2015/12/19: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-27 鹿下・越生神社 (No.2538)

地図を見ると、鹿嶋神社から30号路を東南東に150m程進んだ所で、左に分岐し八m88-27-01 F8845高線の踏切を渡る道があります。踏切を越えて、左に入ると「越生神社」と書かれています。また左に入らず、そのまま進むと「円泉寺」と書かれていますので、この二つを訪ねようと考えました。

分岐はここかな? ちょっと頼りない道です。左に入ると、「渋澤川」を渡りました。「古池」からの流れのようです。

100m程で線路ですが、線路と平行に進む道も出来て居て(広くなっていて?)ちょっとまごつきます。

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丁度、踏切の警報がなりました。

m88-27-03 F8851ビューファインダーを計算に入れて、早めにシャッターを切ったのですが、列車が遅かったようで、ちょっと手前に写っています。リアルタイムでないファインダーは難しい!  踏切から100m程の所で左折。200m程、真っ直ぐ行くと、鳥居が見えました。左手には「学頭沼」という池があります。

m88-27-04 F8856鹿下越生神社

「學頭沼」は、人の手が入って、灌漑用水池になっていますが、古の沼を元にしたもののようです。というのは、「新編武蔵風土記稿」には、神社についての記載はなく、「沼」についてのみ書かれているのです。『鹿下(かのした)村』の項です。

『沼 村の北にあり 広さ二町に一町許 土人學頭沼と呼へと名義はしらす』 この名前については、今市村の「法恩寺」と関係があるらしいのですが、現地の人は知らなかったということでしょう。

m88-27-05 F8859石段を上がって行くと、社殿がありました。先ほども書いたように、「新編武蔵風土記稿」の「鹿下村」には神社のことは書かれていません。ただ、寺院として、「圓泉寺」「東用寺」「薬師堂」「大行院」があり、この中の「東用寺」が「法恩寺末」となっていますので、こういう寺に属していたのかもしれません。

「越生町」の観光について記載されたサイトには、次のように紹介されていました。

『鹿下越生神社はもとは根本神社と称し、起源は1200年前に遡るといわれている。高僧・行基が法恩寺を建立した際に、学寮をこの地に選んで大山祇神、大雷神などを勧請し守護神として神事を執り行ったのが始まりという。その後、兵乱のために衰退していたが応永年間(1394~1427)に越生左衛門光忠が再興。また延徳元年(1489)には鹿下幸傳が再営したといわれる。明治5年に村社となり同40年に日枝神社を合祀して越生神社と改称した。近くにある学頭沼では大正時代まで競馬会が開かれていた。現在は桜の名所ともなっている。昭和60年に焼失、同63年に再建された。根本神社とは山麓の祠の意なのだという。』

m88-27-06 F8861或いは、鹿下幸傳(多分 鹿下村のボス)が再営したあと、又衰退して、風土記稿調査では「鹿下家氏神」くらいに評価され、無視されたのか? 「学頭沼」で競馬があったというのは、何だかピンと来ませんが、「古池」同様に干上がっていたのでしょうか?

「手水舎」には水がありません。奧に見えるのは「社務所」ですが、目下は無人。

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「鹿下・越生神社」の祭神は伝説ベースで考えると「大山祇神、大雷神など」ということになりますね。「越生神社」はもう一つあるので、そちらからの勧請と言うことにしますと、「素戔嗚尊」が主祭神なのですが、合祀がいろいろ重なっていて、判然としないようです。先ほどの観光案内ではこう書かれています。『越生神社は児玉党・越生氏の氏神・琴平神と近在の小社を合祀し、明治42年に造営された。越生氏の居館はこの越生神社の一帯にあったとも伝えられている。越生氏は足利尊氏とともに南北朝の戦乱を戦い、「太平記」にも登場し応元・延元(1338)執事の高師直に従って和泉で北畠顕家卿を討ち取った、と記載されされている。祭礼は1月7日の初市まつりと7月24・25日に行われる祇園まつりで、初市では酉の市として賑わい、祇園まつりでは江戸の神田まつりの流れを汲む山車が夏の風物詩となっている。』

木瓜爺がなぜ、「スサノオ」を主祭神と見たかというと、「新編武蔵風土記稿」の「今市村」に出てくる『天王社 昔は村の西方 天王山と云所にありしか 後年今の地に移れり』が、この神社の元だと思うからです。祭礼が祇園祭になっていることも理由の一つです。

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この社、面白いなと思ったのは、横から見たとき、前半分が正面から見たときと同じような形に見えたことです。屋根の印象なのですね。

境内の末社、「三峯神社」の御札が入っていました。

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m88-27-11 F8869三峯社

 

 

 

 

 

おいおい、なんで「狐」を住まわせるのですか? せめてヤマイヌに化けさせなさい! 三峰神社自体は「伊弉諾尊・伊弉冉尊」なのですね。「日本武尊」が立ち寄って、「大口真神」が絡んで・・・なんだか庶民はこんがらかって、ヤマイヌの餌に狐まで供えてしまったのか?

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m88-27-13 F8872さて、石段を下って、「學頭沼」を見に行きます。現在の形に整備したときの祈念碑でしょうか?m88-27-14 F8875

 

 

 

かなり大きな「溜池」になっているようです。水鳥が居たのですが、潜ってしまったようですね。カルガモのペア-でした。

さて、ここから、木瓜爺の迷走が始まります。自分の目を信じなかった所為なのですが・・とにかく、一旦は、踏切のあった道に戻ります。途中の風景。

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元の道に戻って東進。何軒か有る住居や畑の方に入る道が二回ほど分岐するのですが、メイン道は坂にかかります。そのとき、右手の畑道にこれを見たのです。

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「あれ? 林の裾に 何か有るみたいだぞ?」・・・・墓地かなあ?・・・。石碑の様な物が見えています。ただ中望遠で見て、これですから、はっきりしません。

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