2015/12/02:高麗の鄕;木瓜爺撮歩18-32 栗原山 勝音寺 (No.2520)

「如意輪堂」から、来た道を戻って、「栗原山 勝音寺」に来ました。「栗坪村」「栗原山」このあたりが「栗」の産地であることが理解出来る名前です。江戸時代から「名産」だったようで、「新編武蔵風土記稿」にも、「・・・是を坪内に貯れば翌年仲春に至りても其味かわらされは・・」と記述されています。年を越して、江戸に供給していたのかも知れませんね。「坪」というのは「壺」ではありません。塀に囲まれた小さな場所などをいうようです。

m18-32-01 F1004勝音寺

『勝音寺 栗原山と号す 臨済宗、相州鎌倉建長寺末 慶安年中観音堂領五石の御朱印を賜ふ 開山は建長寺七十三世佛印大光禅師久庵僧可 應永二十四乙酉正月二十六日寂す 時に年七十八 禅師は上杉兵庫頭憲政が男なり 父の命によりて入唐し 在唐十年ののち帰朝す 東国無双の智識といふ 本尊は弥陀を安置す 末刹二ヶ寺あり』

風土記稿の記述です。続いて『寺寶 大般若経一部 康安貞冶応安等の奥書あり 其文に下野国佐野庄之住人 一巻百禮 観音載法一 字楞巌呪一 及金剛経一巻 心経七巻読誦 諸願供養書比丘昌地 大檀那浄心禅尼一人とあり 全部の内七十巻を失ひたれば後人之を補写すと
観音堂 千手観音 脇士不動毘沙門を安ず 共に定朝の作 観音は坐像にて長一尺七寸余 脇士は立像にて各長一尺二寸余 再興は延文五庚子年四月 佛師周防法橋明尊なりと 其後享保年間修補を加ふと云  鐘楼 正徳元年鋳造の鐘を懸たり』と書かれています。(原文はひらかな部分がカタカナ。また、漢字も例えば「号」ではなく「號」という具合に昔の難しい字で書かれています。)

m18-32-02 F1008勝音寺

m18-32-03 F1009こちらは、武蔵野三十三観音霊場27番、高麗三十三ヶ所霊場30番という札所です。賽銭箱の横に「納経箱」も置かれていました。観音様はどこに居られるのか? 「猫の足あと」によると、本尊は今も「阿弥陀様」ですから、脇に居られるのでしょうか?よくあるパターンで札所用に、観音様が屋外に出張されているお寺もありますが、ここはそういう像は見られません。これが「観音堂」でしょう。

m18-32-04 F1010

堂の造りも簡素で、禅宗らしいのですが、本尊「阿弥陀仏」というのことは、ずっと以前には別の宗派だったのかもしれません。と考えて調べたら、別の資料が見つかりました。

「武蔵野三十三観音」の方の紹介で、少し詳しい情報が書かれています。

『栗原山勝音寺は、鎌倉建長寺72世勅諡佛印大光禅師、久菴僧可大和尚(上杉兵庫頭憲将公の子息にして応永24年正月26日寂・78歳)阿弥陀如来を本尊として、応永3年8月創立。江戸初期罹災し4世隣藝和尚(平沢の金剛寺 駒高の安州寺を創立)により再興するも、亦々天保8年本堂を焼失し現在に至る。

観音堂(現在仮本堂)本尊千手観音菩薩(坐像1尺7寸)脇佛不動明王、毘沙門天(共に立像1尺2寸)を安置する。詳細不明なれど、相模国鎌倉の佛師定朝作と伝える、延文5年佛師周防法橋朝尊により修補、その後享保年間、昭和60年にも再修復現在に至る。(市指定文化財)』

なるほど、本堂が焼失して、「観音堂」が残ったのです。従って、現在は「千手観音様」が本尊なのですね。脇仏「不動明王」「毘沙門天」という組み合わせは、はじめて聞きました。・・・実はもう一段進んでいたのですが、最後に・・・

m18-32-05 F1011

鐘楼の鐘、銘文が刻まれていて、ゆっくり読みたい気もするのですが、真ん中の文字が「南無釈迦牟尼仏」なのです。単体としては問題ないのですが、今まで書いて来た事には「釈迦如来」が出て来ないので、なんとなく違和感・・・風土記稿にある「正徳元年の鐘」かどうか、確かめるのも忘れてしまいました。多分新しいものでしょう。         本堂の横に、お地蔵様方が居られますので、そちらに参ります。m18-32-06 F1016

「六地蔵」プラス1です。この左にもあります。

m18-32-07 F1017

如意輪観音も混じって居られますね。分からないのは、二体の地蔵の前に「六道地蔵」の名前を書いた札があること。どういう意味なのでしょうか?

首をひねりながら、帰ることにします。

m18-32-09 F1021

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この時、はっと気が付きました。

m18-32-11 F1005

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、そうか、日高市の文化財関係者が書いた時には「観音堂」が「仮本堂」だったのだけど、今はもう本堂が出来て居るのだ・・・見えている二つの建物、「観音堂」とは別物です。ですから、本堂と庫裡に相当するのでしょう。したがって、こちらには、「釈迦牟尼仏」や「阿弥陀如来」が居られるのかも知れない。やっと、納得出来ました。ところで、来た道を覚えているだろうなあ・・・頼りない「呆け爺」に成り下がっています。

m18-32-10 F1047

無事、栗坪の交差点に戻って、西に向かいます。「絵地図」には「諏訪神社」があると書かれています。どんな神社でしょう。

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