2015/12/03: 高麗の鄕;木瓜爺撮歩18-33 栗坪・諏訪神社と三峯社 (No.2521)

「新編武蔵風土記稿」に記された「諏訪神社」の記述が、興味津々なのです。

『諏訪社 栗坪梅原両村の産神なり 宮を造営するは神慮に叶わすとて 村の内 往還の傍に笹竹をもて屋根ともに打ち□へり 例祭七月廿八日にて其時かの笹竹の覆い改め営むと云 村持』 □の一字は今は使わない文字らしく判読できません。「産神(うぶかみ)」というのは、妊婦と生児を守ってくれるということで信仰された神。日本では産の忌があり,出産は穢れ多いものとして神参りを遠慮させられたが,産神だけは産屋の忌のなかへ入って守ってくれるものと信じられてい ます。」 これは事典の受け売りです。「産土神」と同じでしょうか? あとで、調べてみます。

m18-33-01 F1048諏訪神社

これですねえ、さすがに「笹竹」ではありませんが、路傍に造られた拝殿です。横に獅子舞お神楽関係の道具を仕舞っているらしい倉が出来て居ました。

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現在は、拝殿と神殿が出来ています。

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裏の方は広場になっています。奧に見えるのは、獅子舞のステージでしょうか?広場の隅の石に腰を下ろして、小休止。・・おや? 広場の西北の隅に、何か祀られています。行って見ると、小さな石祠の中には、「三峯神社」の御札がありました。風土記稿には書かれていません。

m18-33-06 F1055三峯社

風土記稿に。この栗坪村での「高麗川」について、記述されています。橋のことが書かれているのです。『高麗川 村の西高麗本郷より流れ来り 当村及び清流高岡三村の境を十五町許 曲流して 楡木新堀両村の境に注く 川幅三十間より五十間に及ふ 水流 平常は六七間はかり 冬春の間は橋をわたし 其の余は徒渉す』 寒い時期は橋を架けるが、夏秋はじゃぶじゃぶ渡るのです。沢山雨が降ると通行止めなのでしょうね。

栗坪村には沢山お寺もあったようですが、今は地図上ではみつかりません。それでは、m18-33-07 F1060「梅原村」に行って見ましょう。2011年にChoi-Boke爺ちゃんが、巾着田の裏から訪れたお寺だと思うのですが、「満蔵寺」というのがありました。そこに向かいます。この辺を、入って行けば良い筈なのですが・・・住宅の間を抜けると、田園風景に変わります。m18-33-08 F1062

 

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あの木の下で一服してもよいのかなあ?

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学校がありました。「高麗中学校」です。この学校の所から、右に入って行きます。

m18-33-12 F1072

絵地図には「甲源一刀流碑」があると書かれているのですが、見つけないうちに、「お堂」の方が姿を現しました。やはり、見覚えのあるお堂です。たしか「地蔵堂」だったと思います。

m18-33-13 F1074萬蔵寺

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