2016/01/06: 深川散歩;木瓜爺撮歩68-17 妙蓮山 圓隆寺 「深川の歯神様」 (No.2556)

「正覺寺」から、西に出て、「清澄通り」という道を北に向かいます。「海辺橋」という橋をわたっると、十字路。左の方に「深川図書館」があるのですが、その手前が公園になっています。表示は「清澄公園」なのですが、これが本体とは切り離された「児童公園」だったのです。「清澄庭園」の入口は、ずっと先だと聞いて、気が抜けてしまいました。それで、平野町の「浄心寺」に寄って、また「門前仲町駅」にもどり帰途につこうと方針変更というのが、今日のあらましなのですが・・・

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これは、「はごろも霊廟」の墓地でしょう。この前を通って「清澄通り」を北に向かったところです。「海辺橋」を渡ります。この「海辺」という名前は、かって「海邊新田」と呼ばれた村の名残のように思われます。というのは、「新編武蔵風土記稿」の「海邊新田」には、「浄心寺抱添地」「恵然寺抱添地」「正覺寺除地」などの記載があるのです。

m68-17-02 F1779海辺橋

深川界隈の説明が書かれた資料には、こう書かれていました。『仙台堀川に架かる「海辺橋」。安政5年(1858年)に描かれた「本所深川絵図」にこの橋が見られるが、芭蕉のころはまだ築かれていない。むかし本所深川では飲料水を船で運んでいたが、現在の海浜橋付近が飲料水を陸揚した「水場」にあたる。万治から寛文のころ幕府は白堀上水をつくったものの引水状態が悪く、享保になって廃止された。』 本所・深川は埋め立て地のような場所ですから、井戸を掘ると「海水」が出てm68-17-03 F1780来てしまいます。それで、飲料水は「水売り」から買わなければならない地域だったのでしょう。左の写真は「仙台堀川」。

木瓜爺錯覚していたことがあります。江戸時代に「仙台堀」と呼ばれた水路があったのですが、これは「神田川」の一部(牛込橋~和泉橋の間)の名称なのです。「仙台堀川」とは別物です。「仙台堀」は、伊達政宗が工事を担当して掘削した神田川(簡単に言うと台地になっていた所を掘って外堀(つまり川)を通した)についた名前。こちらの「仙台堀川」は海にそそぐあたりに、仙台藩の蔵屋敷があったのでついた名前のようです。

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交差点に来ました。広場らしい物が見えます。道路を2回横断して、対角線上の広場にゆきました。というのは、何を隠そう・・・「喫煙所」の看板が見えた為です。

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行って見ると「清澄庭園」の表示・・しめしめ、と思ったのですが・・m68-17-06 F1785よく見ると「児童公園」。

 

 

 

 

 

 

L字型に作られていて、フェンスで囲まれています。直ぐには「庭園」は入れないのです。どうやら、図書館の方を回らないといけないらしい。それにしても、何で「児童公園」に「喫煙所」があるのだ??? いや、「トイレ」があるから、その付属品に「喫煙所」も造ってくれたのかなあ? よく分かりませんが、とりあえず、一服。

地図を広げました。この「清澄通り」には、都営大江戸線という地下鉄が走っています。もう少し北に進むと「清澄白河駅」というのがあります。「霊巌寺」に行って大江戸線に乗って帰るか? それとも、「浄心寺」に行って、門前仲町に戻るか・・考えている内に、門前仲町の駅傍のお土産屋を思い出しました。あそこに歯の悪くなった木瓜爺でも囓れそうな「濡れセンベイ」があったなあ・・あれ買ってかえろう・・ということで、「清澄庭園」と「霊巌寺」は次の機会のメインにしましょう。

おみこしを上げて、また「清澄通り」を横断。すると、こんな物が目に入りました。

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「滝沢馬琴誕生の地」・・木瓜爺は「滝沢馬琴」というと「南総里見八犬伝」を思い出します。あれは、牛込に住んでいた母方の祖父の本箱からこっそり引っ張り出して読んだのでした。なんでも、最近ではドラゴンボールが「八犬伝」からヒントを得たとか、云われているようですが、玉がどびちる所かなあ? それだったら、中国の「水滸伝」の方が先だろうに・・・よく分かりません。

m68-17-08 F1787馬琴の本

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左の「和綴じ本」が積み重なっている記念碑(?)馬琴が書いた本は、この程度の量とは思えないのですが・・・場所は、右の写真「深川ふれあいセンター」の前です。m68-17-10 F1789

