2015/12/26: 江戸の古社;木瓜爺撮歩77-07 根津神社(2) (No.2545)

いよいよ根津権現参拝ですが、メトロの営団千代田線「根津」駅から歩いて見ましょう(実際は、帰りに通った道なので、フィルム?の逆回しをして行きます)。

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「根津駅」から地上に出て来たところにある地図です。こういう地図は、必ずしも上が北にはなっていませんので、見るとき注意して下さい。此の状態ですと、上はほぼ「北東」になっています。左の方に「根津神社」が書かれていますが、昨日木瓜爺が入ったのは「丸にYの字」マークが有る場所からでした。今日は綠色地の右から入って行きます。途中に「根津教会」があるので、「交番」の次の道を左折して、教会の前を通過する事にします。ただし、分かりやすいのは「交番」の先三本目の四つ角になったところm77-07-20 F9386を左折して真っ直ぐ行く道です。・・・と、頭に入れて・・忘れそうなら、デジカメに地図をメモして・・写真は、メトロ「根津駅」から出てきた入口です。m77-07-22 F9384

 

 

この辺、「根津八重垣町」だったと書かれていました。これによると、宝永3(1706)年、根津神社は、現在名「元根津」というところから、「現在地」である甲府中納言徳川綱重の「山手屋敷」に移って、そこに根津門前町が出来た。と書かれています。明治政府は、これを「根津八重垣町」と改名したのだそうです。根津神社の祭神が「素戔嗚尊」だったので「八重垣町」ですか・・・「不忍通り」の両側がオレンジに塗ってありますが、此の部分が該当するという意味でしょうか? 説明がないので、よく分かりません。振り返って写した写真。「果物屋」さんですが、「正月飾」も並んで居ました。

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年の暮れなのだ・・・m77-07-24 F9381

 

 

 

 

郵便局です。年賀状書くの忘れていた・・「猿」の写真あったかなあ?庚申塔の三猿では、叱られるだろうなあ・・

m77-07-25 F9378「交番」を過ぎて、次の道を入り、「根津教会」を通り過ぎてから振り返っての写真。大正8年に建てられた木造建築物で、「下町にある登録文化財指定の木造建築の教会」として有名らしいです。日本基督教団の所属。「木造平屋建,切妻造,下見板張」と説明されていました。教会を過ぎて右折、次の道を左折。「根津神社」前に近づきました。「焼きかりんとう」?・・かりんとうを作る工程で、餅の部分を油で揚げるのではなく、焼いた上に黒糖を絡ませるのだそうです。買って行こうかな・・黒糖部分を食い破ることが出来るかどうか? ・・・駄目! 来週、糖尿病の検査! ・・・ 哀れな木瓜爺です。尿検で引っかかるほどひどくはないのですが、血液検査の方で、病気と判定される限界ラインをうろうろしているのです。ちょっと油断すると病人にされてしまう・・・薬が増えるのはイヤだ・・・

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うだうだ云っているうちに、到着しました。この入口の左の方に公共トイレが出来ています。参道に入ると分かりにくいので、先に寄ってくださいと、念のため書いておきます。

m77-07-28 F9370参道を進むと、橋を渡って、随神門になります。

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m77-07-32 F9360「随神門」には、「右大臣」「左大臣」が番をしておられるのですが、金網が邪魔で、うまく撮せません。手が長ければ、金網にレンズを接近させて、金網をボケさせることも出来るのですが、外囲いがあって、手が届きません。こんな像です。

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殆どの建物が「重要文化財」の指定になっているようで、「火気厳禁」です。「禁煙地帯」です。着いて一服というわけには行きません。「随神門」にかかっている「額」は「根津神社」です。

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門をくぐると、其の先にもう一つ門があります。「中門」と呼んでよいのかな? 「唐門(からもん)」というのだそうです。m77-07-33 F9350

右の方には、「神楽殿」がありますね。

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「唐門」をくぐると、社殿です。

m77-07-34 F9348大きな獅子もいます・・・あれ? 撮り忘れたらしい・・・これは、しくじりました。

m77-07-35 F9349根津神社のHPから、由来をコピーしておきます。

『ご由来  根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。
○御祭神
須佐之男命・大山咋命・誉田別命 ○相殿 大国主命・菅原道真公
○御社殿
宝永二年五代将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なった。
翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。』

ここに書かれているように、甲府中納言「綱重」の弟である「綱吉」は、五代将軍になりますが、兄の子「綱豊」を養子にして、六代将軍「家宣」としたのです。その「養子」にしたとき、根津神社の大造営をしたわけです。

「新編武蔵風土記稿」の「下駒込村」を見ると、『根津権現社蹟』という記述があります。しかし引っ越し先が見あたらないで困っております。「小石川村」と「谷中」を調べてみたのですが・・・徳川様のお屋敷ということで、書かれていないのかもしれません。「谷中」などはあれだけ寺院が並んでいるのに、二つくらい書かれいるだけです。徳川家墓所があるので、書かなかったのかもしれません。大名屋敷の並んだ地域は、大名の屋敷名が並ぶだけで、参考になる情報は見つけられないでおります。「王子」くらいまで離れると、情報もふえるのですが・・・

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根津神社、立派な建物です。特に目を引いたのは、金ピカの木鼻。

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恐れ入りました・・・と言うところで、失礼することにします。境内には、ほかにも、「家宣(いえのぶ)公産湯井戸」とか、乙女稲荷の横の方には「家宣公胞衣塚」とかいろいろ有ります。今回はくたびれたので(?)省略。実際は、大狛犬を写し忘れたほど、頭の方が居眠りし始めていた所為でしょう。よく考えると、家に居るときは、昼飯の後、とろとろ眠るのですが、歩いているとそれが出来ないので、脳がかってに休憩時間に入ってしまうらしい。来年は、昼寝しながら移動する方法を考案しないといけないようです。

明日は、これも「東京十社」に入っている「富岡八幡神社」を訪ねます。よく知られた地名でいうと「深川」です。

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