2016/01/05: 深川散歩;木瓜爺撮歩68-16 大音山 響流院 正覺寺 (No.2555)

「寒光寺」から、元の川沿いの道に戻りました。「正覚寺」は直ぐですが、その前に、「東都三十三間堂」のことを書いておきましょう。これは、「正覚寺」のことを調べた時に偶然見つけた物です。「江東区教育委員会」の「指定文化財」に「東都三十三間堂日記」という 「古文書」があるのです。

『江東区指定有形文化財(古文書)東都三十三間堂旧記 平成19年(2007)3月26日指定』となっていて、次のような解説がありました。

「東都三十三間堂旧記」は、元禄13年(1700)深川に再建された三十三間堂に関する記録です。1番から7番と付録の8冊で構成され、現在は6冊に装丁されています。堂守(堂司)をつとめた鹿塩久右衛門家に代々伝わってきましたが、火災のたびに水をかぶり傷んだため文政3年(1820)に新たに書き写されたものです。
内容は、火災や風雨によって破損した堂宇の再建や修復に関する願書のほか、堂守の鹿塩久右衛門が三十三間堂町の名主をつとめていた関係から、三十三間堂町に記録も含まれています。

歌川広重「東都名所 深川三拾三間堂」(江東区深川図書館所蔵)
東都三十三間堂は、京都の三十三間堂(蓮華王院)を模して、寛永19年(1642)に浅草(現台東区)に建てられました。元禄11年(1698)の大火によって焼失し敷地が召し上げられたため、代地を深川に賜り再建されました。柱間の数して三十三間あり、弓術の練習や競技の場として西側に射場が設けられ、堂の端から端まで矢を射通す「通し矢」が行われました。明治5年(1827)に壊された時、本文書は本尊とともに正覚寺に移管され、関東大震災や戦災の被害を免れて現在に至っています。
深川を代表する名所である三十三間堂の様相を詳しく伝え、かつ災害を乗り越えて区内の伝えられた貴重な史料です。平成20年(2008)3月 江東区教育委員会』

m68-16-01 F1775正覺寺「三十三間堂」は、最初は浅草に建設されたのですが、元禄11年に焼失、深川に再建されました。明治の神仏分離の際、三十三間堂は取り壊されてしまいますが、この「日記」は、本尊と共に「正覚寺」に移管されたのです。「日記」の内容は、「三十三間堂の維持管理」早い話が「修理記録」のようなものらしいです。

「正覚寺」は現在、ビル的な部分と、住職さんのお住まいらしき部分の二つが並んでいました。m68-16-02 F1774

 

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さらに、通りを挟んで墓地を経営されているようで、そちらの方に観音様などが立っておられます。

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この「深川はごろも御廟」のほうに、「三十三間堂にあった千手観音」が祀られているとか聞きましたが、後でHPの記述が出てきますが、「千手観音」は関東大震災で焼けてしまったそうで、聞いた事は間違いだったようです。六地蔵もこちらにおられますが・・・こういうスタイルでした。

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「正覚寺」のホームページらしきサイトにはこう書かれています。

『【由緒・縁起】
正覚寺は大音山響流院(だいおんざんこうるいん)と号し、寛永6(1629)年5月に專 蓮社南譽終古白玄和尚が開創されました。大音山響流院正覚寺の山院寺号は、浄土宗 の経典としている『無量寿経』巻上の「正覚大音響流十方」正覚の大音ひびき十方に 流る、から出ています。大音は大きな音と言うことで念仏の声を意味していますか ら、念仏の声が響き流れて、多くの迷える人たちを救い、正しい覚りを得させ、極楽 浄土に生まれさせたい、と言う願いをこめて創建されたものと思います。』

『【東都三十三間堂千手観音】
京都の三十三間堂には、鎌倉時代に造られた丈六像の本尊を初めとする等身大の脇侍 一千一体の十一面千手観音が祀られています。東京にも江戸時代、寛永20(1643)年 にその三十三間堂に倣って当時まだ湿地と原野だった浅草の地に堂宇が建立され、東 都三十三間堂と称されました。ところが元禄11(1698)年に火災によって焼失し、翌 年幕府に指定され深川の富岡八幡宮東隣りに移転しました。その後、明治5(1872) 年に廃寺となり、関わる古文書と観音像が深川正覚寺に移されました。その観音像も 関東大震災で本堂と共に焼失してしまいました。その復興の第一歩として、昭和61 (1986)年に有縁無縁のお力添えにより、京都の仏師佐川定慶師によって京都三十三 間堂のご本尊を二分の一の大きさに模刻しお祀りすることが出来ました。』

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木瓜爺は、この観音様の方に行ってしまったのですが、「はごろも御廟」の自動ドアの前に立ったら、扉が開いて、千手観音がおいでおいでをして下さって拝んできましたというブログもあります。HPの説明にあった1/2縮尺モデルなのでしょう。金色の千手観音像です。

木瓜爺は信心が足りないようでした。

此の近くにもう6寺くらい有るらしいのですが、飽きっぽい木瓜爺、清澄庭園の方向に進んでみたくなりました。ところが、途中で気がかわり、変な方に行ってしまいます。最終的には「日蓮宗の寺町」に迷い込んでしまいます。そのお話は明日に・・・

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