2015/12/12: ときがわ町散歩;木瓜爺撮歩88-21 番匠八幡社と牛頭観世音 (No.2531)

「十二月十二日」、十二歳の時に、まじないの御符を書かされたなあ・・普通の半紙なのですけど、十二歳の子共が「十二月十二日」と書いたこの紙を、上下逆さまにして、泥棒が侵入しそうな勝手口や、雨戸の裏側に貼っておくと、泥棒よけになるのだそうです。私の時は、窓などにも全部貼ると言われて、短冊にした小形の紙に何枚も書かされて、泣きたくなった覚えがあります。十二歳の十二月十二日というのは、一生に一回しかないのだから、頑張りなさいなんて云われて・・・「一日の大切さ」を教わったのかなあ?

さて、「Choi-Boke爺ちゃん」が、「木瓜爺撮歩」で、ときがわ町の散策をはじめたのは、2013/7/24でした。その冒頭の記事が、今日のスタートと重なります。

24- 木瓜爺撮歩65-1 ときがわ町・番匠・八幡神社 (No.1659)

今回は、ここから始めて、バスセンターから南の方向に歩きます。終点はJR越生駅と決めて、一駅歩いてみようと考えていました。距離的には歩けたのですが、途中で迷子になり、時間ロスで寄りたい寺社に寄れなかったので、また改めて出直す予定です。

m88-21-03 CF1132歩いたのは、2015/11/21の事です。「明覚駅」に着いたのは、9:30。バスセンターまで、バスで行くと楽なのですが、この日は接続していない事に決めて、全コース歩く覚悟です。「明覚」という名前について、現地の「豆腐屋」さんのホームページに、こんな事が書かれていました。『明覚駅の由来は当地がむかし明覚村であったこと、またその昔、明覚は妙覚とかき妙覚寺というお寺があったということです。』。「妙覺寺」から「妙覚村」ができ、「明覚村」になり、そこに出来た駅だから「明覚駅」になったという説ですが、いつ頃の話なのか定かではありません。「新編武蔵風土記稿」には、関係しそうな別の事が書かれていました。『本郷村は妙覺鄕大河原庄玉川領と唱ふ 妙覺と称する故は詳ならされと今此鄕名を冠る村 八か村あり (中略) 平村多武峰観音堂に掛し 天文十五年の鰐口にとのみあれは 古は一鄕にて 後 今の如く八ヶ村に分かれしなるへし (後略)』ここで「鄕」といっているのは、「里(さと)」の事と思えばよいようです。つまり、「明覚」は、大昔の「妙覺鄕」から付けた名前と考えればよいようです。「本郷村」というのは、番匠村と玉川鄕に隣接した村だったようです。 駅の近辺は、「新編武蔵風土記稿」の時代の「番匠村」らしい。「番匠村」の方は、由来がはっきりしていまして、「平村」に「慈光寺」m88-21-04 F1135を作る時に、伊豆国の方から工匠を呼んで作らせ、その人々をここに住まわせたので、「番匠村」(源頼朝時代の「番匠免」という税金を少なくする制度が適用されたようです)となったことが、風土記稿に書かれています。なお、「新編武蔵風土記稿」の「番匠村」には「岩淵明神」と「八幡社」の二神社が有り、そこでは、『八幡社 村の鎮守とす 村民持』  とだけ書かれています。m88-21-05 F1136

 

 

 

 

 

m88-21-06 F1137神社の周辺には「石碑」なども並んで居ます。前出のブログでは、写真に撮しています。今回は、御輿小屋の御輿だけ覗いて、出発します。最初の神社ですから、ちゃんと「交通安全」などをお願いしました。少し歩くと、「馬場」のバス停。「番匠村の西は馬場村」だったようです。武家の馬場があったのかと思いましたが、風土記稿を読むと、馬場氏という旧家があり、その名前が村の名前になったようです。m88-21-07 F1139馬場村

 

m88-21-08 F1141

バスセンターに向かって、西に進んで居るわけですが、右手の方は畑ですね。あの人家のあたり歩いた事があるなあ・・・などと、思い出しながら進んで居ます。

m88-21-09 F1144

墓地のような場所が出て来ました。記憶によると、此の近くにアレがあった・・・

m88-21-10 F1146牛頭観音

これこれ、 「南無牛頭尊」とあるでしょう。「牛頭尊」って何か分かりますか? 最初見た時は「牛頭天王」の事かと思ったものです。実は「牛頭観世音」なのだそうです。「馬頭観世音」は「馬」が働く地域に多いのですが、こちらは「牛」の供養です。数は多くありませんが、全国的に見られるようです。

m88-21-11 F1149

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

m88-21-12 F1151だいぶ歩いてきました。そろそろバスセンターの筈なのですが、道の左側に注意を向けます。「関堀」?これは全く記憶にありません・・・m88-21-13 F1152

 

 

 

 

 

「新編武蔵風土記稿」を見ると、「馬場村」の隣に「開堀村」という名前が出て来ます。「開堀村」は民戸二十余だそうです。『関妙山養福寺』という臨済宗の寺があったようです。「地蔵堂」が出て来ました。墓地の本尊みたいですね。あ、やっとバスセンターの横にある庭のような場所です。ここまで、最初に歩いた時は20分で来たのですが、23分かかっています。それだけ、足の動きが遅くなっているのです。

m88-21-14 F1153

m88-21-15 F1156

ここがバスセンター入口です。左に入るとバス停が並んでいますが、今日はバスに乗るわけではないので、素通りして行き過ぎたところにある町役場の角を左折します。

バスセンターの後ろに体育館があって、一見バス待合室を思わせますが、センターそのものは、ロータリーにバス停が並んでいるだけなのです。

明日は角を曲がった所から始めましょう。「馬場村」の西にある「瀬戸村」に入って、「瑞松山 皎圓寺」を尋ねようと思っています。

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