2016/01/16: 北品川散歩;木瓜爺撮歩94-31 福聚山清徳寺 (No.2566)

「泉岳寺」から東の方向には少し歩いた事がありますが、西南の品川方面は、木瓜爺としては未開拓でした。江戸時代、品川には、沢庵禅師が逗留していた「東海寺」というのがあったことは、かすかに記憶していたようですが、廃寺になったということで、忘れさってしまいました。今回、「江戸の古社 品川神社」を歩いて見て、直ぐ傍に今日のタイトルにした「福聚山清徳寺」を見つけ、ブログ準備に入ってから、「東海寺」が直ぐ近くに、復活していたということを知りました。先に調べていれば、ちゃんとお参りしてきたのですが・・・。というわけで、「東海寺」そのものは、次に訪れた時に書くことにします。なお、撮歩94-30 は、都合で欠番となっております(明日のブログの「品川神社」が撮歩77-11 であると同時に94-30 でもあるのです)。

m94-15-00 G_98101/13 天気予報で降水確率0%の良い天気なので、一週間分くらいブログ種を仕入れてこようと、「品川神社」の最寄り駅、京急線の「新馬場(しんばんば)」に向かいました。寒い朝だったので、雨の後で凍結した堰下橋はこわいと、出発は少し遅らせました。9:34堰下橋を渡っています。予想した通り、朝早くはあちこちにスケート場?が出来て居たようで、それが溶けて水たまりになっていました。多摩川のほうも、岸沿いに少し凍っていたろうです。 青梅特快は逃してしまいまして、立川で乗り換え。神田まで出て山手線に乗り換え品川へ。新宿で乗り換えるコースの方が早いのかもしれませんが、ホームを間違えそうなので、木瓜爺コースで行きます。品川で「京急線」各駅停車に乗るのだぞ! 自分に言い聞かせて乗り換えます。ぼーっとしていると、人の流れに乗ってしまって、三浦半島までいってしまいそうですですから。

m94-15-02 G_9812

「北品川」の次が「新馬場」。改札に向かう途中に温泉の広告がぶら下がっていました。へーっ、こんな所でも飲泉が掘り出せるのだ・・・m94-15-04 G_9816

改札口はホームの両端にあるようです。東京よりの北口を出てみました。

m94-15-03 G_9814

前の道は「第一京浜」です。地図がありました。道路を渡った所に「清徳寺」や「品川神社」が書かれています。この時よく見ると左上の「東海禅寺」に気付いた筈なのですが、川向こうの寺の行列に気を取られて、見過ごしました。左の寺の行列は、「寺名」から推定すると、深川にあった日蓮宗の寺町と同じように、日蓮宗系統の寺院のようでした。所で横断歩道はどこにある? 左側の大きな十字路なら間違いないだろう。実m94-15-05 G_9828は、右に行くと品川神社の正面にゆく横断歩道でした。十字路の角のセブンイレブンに飛び込んで、サンドイッチを購入し、京浜第一を渡ります。

「京浜第一」といえば、23才の頃、職場の友人が中古車を借りてきてドライブしたなあ・・あれは、川崎付近から入ったのだったか? カーブを切ったとき助手席のドアが開いてしまい、助手席で足の間に挟んでいたエレベーター三脚が飛んで行ってしまって慌てたなあ・・ポンコツ車ならではのハプニングですねえ。人間の方は上の金具を掴んm94-15-06 G_9820清徳寺でいたので何ともありませんでしたが・・・

右に少し戻って所で、寺への入口を見つけました。突き当たりが「寺門」のようです。

この「清徳寺」あとで文献が出て来ますが、元々は「東海寺」の境内にあったらしいのです。つまり、このあたり一帯が東海寺の寺領だったのでしょう。ただ、ちょっと不思議なのは、現在の「東海寺」は臨済宗大徳寺派なのに、「清徳寺」は臨済宗建長寺派だということです。「沢庵禅師」は、「大徳寺住職」だった方ですから、「東海寺」の方はその流れが続いているということです。こちらは、「東海寺」が明治の初めに廃寺になったときに「建長寺派」に入れて貰ったのでしょうか? というか、建長寺系の住職になったというべきかな?

m94-15-09 G_9826

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このお寺、本堂の方に入るのは庫裡の前の路地を抜けて行かないと駄目なようです。ちょっと入りにくいので、右に回って塀越しに本堂を拝む事にします。掲示版には、「写経会」「座禅会」などの案内が貼られていました。活動は行われているようです。

m94-15-08 G_9825

本堂前の入口は閉じられていましたが、催しがある日は、ここが駐車場になるのでしょうか?

元徳2年(1332)真照大定禅師の創建という事になっているようです。縁起については、「品川区の文化財」という資料にある「清徳寺縁起」を「猫の足あと」さんが収録して下さっていました。

m94-15-07 G_9822 『「品川区の文化財」による清徳寺の縁起: 旧東海寺の域内にある。寛永14年(1637)東海寺建立の時にも多くの寺院は移動させられたが、沢庵和尚の宿寺となっていた為其儘になったのである。臨済宗建長寺の末で、元徳2年(1332)真照大定禅師の創建である。本山30世仏寿禅師を以って開山とする。仏国禅師に師事し、文和3年2月18日年82歳にて寂す。大定禅師は貞治2年(1363)12月8日壬化する。其後兵乱の為おとろえ、天文年中(1532-1555)梅江和尚が中興して旧観に復した。時に小田原北条氏の家人遠山隼人佐は制札を与え、島津右衛門尉源忠貞は寺領を寄附する。忠貞は永禄2年(1559)8月12日に卒する。「諸家系図」には8月20日戦死すとある。法字長徳軒竜道泉公と云い、位牌は当寺にある。之を中興の開祖と云う。
天正19年(1591)徳川家康より朱印10石を賜う。現在歴代将軍の朱印状を蔵している。』

これによると、「東海寺」建設の時、「沢庵さん」は、「建長寺派の古寺」である「清徳寺」に泊まっていたのですね。それで、移転することなく、「東海寺」の境内に残された・・・なるほど、その頃から「建長寺派」だったわけです。境内にあったという意味も理解出来ました。

「京浜第一」に戻りました。ああ、ここに歩道があった・・見えている道路、商店街のようで門みたいなものが立っています。後で行って見よう・・・

m94-15-10 G_9831

足元を見ると、「東海七福神」の案内板がありました。この「東海」はどういう意味だろう? 東海道の宿場を意味しているのかな? よく分かりませんが、「品川神社」-「法禅寺」-「一心寺」-「荏原神社]-「品川寺」-「浜川神社」-「磐井神社」ですか・・今日は頭の三つだけだね。あれ? ちょっとおかしい? 東海七福神のパンフレットでは、二番目が「養願寺」になっていましたよ? この看板いい加減なのでは? 昭和62年なので、メンテナンスがされていないのか?

m94-15-11 G_9832

「品川神社」の鳥居が見えました。石の大きな鳥居の少し先に、赤い小さな鳥居もありますが、後で調べたら赤い方は、品川神社の境内にある「阿那稲荷社」を意識した物らしいのですが、「品川神社の女坂入口」のようでした。

広告
カテゴリー: , 寺社, 散歩 パーマリンク

2016/01/16: 北品川散歩;木瓜爺撮歩94-31 福聚山清徳寺 (No.2566) への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 2016/01/20: 木瓜爺の品川散策ご紹介 | Choi-boke 爺ちゃん

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中