2016/01/04: 深川散歩;木瓜爺撮歩68-15 三聖山 寒光寺(恵然寺) (No.2554)

深川不動尊にお参りをしたブログのつづきです。この深川、江戸古地図「本所深川絵図」を見ますと、沢山のお寺が並んでいます。大きいお寺としては、「霊巌寺」「浄心寺」ですが、それらと旧「永代寺」との間に、「正覚寺」「心行寺」など今も残っているお寺が八寺ほどありました。さらに、「富岡八幡宮」の東に「三十三間堂」というのが書かれています。「三十三間堂」はないでしょうが、「正覺寺」は残っているらしいから、そっちの方に歩いてみよう・・・木瓜爺のぶらぶら歩きが始まりました。

m68-15-01 F1753深川不動横

 

左側は「成田山深川不動尊」の車の入口です。上を通っているのは「環状9号線」首都高です。その下をくぐって進みます。

m68-15-02 F1755

「和倉橋」という交差点名で、気が付きました。川は見えないのに、橋の名前になっている! 元、川だった所に道路が出来て居る・・言い換えると道路の下に川が流れているのだ・・・絵図を眺めると「南部遠江守」の屋敷横の掘り割りの上あたりを歩いているようです。m68-15-03 F1756

向こう側に「和菓子の店」がありました。東京西部では最近あまり見かけなくなった「和菓子店」が、深川には幾つも残っています。「お江戸」がまだ息をしているのだなあ・・・m68-15-04 F1759

「木更木橋」・・これは「仙台堀川」に掛けられた江戸期にはなかった橋です。此の橋を渡らないで左に行きます。この左側一帯に寺町があったのですが・・・m68-15-05 F1761

 

 

 

 

 

ほんの少し進んだ所で、左に分岐しましたが、あれ? お寺みたいな塀が見えます。行って見よう・・と、曲がって入って行ったところが、今日のタイトルにした「寒光寺」なのです。此の寺の名前は、絵図にはありませんでした。ところが、ブログ書きの準備にはいって、此の寺の旧名が「恵然寺」だと分かったのです。「恵然寺」というのは、絵図では「正覚寺」の隣に書かれています。つまり、江戸時代から続いて居るお寺です。インターネットでも豊富な情報が得られました。それで、それらをまとめて、一日分のブログに出来た次第です。寺名が変わったのは、明治二年だそうです。

m68-15-06 F1763

塀に貼られていた「文化財」説明。達磨大師像の墨絵だそうです。「寒光寺所蔵の文化財」は『紙本墨画達磨像(江東区登録文化財) 石造五輪塔(江東区登録文化財) 石造燈籠 寛文8年在銘(江東区登録文化財) 地蔵菩薩像 宝永3年在銘(江東区登録文化財)』などが有るそうです。 寺の情報はhttp://kankou-ji.jp/temple に詳しく書かれています。ここでは、江東区の資料をコピーしたもののコピーで・・・「猫の足あと」には、こう書かれていました。『寒光寺:寛永一〇年(1633)創建、開山は碩分和尚。初めは赤坂に創建され不識山雲巌寺と号し、寛永七年に深川蘆村(現在地)に移り蘆村寺と称し、その後、三聖山恵然寺と改め、安政年中僧月洲が堂宇を再建し、明治二年(1869)に現在の名に改めたという(「新撰東京名所図会」)。改称の理由として、当時、皇室に恵の字のつく方がいるからと改称を迫られ、恵然寺の塔頭寒江庵からその名をつけたという(「寺社めぐり35」)。(江東区の民俗深川編より)』

m68-15-07 F1764 寒光寺

「臨済宗」ですが「円覺寺派」です。こちらでは「座禅会」なども行われていますので、割合有名なのだそうです。 本尊は「釈迦三尊」が祀られ、前述のHPで、お写真も拝見できます。深川の町の形成についてまで勉強できました。なお、木瓜爺が眺めていた絵図もこのHPに掲載されています。本堂は下の写真。「清浄観堂」という額がかかっていますので、観音様かと思いましたが、「寒光寺会館」というのが正式名のようです。

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HPを拝見すると、地下に大広間などが造られているようです。このお堂の横に、鳥居があるのを見つけました。

m68-15-09 F1768稲荷社

HPによると「穴守神社」といい、「昭和に羽田から分神、水の神様をお祀り」となっています。ところが、額は「稲荷大明神」となっています。変だなあ? と考えながら、HPの写真を拡大して見ると「稲荷大明神」でした。HPの記述が舌足らずなのでしょう。「穴守稲荷神社」というお稲荷さんは、時折見かけます。有名なのは大田区羽田のもので、『江戸時代、文化元年(1804)新田開発の時、海が荒れ堤防が決壊し、村々は海水による被害をうけた。村民が堤防の上に祠を造り、稲荷明神を勧請して祀ると、海が静まって大きな実りをもたらした。これが穴守稲荷神社の起こりである。』と、される神社です。これを勧請したのでしょう。祭神は、農民用で「豊受大神」です。「倉稲御魂」ではないのです。なお、「穴守」という名前が「穴を(性病から)守る」に通じると考えて、品川宿などの遊女達の信仰を集めましたから、深川でも同じでしょう。ということで、「寒光寺」を辞し、隣にあった「正覚寺」を探します。

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