 

持っていた地図には、このあたりにいくつか寺名があります。それを見つけようと歩き回るのですが、ちょっと脇に入ったところらしく見つかりません。とにかく細い道に入ってみるか・・・m68-17-11 F1794奧の方に土塀のようなものが見えるぞ・・・うろついていますと、やっと寺らしいものが出て来ました。名前から想像すると、日蓮宗の「浄心寺」の塔頭や末寺らしい院が、沢山あるらしいのです。その中の一つに面白い(?)ものを発見しましたので、代表としてこのお寺「妙蓮山 圓隆寺」にお邪魔します。『深川 妙運山 圓隆院(えんりゅういん) 住所 東京都江東区三好1-2-11』とホームページに書かれています。平野と三好は入り組んでいて、初めての人間にはよくわかりません。

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m68-17-16 F1801圓隆院

『東京は下町。深川めしで有名な深川、江戸出開帳で知られる深川浄心寺の塔頭のお寺です。古くから当山に伝えられる“歯神さま”は、かつて歯ブラシを持ってお参りにくる子供達が多かったと伝えられております。また、相撲界の高砂一門の祖、初代高砂親方(高砂浦五郎)が、当山の墓地に眠られております。

現在は、毎月一回の妙運講(お経とお題目をお唱えし、参加者相互の親睦と信仰を深める会)を12日前後に行っております。
また、”お寺でフェイスエクササイズ!in円隆院”や”ご縁ヨガ”など、お寺を会場としたイベントも開催中です。ご参拝の方は、午後4時頃までにお越しください。』と、HPに書かれております。やはり、「浄心寺」の塔頭だそうです。

m68-17-14 F1798木瓜爺が、興味を持ったのが、この「歯神さま」なのです。はて、観音様みたいだけど?前まで行って分かりました。観音様は「水子供養」、「歯神さま」は、別の石仏です。

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「歯ブラシ」が置いてあります。無知な木瓜爺、一瞬これで自分の入れ歯を磨こうかと思いましたが、そんな不衛生な神様もおられないだろう? 正しくは、石仏の歯を磨くらしい・・・・でも、小さい石仏なので、歯はみえないなあ?

この「歯の神様」、こちらでは「歯神大善神」とよばれているようですが、日蓮宗のお寺では、時折お目にかかります。先日お参りした白山神社の近くに「蓮華寺」という日蓮宗系のお寺があり、、そこにも有りましたが別の名前で呼んでいたようです。調べて見ると正体が分かってきました。鎌倉にある日蓮宗の寺院「安国論寺」の境内に「熊王大善神尊殿」という神社?が有るのです。「日蓮」に仕えていた「熊王丸」という従者が祀られた「鎮守」様だそうですが、眼、病、歯痛に霊験ありとして、御符や薬を売っていたとのことです。それが大元だろうと思います。

m68-17-18 F1800「熊王丸」と呼ばれる人は、何人かいるのですが、身延山に関連したサイトで、出てきたのは『熊王家は鎌倉時代の文永11年(1274年)に日蓮聖人様に随行して鎌倉から当地にやって来た家柄です。初代は徳永熊王丸光長で現在、夫は36代目になります。増穂の熊王徳平様は親類ではないけれども遠い昔は親戚縁者の可能性があるかもしれない』という記事です。おそらく、この初代「徳永熊王丸光長」という方が、「歯神さま」になられた方なのでしょう。この方は、ウイキペディアによりますと、『日法(1258年-1341年)和泉房・和泉阿闍梨。俗名は徳永光長、幼名を熊王丸。守塔八月。片瀬龍口寺、岡宮光長寺、勝沼の休息山立正寺二世。彫刻の名手で池上本門寺、鎌倉妙本寺などに残る日蓮の肖像を残した。』となっていますので、日蓮の直系の弟子であったことは確かでしょう。何故、歯の神様になったのかについては、よく分かりません。もしかすると、「白山神社」が歯の神様になった原因の修験者と同じような、「歯痛止めの法」を心得ていたのかもかもしれません。ながながと、ご託を並べてしまいました。

石像を見ると「僧形」です。「日法」上人なのでしょう。「置かれて居る歯ブラシで、石仏の歯をこすりながら、南無妙法蓮華経を唱える」のだそうですから、木瓜爺みたいに自分の入れ歯をこすろうなどと思わないでください・・・今日はこれで失礼。

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