2016/01/15:文京区散歩;木瓜爺撮歩25-09 湯嶹山 常光院 浄心寺 (No.2565)

今日のブログのタイトル「湯嶹山 常光院 浄心寺」は、「ゆとうさん」の部分、ネット上でみられるデーターベース類が、正しく書かずに「湯嶋山」とか「湯島山」とかで誤魔化しているようなのです。何か理由があるのだろうと思います。木瓜爺は、お寺のホームページに沿って、「湯嶹山」と書きました。文字化けしなければよいのですが・

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浄土宗の寺院である「浄心寺」の前にやってきました。「江戸札所十番」と書かれていますが、これは「観音霊場」だそうです。その横で、威張っているのは、「布袋様」ですが、ホームページには何も書かれていないようです。いりいろな訪問ブログに、浄心寺の目印としてこの布袋様が紹介されているのに、誰一人なぜここに布袋様があるのかという疑問を持つ方がいないということに、木瓜爺は首をひねっています。ブログを書いているうちに何か分かれば書いておきましょう。今はまだ何も分かりません。

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こちらは、表札ですねえ。まず、ホームページから、「浄心寺縁起」の紹介です。『浄心寺・縁起: 浄心寺は、元和2年(1612年、徳川2代将軍秀忠の頃)に畔柳助九郎氏が大旦那となり、還蓮社到誉文喬和尚を開山上人とし、湯島妻恋坂付近に創建されました。その後、八百屋お七の振り袖火事として知られる江戸の大火により焼失し、現在の地に移転しました。
第二次世界大戦でも空襲に遭い、焼け野原になった中から第23世住職・小池政雄和尚と千代夫人が檀信徒の協力を得て、今日のような復興と発展を遂げました。
政雄和尚は、江戸観音札所の第10番に指定されている「子育て桜観音」こと十一面観世音菩薩像をはじめとする阿弥陀三尊像、四天王像、虚空蔵菩薩像等、仏像の建立に力を注がれました。
戦争で受けた傷から右足をなくし「一本足の和尚さん」と呼ばれながらも、明るく精力的に活躍され、多くの人々に慕われていましたが、平成17年9月に逝去いたしました。
現在は第24世住職として佐藤雅彦和尚が勤めています。』  最初は「湯島妻恋坂」にあったと云うことです。

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参道の両側が墓地になっています。「大林寺」もそうでしたから、このあたりは、墓地の真ん中に寺があるというレイアウトが標準なのでしょうか?

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「筆塚」がありましたが、これは比較的新しいものでしょう。

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本堂にお参りします。本堂前の香炉が興味を引きましたが、後で・・・。本堂の「阿弥陀仏」「虚空蔵菩薩」は、HPで拝観できます。札所十番の「十一面観音(子育て桜観音)」は本尊脇佛とかかれていますが、写真ではよく分かりません。上の写真のようにガラス張りの中なので、木瓜爺のカメラは使いませんでした。「子育て千体地蔵尊」というのも、本堂の中にあるようです。

いつもの、「猫の足あと」さんの参考文献は・・・『浄心寺 同(駒込蓬莱町)八番地にあり、湯島山常光院と號す、浄土宗芝増上寺末なり、元和七年創立、開基は畔柳助九郎、開山は僧到譽(元和七年寂)とす。本尊阿弥陀如来は恵心僧都の作と稱す、又運慶作といへる地蔵尊安置しあり。(東京名所図会より)』・・・これが古い文献。

新しいのが『駒込蓬莱町に在り、芝増上寺末、湯島山常光院と稱す、初め駿州赤坂に在り、元和二年家康歿後、駿府詰の士畔柳助九郎等東歸して邸地を湯島天神前に得るや、當寺も之に移轉し来り、天和大火後現地に移つた。開基畔柳助九郎武重(家康に從ひ三方ヶ原の役に功あり後中間頭を勤む)益田勤斎(篆刻家、名は濤、字は万頃通稱重蔵天保三年歿七十)益田遇所(篆刻家、勤斎の男、名は蕭、字は子敬、萬延元年歿、六十四)の墓がある。(本郷區史より)』です。

浄土宗ですから、「芝増上寺末」。「本郷區史」というのは、1937年(昭和12年)出版です。最近デジタル版が見られるようになったことを知り、早速寺社の部分をダウンロードしましたが、まだプリントアウトはしていません。この区史によると、最初は「駿洲赤坂」に在りとなっていますね。これは、1674年頃の「甲斐と駿府の国境」の地名ですよ。つまり、今で云うと富士宮市の北の方でしょうね。それを「畔柳助九郎」が、湯島天神前に屋敷をもらって、寺も呼び寄せた。それが、元和7(1621)年。そこで「ゆとうさん」が生まれたわけですね。このときに、増上寺の世話になったのでしょうか?

増上寺はいつ出来たのだったけ?「増上寺は、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられています。慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。」大丈夫ですね、1621年にはもう芝にあります。

本堂のまえから振り返った、木瓜爺が興味をもった「香炉」です。 m25-09-04 F9272

「龍」がいるのです。その龍君にご対面!

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「龍君、煙いだろうね?」「職業病で気管支喘息患ってしまった・・木瓜爺もCOPDになるからタバコやめろ・・コホンコホン」 なかなか進んだ龍君です。

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門前の「布袋さん」がなんであそこに有るのかは、まだ分かりません。文京区の七福神にも入っていません。「桜ホール」などの営業用モニュメント・・つまり「目印」なのでしょうか? 疑問を残したまま、木瓜爺は「根津神社」を目指して消えて行きました。

25- 江戸の古社;木瓜爺撮歩77-07 根津神社の駒込稲荷・乙女稲荷(1)  (No.2544)

に続く・・・ということになります。さて、文京区散歩はここで中断です。天候に恵まれておれば、次は「江戸の古社 撮歩77-11」ということで、品川神社付近に出かけたいと思っております。

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