にある楡木はその類の他になきものにて村名もこれより起こりしと 此農民等は古へ高麗王に陪従して爰に移りしものの子孫なりと云伝れと證とすへき□なし・・・』□のところは、今は使わない字ですが、「カギなし」というような意味らしいです。

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「正福寺」から、ほぼ西に進んで、シルバー人材センターの横あたりから15号線に出て行きます。農産物直売所が出来て居ました。「高麗川マロンの里」って何だろう?

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これが、直売所の名前らしいです。日高市の栗のブランド名が「高麗川マロン」なのだそうです。隣に「豆腐工房」がありました。レストランも併設されていたようです。m18-25-01 F8444 木瓜爺はよほどのことがない限り、買い食いしないほうなので、美味いかと聞かれると困ります。子供の頃、お腹が弱かったので、買い食い出来なかった・・・戦時から戦後で買う物もなかったけど・・・ので、「自分で持って行ったものしか食べない」習慣が出来てしまったのですね。 15号線を西南西に歩く事100m、右手にお堂らしいものが見えました。隣の建物は雨戸を閉ざしたままです。無人化しているらしい。

m18-25-02 F8445楡木東光寺

ナナメに入って行く道があったので、それを入りました。金網の柵に囲まれていますが、入れるようです。

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見た目は「廃寺」ですねえ? 前に一対の石碑。

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向かって右は「如意輪観音」と分かりますが、左は「馬頭観音」でしょうか? 摩耗していてよく分かりません。「新編武蔵風土記稿」にはなんと書かれているか・・・

『東光寺 玉王山と号す 新義真言宗新堀村聖天院門徒 本尊阿弥陀を安す 薬師堂 薬師は木の坐像にて長一尺八寸 行基の作と云』

ここも門徒の寺ですね。こちらのお寺の通称というか、地図上の名称は「楡木東光寺」になっています。お堂は「薬師堂」なのでしょう。しかし、中は空になって、建物だけがあるようです。真言宗智山派のはずですが、リストに有るかどうか?・・石材屋さんなどのリストには残っているようですが、寺としての機能は失われ、むしろ隣にある公会堂の方が、住民の憩いの場として働いているようです。「東光寺住所:埼玉県日高市大字楡木21」

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道路からの入口目印は、この石灯籠なのだと教わりました。たしかに、こちらから来ると、集会場の陰にお堂が隠れて見えませんね。石灯籠の横にあった「石碑」。「大山講」と書かれています。

m18-25-07 F8456木瓜爺、遅まきながら、正しい入口側に出て来て、お堂の西の道を歩き出します。

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やや、立て札が立っています。「日高市が地主に無断で道路拡張工事をした現場です。  他にも例があります。皆さんも、気をつけて下さい。 山内には役場職員の職務上の立入は禁じます。(緊急時は除く)  前山主」

「前山主」と書かれていますから、一応「現山主」もおられるのでしょうね。 問題がこじれっぱなしになっているようです。有るのですね、こういう行政側との食い違いのようなことは・・木瓜爺の所でも、道路設計が、木瓜爺の生活の便を著しく損なう状態になっていて、苦情を申し入れ、かなり修正して貰ったことが有ります。でも、工事の最中に工事車の接触で壊されたフェンスは、とうとう知らん顔を決め込まれてしまいました。これは、実際の工事が孫請けの更に先の、管理されていない運搬業者などに行ってしまうので、工事中にクレームを付けないと、後からでは責任のなすり合いだけで、追い切れないのですね。とにかく、公共工事も、自営のために、常に監視していることです。

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これが、拡張された道路です。この道を、北に向かいました。次は「野々宮村」の「野々宮神社」に行きます。ん? お堂の裏のほうに、供養碑などが並べてあります。これも道路工事の影響でしょうか? 何か不自然です。

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道路の向かい側は、砂利置き場です。 見渡しても、楡の1300年古木は残っていそうも有りませんね・・「楡」という木は、原産は中南米だと云われているようで、高温多湿が向いている木だそうです。そう言う木が旧家にあったということ自体が不思議。と言っても、「楡」と「欅」は親戚だそうで、「新編武蔵風土記稿」の楡が今の楡と同じかどうかは分かりませんが・・風土記稿には「楡木」のスケッチが入っていますが、この時点ですでに主幹は切られていて、脇からでた枝が葉を付けている絵になっています。

野々宮村に入ったかな? と思う辺りになにやらありました。「供養塔」なのですが、何と書かれているのか? 下に三猿が居るところを見ると、「庚申塔」かも知れませんね。下の方は「金剛塔」と読めますね。「青面金剛塔」でしょうか? そういう「庚申塔」があるということは聞いて(見て かな?)います。これがその現物かあ・・

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暫く進むと、高麗鄕おなじみの道標がありました。

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「野々宮神社」は左折です。多分、参道入口でしょう。鳥居があるかな?

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