2016/01/14: 文京区散歩;木瓜爺撮歩25-08 高燿山 長元寺 (No.2564)

「大林寺」の木立を眺めながら、長い参道を戻ります。

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「本郷通り」に出る角に、綺麗なトイレが出来て居ましたので、ちょっと寄りました。そこからすぐに「長元寺」です。12月9日なのですが、銀杏が綺麗でしょう。

m25-08-01 F9252長元寺

「長元寺」は、日蓮宗のお寺だそうです。例によって「猫の足あと」さんを手がかりにします。『長元寺、駒込蓬莱町十三番地にあり、高耀山と號す、日蓮宗甲斐國身延山久遠寺末にして、谷中感應寺中興尊重院日長上人を開山とす、寛永四年起立、開基は加州侯吉徳母随玄院なり、寛文二年千駄木村(大田備中守屋敷の南)より此に移る、境内清灑伽藍宏壮なり、當寺に玉梅斎洞旭の画ける日蓮大士一代厄難利益の大軸あり、伊藤公爵の寄附に係るといふ、其他開山、日蓮、日竟等諸上人の筆せる曼荼羅、狩野探幽、即譽、伊川等の画幅、水戸鼎山公の竹の画等蔵せり。(東京名所図会より)』

有名な「谷中感應寺」の系列のようです。寛文2年(1662)千駄木から当地へ移転なのですね。なお、「高耀山」なのか「高燿山」なのか、はっきりわかりません。見る資料によってまちまちの状態です。寺のHPがあれば、はっきりするのですが・・・読みは「こうようさん」で良いでしょう。

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「谷中感應寺」は「長燿山 感應寺 尊重院」が正式名称ですが、「日蓮宗」の寺として、幕府からの援助金を頂くのを嫌った「不受不施派」の活動で、幕府に睨まれ、取りつぶされてしまいます。寺そのものは、天台宗の支配に代わり、「護国山 天王寺」となります。ですから、「谷中感應寺」はなくなっているわけです。同じ日蓮宗で、「神田感應寺」と呼ばれる寺があります。この「神田」は「谷中」との識別するための呼び名ですね。神田の方は「光照山 感應寺」です。なぜ、援助金を断ったかというと、難しい事はさておいて、「幕府の紐付き活動は宗派の意に反する」といった見解だったのでしょう。・・・『不受不施派(ふじゅふせは)とは、日蓮の教義である法華経を信仰しない者から施し(布施)を受けたり、法施などをしないという不受不施義を守ろうと、かつて存在した宗派の名称である』(ウィキペディアより)。

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m25-08-04 F9255二階のガラス窓の所に「長元寺」と書かれた此の建物、本堂なのでしょうか? それとも、次の看板にある納骨堂なのでしょうか? よく分かりません。この「納骨堂」完了予定日はとうに過ぎているのに、まだ貼ってあると言うことは、途中で止まっているのでしょうか?

いささか怪しい状態にあるお寺のようです。

「浄心寺」はもうすぐです。お寺の手前に「浄心寺会館」というのが出来て居ました。「葬祭場」なのでしょうか? 「さくらホール」と書かれています。「文京区区民斎場」のようです。公営と言うことではなくて、区が指定した斎場という説明でした。

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この建物を過ぎると、いろいろ並び始めます。「春日の局さまのご愛祈 地蔵さん」だそうです。

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これは、「観音様」らしい。「馬頭観音」なのかなあ?

まだ、読めないでいます。

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