2015/12/30: 門前仲町;木瓜爺撮歩68-13 深川・大榮山 永代寺 (No.2549)

撮歩68というのは、浅草から隅田川界隈を歩いた撮歩の番号です。ちょっと離れますが「深川付近」も収容しておきます。なお、「深川八幡=富岡八幡宮」は「江戸の古社 撮歩77」の方に入っています。

「深川」という町は、「明暦の大火」以降に急速に発展した町だそうです。江戸で使う材木の貯木場になった「木場」が造られたのです。古典落語や小説の時代物などに、「辰巳芸者」という言葉が出て来ますが、これは、江戸の辰巳(東南)方向にあった「深川の芸者」をいうのだそうです。「深川」という音曲もあります。小唄とか端唄とかいうようなものが発達したのも、この地に住んだ人々の成果だそうです。江戸の庶民文化の中心になった地域なのです。その深川の核になったのが、「富岡八幡宮と永代寺」なのですが、初期の「永代寺」はつぶされてしまい、その塔頭が「永代寺」を名乗っているようです。そこへ行こうと思います。

書き忘れていたのですが、メトロの門前仲町駅から、富岡八幡まで歩いた広い道は「永代通り」と言います。この道を西に行くと「永代橋」があります。『永代橋:元禄11年(1698)に永代橋は上野寛永寺本堂の材木を使い深川と日本橋を結ぶ橋として架けられました。永代橋は、赤穂浪士が討ち入りの帰りに渡った橋として有名で、橋の近くには赤穂義士休息地の碑が立っています。また文化4年(1807)には富岡八幡祭礼の多くの見物人により、橋の一部が落ち多くの死者がでたという大惨事がありました。今日では深川八幡祭りの神輿と人とが華やぐ橋として有名です(もちろん現在の橋は堅固なものですので落ちる心配はありません)。現在の橋は、大震災復興事業の最初の工事として架け換えられ重量感あふれるシンプルなアーチ型で、テレビドラマやお天気カメラのロケ地としてよく登場しています。 』という、橋なのです。歩いてこい! と、言われそうですね。チャンスがあれば、歩きましょう。

m68-13-00 F1695木瓜爺「富岡八幡」の西門を出ました。立派な建物が有りました「KAWAYA」? 「厠」なのでした。ちょっと洒落た表示ですね。道路を一つ横断して、標識をみます。m68-13-01 F1697

 

 直進でよいようです。m68-13-02 F1699

 

標識にあった「区民館」を通過、右に入ります。「深川不動」が突当たりに見えます。

m68-13-03 F1700

 

右手に、寺の塀があります。ここが「永代寺」です。

m68-13-04 F1701永代時

『永代寺は寛永四年(1627)に富岡八幡宮別当寺として 長盛上人(京都の人、俗姓菅原家、寛永13年没)によって永代島に創建される。(中略します) 明治初年(1868)に発令された神仏分離を契機として行われた廃仏毀釈により廃寺となるも、関東五ヶ寺随一に数えられた名刹を廃絶するに忍びず、同29年3月、塔頭の一つ吉祥院を永代寺と改称し、由緒ある法灯を永く継承する』 ちょっと嘘が混じっています。関東五ヶ寺同等格と言われていただけなのですけど・・・坊主は時々「嘘も方便」とかいって、平気で嘘をつきます。

m68-13-07 F1704往時の絵図が付いていますので拡大します。下の方にあるブロックが「富岡八幡」です。上のブロックが、「旧永代寺」ですね。位置的には、区民館と後ろの「区立深川公園」のあたりのようです。

では、お参りして行きましょう。「厄除弘法大師」の石柱が立っています。m68-13-05 F1703

「大榮山 金剛神院 永代寺」高野山真言宗です。奧の方に、背の高い塔があるようですね。

m68-13-06 F1705

m68-13-08 F1707

拝み方が書いて有りましたが・・・これは、5分近くかかりますよ? 懺悔して開経偈を唱えて、般若心経・・・省略させていただいて、光明真言だけ唱えておくか・・・境m68-13-09 F1708内には、観音様やお地蔵様が居られます。歓喜天は外にはなくて、本堂の中のようですが、分かりませんでした。m68-13-10 F1710

 

 

 

 

 「地蔵堂」もあったのですが、手ぶれがひどくなって、まともに撮せませんでした。多分、ここのお地蔵様が写真嫌いなのでしょう。m68-13-11 F1712

 

提灯で見ますと「子安地蔵」様方のようです。

本堂の横に、石仏が祀られていました。

m68-13-13 F1715

m68-13-14 F1716

 書き忘れていました。「吉祥院」は元禄五年(1692)の創立、開基は宥範だそうです。それと、「高野山真言宗」というのは、「高野山金剛峯寺」を総本山とする真言宗です。真言宗には、十八派があり、すべて本山が異なっています。

 寺の前の不動尊参道は「ご利益通り」だそうです。これから訪れる「不動尊」は、「千葉県成田市の大本山成田山新勝寺の東京別院」です。江戸期のはじめ、歌舞伎役者市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことから、成田山の不動明王を拝観したいという気運が江戸っ子たちのあいだで高まり、これを受けて、元禄16年(1703)、1回目の成田不動の「出開帳」(「秘仏特別公開」)が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた。これが深川不動堂の始まりである。江戸における成田不動の出開帳は安政3年(1856年)まで、江戸時代を通じて12回行われた、という背景が有り、実際に、常設の「深川不動尊」が出来たのは、明治14(1881)年だそうです。

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